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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第07章 回顧録メタノイア
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115話 尾行取材

 尾行は俺1人。GPSも無く、ターゲットの目的地も不明。

 一瞬でも甘えて見失ってしまったらもうそれで今日は終わってしまう。全神経をトオルに集中させ、かつ気取られないように注意を払う。今日は日曜日なのでトオルと同じスーツ姿の人影が少ないのは幸いだ。


 最寄駅まで徒歩の後、電車に乗り込む。

 ICカードの残高切れなどのトラブルなら、事前準備で防ぐことができる。しかしターゲットがエレベーターに乗るなどしたらこちらも乗り合わせるしかなくなり、緊張感の走るイベントになり得る。

 たかが尾行といってもこのように数々の障害や落とし穴があり、俺はそれらを回避するための術をおやっさんに叩き込まれていた。その経験を信じ、焦らず慎重に遂行するのみだ。


 俺とトオルを乗せた電車は、都心へと進む。


 トオルが座席に腰を下ろしたところを見ると、目的地はそこそこ遠いのだろうか。座っていれば降車の際は予備動作が大きくなるので、こちらも余裕を持って監視できる。

 トオルはアカリの言う通り黒いマスクをしており、顔は判別できない。ネットで顔出しはしていないものの、現実でも最低限の身バレ対策はしているのかもしれない。先程見た吊革との距離感を見るに、身長は175cmほど。男としてはやや長めの黒髪で、肌はアカリと同じく小麦色をしている。ケータイを弄っているようで、辺りを警戒する素振りはない。


 俺は揺られる電車内で、今ある情報をスマホにメモしていく。車内にはそこそこ人が多いので、カメラを使うのは控えておく。


 本来ならアカリからトオルの顔写真を予め貰っておくのが筋なのだが、いきなりそんな事を言われても写真なんか持ってないと言われてしまった。確かに俺だって今すぐ家族の写真を出せと言われても出てこないので文句は言えない。

 ただ、Xデーよりは前にトオルの素顔を調達しておきたい。兄妹で暮らしているとはいえ、いきなり普段は撮らない写真を撮ろうとすればアカリは怪しまれるかもしれないし、かといって卒業アルバムの写真などでは近影ではないため不安が残る。

 どうしたものか、こちらについても作戦を練らなければならない。


 何もかも中途半端に始まった潜伏取材。

 課題は山積みだ。しかし泣き言も言っていられない。お膳立てが整っているところに特ダネなどないのだから。



 トオルは新宿駅で降りた。

 そこは世界一の乗降者数を誇る駅。尾行の難易度は高い。


 亀戸で尾けていたときより、よりトオルに近づく。あまり警戒されていないのと、この人混みを鑑みればまぁバレることはないだろう。トオルは歩くペースが余り速くないようで、尾行し易くてありがたい。


 その足はバスターミナルへと向かっていった。尾行においてターゲットがバスに乗った際、当然尾行者もそれに着いていく事になる。

 しかし例えばターゲットが乗るバスを間違えてしまい、かつ発車前にそれに気付いた場合、その場で焦って下車するだろう。都バスは先払いなので下車するだけでも運転手に相談しなければならない。そうなった時、尾行者が追いかけようとすると非常に目立つことになる。そういったイレギュラーを想定して、駅のバスターミナルのような発車までの待機時間の長い局面において、尾行者は発車直前に乗車するのがセオリーだ。


 トオルが乗り込んだバスの発車時刻を確認し、そのギリギリで乗り込む。幸い座席は空き気味だったので、出口が見えるよう後方の席に向かう。途中、トオルが座る座席を横切る際に緊張が走るが、それを感じているのは俺だけだったに違いない。



 発車から10分程で、トオルは降車ボタンを押した。

 この辺りは証券会社やら保険会社やら、あるいは都の行政庁舎やらの巨大なビル群が建ち並ぶ、無機質で威圧的な街並みだ。車通りの落ち着いた太い道路に、一定間隔で街路樹が並んでいる。

 降りたのはトオルと俺だけだったが、先に降りたトオルは振り返りもしなかったので、心配はいらないだろう。


 ホテルサンシェード。

 そこがどうやら目的地のようだった。

 周囲の建造物に引けを取らない、高級志向の巨大なホテルチェーンだ。トオルはその華やかなゲートへ臆せず進んでゆく。


 さて、これでトオルがホテルの一室を予約している、あるいは既にチェックインした者と会合するような形になってしまえば、今回の俺の尾行は徒労に終わる可能性が高い。精々チェックアウトの瞬間を押さえてトオルに連れがいるか確認する程度の事しか期待できない。


 ゲートへ消えていくトオルの後ろで、俺の脚が止まる。

 これだけ人の出入りが落ち着いており、なおかつ警備員も目を光らせている環境で愚直にトオルを尾けることはできない。俺はしばらくホテル前の通りで電話で話す振りをしながら考えを巡らせる。


 トオルは学生なのだ。そう安易と高級ホテルの客室にまでは入れまい。ならば俺はここで少しだけ時間を潰した後、ホテルへ向かってもトオルを見失わずに済むかもしれない。


 尾行の際、服装はなるべく印象に残り辛いトーンで固めるのが鉄則だ。その上でターゲットの行動範囲に準じた衣装選びをしなければならない。正直トオルが今日何処へ行くのかなど見当も付かなかったが、俺は多少なりともフォーマルな出立ちで揃えてきたのが幸いし、ホテル内でも悪目立ちせずに済みそうだ。


 頃合いを見計らって大仰な大理石の階段を登り、ホテルのゲートへと足を運ぶ。


 するとそこは、汗ばむ屋外とは打って変わって冷房の効いた快適な空間だった。

 開けたエントランスホールにはシャンデリアが下がり、さらに外光を取り入れられる広いガラス窓によって自然で落ち着いた明るさが保たれている。広々とした空間には観葉植物が並び、どこからかクラシックの音色が聴こえる。向かって左にフロントを確認できたが、俺が注視するのはその反対側のロビー。

 そこには予想通りラウンジカフェが広がっており、グランドピアノを中心にテーブル席やソファ席が贅沢な間を開けて配置されていた。


 その窓際のテーブル席に、トオルは座っていた。


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