110話 宏観異常
強めたクーラーの冷気は既にこの応接室の部屋中に充満しているが、それでも肌寒くは感じない。そんな熱の籠った視線が俺たちの間には交わされていた。
「ではあなたの依頼は、その素晴らしい報道をしている兄を取材して世に広めて欲しいということでしょうか」
少しトゲのある言い方になってしまったかもしれない。
ネットにアフィリエイトが普及すると、収入目当てにニュースや情報を発信しようとする者が急増した。しかし放送法により秩序の整ったテレビなどと違い、ネット上のそれは無法地帯である。
そしてそのアプローチが今や動画配信にまで及んでおり、その先駆者たる者がトピックストリーマーなのだろう。先行者利益があるのならさぞかし儲かるに違いない。新聞や雑誌の真似事に飽きたらず、遂にニュース番組ごっこまで始めたということに、俺は嫌悪感を抱いてしまう。取材に私情を挟むべきではないが、トオルの活動を肯定的に扱える自信はない。
「えっ? 何それ、違う違う」
しかし、その答えは俺の想像するものでは無かった。
「お兄が取材って言って危険な案件に首を突っ込もうとしてるから、それを見張って欲しいのさ」
アカリの話はこうだ。
兄のトオルはネット配信でニュースを取り扱っているのだそうだ。今は一般メディアのニュースを若者向けに噛み砕いて解説する動画チャンネルを運営しているらしい。しかし視聴者がある程度増えた今、自主的に仕入れたニュースに自身の主張を乗せて配信することを目指しているという。
そしてトオルの最初に選んだ取材先が、アカリ曰くとても危険なものである――とのことなのだ。
「あなたはお兄さんを止めないのですか?」
「それは……、ボクだって止めようとしたけど聞いてくれないんだもん。自分にしか追求できないスクープなんだって言ってさ」
「なら、警察は? お兄さん自身に落ち度が無いのであれば、警護なりを相談できるのではないでしょうか」
「あるでしょ、落ち度は。素人が自分から危険なヤマに突っ込もうとしてるんだからさ。……だからどうせ交番は門前払い。最近は数字目当てで危険な配信をする若者が増えてきてるけど、そういうのは身内が止めさせろ――って言われるのがオチ」
意外にも、この妹は兄の行為を客観視できているようだ。
「つまり警察にもそのスクープ自体の説明はできない、ということですね?」
責められていると解っているようで、アカリはバツが悪そうに頷く。
もし犯罪告発系の特ダネがあり、それを世に知らしめたいのであれば、自分が取材せずとも警察に通報すればよいハズだ。本当に犯罪性が認められるなら調査に乗り出してくれるだろう。しかしトオル曰く、自分にしか追求できないスクープらしい。その意味合いは聞かずとも嫌というほど分かる。
ジャーナリストとしてのエゴだ。
自分の取材こそが深淵にまで及びそれらを白日の下に晒せるという願望。早い段階で安易に警察に介入されてしまえば、その本質的な部分は隠されてしまうかもしれない。しかし自分の取材を以てすれば、その先にまで辿り着けるに違いないという誇りにして、驕り。
「……そのスクープとは何なのですか?」
俺は本題に切り込む。
結局、ツワブキがこの依頼を受ける価値があるかは、トオルとやらの掴んでいるスクープの質次第なのだ。
「……知らない」
アカリの頬を汗が伝う。
まぁ、そうなのだろう。
トオルは恐らく、そのスクープはタネを知っている者すら危険に晒すと考えている。アカリは知らされていないからこそ、こんな回りくどい方法で兄を守ろうとしているのだ。
「そこはさ、キミ達の取材力で、兄ちゃんの追ってるネタも暴きなよ。その過程で兄様に及ぶ危険をキミ達が止められれば、それだってスクープになる。悪い話じゃないでしょ?」
「それは、お兄さんの追っているネタの質が担保されている場合です。その一切が明かされないのであれば、こちらも会社として人員は割けません」
危険がついて回る程の案件なら、こちらにもリスクがある。しかもその危険の方向性すら分からないのなら、今の段階では対策しようがない。
第七號島の件のように反社会勢力を相手取るのか、あるいは国家の陰謀でも暴こうというのか。いや、所詮は素人の配信者だ、ネットアイドルの彼氏バレ程度のスクープの可能性だってあり得る。それだって取材の仕方によっては暴力沙汰になる危険があるとも言えるのだ。
「ボクがキミを口説いてみせるぜ。時間をかけても」
……いや、悪いがそういう問題ではない。
この国の報道を変えようと、トピックストリーマーという新たなアプローチで報道に臨む者――速水トオル。その彼が追っているという危険を伴うスクープ。それが気にならない訳では無いが、しかしこれだけの情報ではお引き取り願うしかない。時計に目をやれば、もう20分ほどが経過していた。
断りの言葉を口にしようとした時だった。
ノックの音を聞き終える間もなく、おやっさんが応接室に入ってきた。
「あー……お取り込み中失礼、私はここの社長、小鳥遊です。本日はどういったご用件で?」
本来なら帰っていただく予定だったが、それでもおやっさんが話を聞いてくれるということは、アカリは幸運なことにもう一度だけチャンスを得た。




