114話 The end does not justify the means
翌日、早朝の電車でアカリの家へ向かう。アカリが帰宅する前に、トオルがXデーとやらの下準備に出掛けてしまっては意味がないので、急がねばならない。
昨晩はぐっすり眠れるほど俺は無神経ではなかった。
普段俺が寝ているベットを薦めて良いものかと迷ったが、アカリは酔いに任せて堂々とそこに横たわり寝息を立てていた。そんな光景に不平等さを感じながらも、俺は床に座布団で寝たので疲れが取れていない。
そして今朝、そんな俺を尻目に元気なアカリが案内した先は、江東区の亀戸。随分と風情のある街に住んでるものだとも思ったが、着いたのは事前に地図アプリで調べていた通りの年季の入った普通のマンションであった。
「最後にもう一度聞くけど、兄貴にGPSとか盗聴器とか、多分ボクならバレずに付けられるけどやらなくていいの?」
「あぁ、そこら辺は倫理的に問題があるし、少なくとも俺はまだこの案件のスケール感も掴めていない。身内の手引きがあるとはいえ、法外な手は使いたくない」
特ダネを掴む局面において、ジャーナリストは時にグレーな手段を求められる。それは決して許されることでは無い――とも言い切れないのが実状だ。潜伏取材による盗撮や盗聴に頼ることでしか暴けない犯罪行為も政財界には溢れている。
どこまでが正当な取材行為なのか、そんな線引きは未だに曖昧だった。だから訴訟も度々発生するし、社会的な議論を生み続けているのだ。
そしてその議論に対するカウンターのひとつが、近年施行された特定秘匿法なのだろう。『出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする』と明文化されているものの、やはりプライバシー保護の観点をメインに据えており、乱暴な取材行為に睨みを利かせている。
あとはいかに大義ある取材であったかを強調し、世論を味方につけられるかに懸かってしまう。あるいは訴訟を通して判例が重なっていくことでしか、法律の輪郭など掴めないのだ。もうそこらへんは報道倫理とのせめぎ合いであり、答えなどない。
この尾行に大義があるのか、俺にはまだわからない。だからグレーな手段は選べなかった。
そんな俺の葛藤を他所に、アカリは返事を聞くとそれ以上食い下がりもせず古びたエントランスへと入っていった。
マンションの斜め向かいに小さな公園があることはリサーチ済みだったので、そこのベンチに座り張り込みを始める。早朝に男1人の姿はやや不釣り合いだが、タバコの一本でも吸っていればそこまで怪しまれないだろう。公園にはも皿の他にトイレがあるのも確認済みで、予め用を足して置きたい。なにせ1人での尾行はトイレに行くタイミングすら無いほど過酷なのだ。
ケータイにアカリからのメールが来る。
『もう外出準備してる、あと1時間以内には出ると思う』
現在時刻は7:30。
途中、エントランスから多少なりとも人の出入りがあった。それは本来ならば取材対象か否かを常に注視しなければならない。しかし今回はアカリの合図を待っていれば良いのだから気が楽だ。潜伏取材において、身内の協力があることの何と心強いことか。
俺はあらためて周囲の様子を観察する。
無意識的に直視しまいとしていたが、この公園の向かいのベンチには上半身裸の中年男性が仰向けになっていた。浮浪者なのか酔い潰れているのか、あるいは朝日を浴びる日課なのか定かではないが、こちらの警戒心を刺激するには充分だ。
それに他にも、この辺りが住みやすい土地には思えない理由があちこち目につく。
築40年は経過しているであろうアカリのマンションすらマシな方で、辺りの家屋やアパートはどこもカビが生えたり瓦が落ちたりしている。今日は日曜だというのに微かに立ち込める生ゴミの臭いは、ゴミ出しルールが守られていないのか自治体の清掃が行き届いていないのか。
小鳥のさえずりとたまに通る車のエンジン音だけの閑静な地区かと思えば、何の前触れもなく大声での口論が響き渡る。それは上手く聞き取れないが、どうやら日本語の発音ではなさそうだ。
下町といえば江戸っ子の住む町だと思っていたが、この辺りは必ずしもそうではないのかもしれない。
学生の2人暮らしで生活費を切り詰めているのだろうが、女の子のアカリが住むには少々治安の心配をしてしまう、そんな場所だった。
アカリから再びメールが来る。
『スーツに紺のネクタイ
いつも通りなら黒いマスクも付けてくと思う
ビジネスバッグ持って今玄関出るとこ』
マンションのエントランスを気取られないように注視していると、やがて人影が現れた。外見もアカリのメッセ内容と一致する。
俺は雑念を払い、意識を尾行任務に集中させる。
さぁ、取材開始だ。




