113話 八畳の作戦室
その後も、何かヒントがあるかと思い、あのまま会社の応接室でトオルの動画を見漁っていたら、気付けば結構な時間が経過していた。
「お前は……そろそろ帰らなくて大丈夫か?」
時計を見ればすでに18時を過ぎている。
「まだ、作戦会議をしてないぜ」
「作戦会議?」
アカリは得意気に人差し指を立てると、悪巧みをする子供のような表情をした。
「明日お兄ぃは取材の下準備をするって言ってたから……尾けるには絶好のチャンス」
概要はこうだ。
アカリとトオルは現在、共に大学生で二人暮らしをしている。アカリにそのマンションまで案内してもらい、俺はエントランスの見える所で張り込む。アカリは普通に帰宅を装い、トオルが家を出るタイミングと服装などを俺にメッセで伝える。そうしてトオルが出てきたところを俺が尾けるという作戦だ。
確かに彼女の言う通り、これを逃す手は無いだろう。
「尾行が始まってもボクは着いていかない方が良さそう。ボクは兄貴に顔が割れてるから、一緒に居たらバレる可能性上がっちゃうし」
トオル本人かどうかという1番大事な確認は、アカリから服装を教えてもらう事により間違えないで済む。だとしたらそこから先は素人のアカリが居てもできる事は少ない。
「それでいい。トオルは車を使うか?」
「運転はしないよ、免許持ってないし。長距離移動はバスか電車かな。金銭的にタクシーは使わないと思う」
1番気がかりであった点はクリアできそうだ。張り込みを伴う尾行は複数人で行うのが常だが、対象が公共交通機関しか使わないのであれば、俺一人でもなんとかなるかもしれない。
「わかった。じゃあ今日はもう帰って、明日に備えよう」
「なーに言ってんの、夜はこれからだぜ」
まただ。
この女は悪戯っぽく笑い、その瞳を輝かせている。
「さっ、夕飯買い込もっ。続きはキミの家でやるんだからさ」
「はっ? 何を言って……」
「ボクもほら、多感な時期だからお兄ちゃんと2人暮らしに思うところがあるワケよ。一緒にいるのにストレスな時だってあるし、最近は友達とオールして朝帰りみたいな遊び方もしたりして、そんで帰宅後即睡眠みたいなね。そういう日の方が兄者の警戒が薄いから、明日の尾行にもうってつけなのさ」
こんなまだ大学生の女に、俺はおちょくられているんだろうか。あるいは俺を意のままに動かす為に、何か弱みでも握ろうとして距離を詰めてきている可能性すらある。
「彼女さんとかいるんなら遠慮しとくけど……」
アカリがあざとく首をかしげると、サイドに結いた黒髪が垂れる。どうやら無頓着を装っている訳ではないらしい。
「お前は……割と客観的な視点を持ちあわせているのに、自己評価が高いんだな」
「んー? ……いきなり何さ。それに、そろそろ“お前”じゃなくて、アカリって呼んでよ」
小麦色の肌に浮かぶ桜色をした唇が、艶やかに光を反射した。
「ほらっ、乾杯しようぜ、かんぱいー」
2人座るだけでもういっぱいいっぱいのワンルームだが、アカリは嫌な顔ひとつせずに買い込んだ缶ビールを開けている。俺の部屋という見慣れた空間に、非日常が胡座をかいている。
「こっちはまだ二日酔いが抜け切れてないんだがな」
「昨日も飲んだの? 女の人いたかい?」
俺もビールの缶を開けると、アカリは手に取った缶を俺の缶にやや乱暴にぶつける。
「トオルが危ういというのも、お前……アカリがこの感じなら、きっと兄妹似てるんだろうな」
この兄妹はきっと行動力の権化なのだ。後先考えず、危険を省みず、信じた方へ突っ走る。
危ないと分かっている取材へ後ろ盾も無しに正義感だけで足を運ぶ兄も。それを守るために記者を尾行させるという突拍子もないこと思いつき、果ては男の家に一人で上がり込んでいるこの妹も。
「あーまたボクの質問無視したな」
既にビールを口にしていたアカリが、不満そうに漏らす。
「わざわざここまでして、他愛の無い話ばかりで時間を浪費したくはないだろ。……もう一度聞くが、トオルの取材先に本当に心当たりは無いのか?」
などと凄みつつも迎え酒を口にしている自分に矛盾を感じないでもなかったが、しかしここまで互いの距離を詰めんとする事になった以上、再度訊かずにはいられなかった。
アカリは顎に人差し指を当てながら考えている。そのともすればあざとく感じる様も、図々しくかいた胡座とアンバランスで笑えてくる。
「んー……なんか全国紙レベルのスキャンダルだって言ってた」
「なかなか大きく出たな」
どこまで信憑性があるかは定かでは無いが、俺のやる気を出させてくれる答えではあるのかもしれない。
「お兄ちゃんには計画があって、スキャンダルを暴く生放送をする日を調整してるっぽい。だからそれまでの下見とか準備してる間に探りつつ、Xデーに兄貴に降り掛かるかもしれない危険をキミに払って欲しいのさ」
アカリの言い分だと、Xデーとやらの当日はリアルタイムで配信するらしい。ならば視聴者の存在がある程度トオルを守ってくれるように思える。スキャンダルの対象と対峙しても、その姿が配信に乗ってしまっているなら相手方も下手にトオルに手はだせまい。
結局のところ、俺に取り払える危険だって同程度だ。報道機関として現場を押さえているぞ、だから下手なマネはするなよ――と脅す程度の牽制しかできない。
「相手がなり振り構わず暴力を振るってきたら、俺が身を呈してトオルを守る義理はないぞ」
俺はただの記者であり観測者なのだから。
「わかってるってー、保険だよホケン、キミの存在はね」
ほろ酔いなのか頬を赤く染め、缶を握ったままその小指で俺を指す。
俺では兄を守る力は弱いと分かっているなら、何故こんな回りくどい方法が兄の助けになると考えているのか。頭の中でそれらが堂々巡りしている間、部屋は少しだけ静かになった。
『――ミリオンワーカーズフィルム。それは働く全ての人にスポットを当てるドキュメンタリー』
27インチの型落ちテレビから、公共放送のドキュメンタリー番組が流れている。
『個人タクシーの制度改正から半年、施行直後に法人歴2年から個人に転向したドライバーを追いました』
アカリの方を見ると、赤い頬とは裏腹の真剣な目つきでテレビを見ている。こういう番組が好きなのだろうか。
『個人営業になり、自由に時間が使えるようになったAさん。しかし事務作業や整備など運転以外の部分について、思うようにいきません。もっと法人の頃に勉強していれば、と少し後悔していると言います』
こういう番組を見ると、職業柄作り手の方へ思いを馳せてしまう。取材内容もさることながら、ジングルやテロップなどがクールに挿入され、各カットが印象深く演出されている。その点は紙媒体の俺の仕事には無いアプローチで、少し憧れる。
『はい、そうですね。でも自分で決めた道ですから。それに……たまにですけどお客様に励ましていただけることもあって、そういった時の喜びは法人の頃の何倍も嬉しいんです』
敢えてカメラに目線をよこさず、仕事の最中にインタビューを受けているような見せ方には臨場感がある。タクシードライバーなど今後とも関わりの薄い職だろうが、それでも感情移入してしまう。
『しかし一方で、個人タクシーの条件緩和によりサービスの質の低下なども問題視されており、トラブルになるケースも――』
俺は窓を開け、夜風を取り込む。
そのまま部屋を背に、半身を乗り出し煙草に火をつける。
横目でアカリを確認するとまだドキュメンタリーに釘付けで、そばかすの浮かぶ肌を酒で紅潮させながらも、真剣な眼差しをテレビに向けていた。
俺はなぜ今日会ったばかりのこの女と、この部屋で同じ時を過ごしているのだろうか。
今の俺に解るのは、きっとアカリもトオルも報道という行いに真剣に向き合っているということ。
最近の若者には珍しく、相当な熱を持って行動に移している。トピックストリーマーのトオルはもちろんのこと、アカリだってトオルとはまた違った自分の主張を持っている。そしてその考えが、もしかしたら俺が長年考えあぐねてきたそれと交わるのではなどという、まるで同志を見つけたかのような高揚感。
「知らない事も怖いけど、世界に気付かれない事はもっと怖い。……知らないどこかで頑張ったり苦しんだりしてる人が居て、でもそんな人たちにスポットを当てられるなら、報道って素敵な仕事」
ドキュメンタリーに熱い視線を送るアカリは、そんな事を呟いた。




