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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第07章 回顧録メタノイア
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109話 偽

 記者の仕事に定休日はない。

 それでも平日に比べれば土曜は人の出入りが少なく、出勤していたとしても取材に出払っている者が大半だ。社内にいるのは締切間近の原稿を書き上げようとしている者であり、先輩たちは皆集中してデスクに張り付いている。

 だから、この取材して欲しいという女性には俺が対応するしかなさそうだ。幸か不幸か俺の雑務は後回しでも何とかなる。


 渋々、彼女を応接室へ案内する。

 俺はお茶を2人分用意し、そして自分のノートPCを開いて彼女の正面の席に着いた。


 向かいに座る彼女はキャップを脱いで、それで自身をあおいでいる。結われたサイドテールにより露わになったうなじや前分けの隙間から覗く額には、やはり汗が滲んでいた。俺はリモコンで室温を下げる。


「先程は失礼致しました。そして取材依頼とのことでしたが、先ずは記入シートの方を頂戴してもよろしいでしょうか」

 テンプレの用件シートは、彼女をこの部屋に通した際に記載を促したものだ。俺はそれを受け取る。


名前 速水(はやみ)アカリ

年齢 21歳

住所 東京都江東区亀戸

用件 取材して欲しい人物の紹介

連絡先 xxxx@yyy.co.jp


「あぁ、それ偽名だから」

 彼女はあっけらかんとそう言い放つ。

 まぁ、タレコミなど匿名で電話越しだけの事例が大半だ。便宜的な呼び名があれば偽名だろうと構わない。この取材とやらも明るい話題ではないのだろう。


 ウチのような週刊誌に来る取材依頼は、会社の内部告発や芸能人マネージャーのタレコミなんかが主だ。たまに、地方自治で起きている問題を知って欲しいという住人の依頼なんかもある。

 そしてこの女性は人物取材をご所望らしく、どうやらその対象は自身ではないらしい。そしてわざわざ偽名を使うことから想定できるのは……

「この取材というのは、当人にバレないように取材して欲しいということでしょうか」


 俺はなんとなく、思い当たる例を口にした。

 彼女……アカリはきょとんとする。

「わっ、すごいねぇ。正解。どうして分かったんだい?」


 記者を探偵代わりに使おうとする者が稀にいる。

 もしスクープ性の高いタレコミならば記者は無償で動くだろう。スキャンダラスな人物への情報収集、尾行、そして激写。問題はその対象が本当に取材する価値のある人物なのか。そうでない身内の問題事であれば、興信所の方へとお引き取り願いたい。


「それで、その取材対象とはどなたでしょうか」

 俺は、アカリの会話ペースに持ち込まれないよう、意図的に質問を流して続ける。彼女のこのなんとも間の抜けたテンポで話していると、大事なことを聞きそびれてしまいそうになるのだ。


「お兄ちゃんだよ、ボクの」

 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、アカリは誇るような笑みを浮かべながらそう言った。


 肉親。それが本当ならば、客観的には大した話題性の無い内輪の問題と見て間違いないないだろう。まぁ、そう簡単にスクープなど転がり込んでは来ないのだ。だから俺たちは汗水垂らして毎日駆け回っている。


「……お兄さんは何をされている方なのですか?」

 俺にも今日中に片付けてしまいたい仕事があるのだ、そろそろこの案件をお引き取り願う口実を引き出さねば。

 などと早々に切り上げモードに入ってしまっている俺を前に、そんな事情など露知らずといった素振りでアカリは得意げに答える。

「トピックストリーマー!」

「……トピッ?」


 聞き覚えの無い横文字の前に、間抜けな声を出してしまった。ただ時世を追う者として、どんなことであろうと知らないことは恥ずかしい。俺は手元のノートPCで素早くその単語を検索にかける。


 しかし、その単語の意味はヒットしなかった。そもそもヒット数自体も少なく、とても浸透している単語には思えない。そして検索トップに来たのは、速水トオルという個人の動画チャンネルだった。

 なるほど、トピックストリーマーとはトオルという者の造語なのだ。そして彼の姓が速水なら、こいつが彼女の兄ということなのだろう。まぁ兄妹共々偽名なのだろうが。


 トピックという単語は聞き慣れているから、今度はストリーマーという単語で検索をかける。どうやらそれはリアルタイムで動画を配信する者の事を指すらしい。


 通信環境が強化されてきた昨今、若者の間でネット上での生放送のようなものが流行りだしたと耳にした事がある。音声のみのラジオでも無く、一対一のテレビ電話でも無く、一個人が不特定多数に向けてライブ放送をするのだ。そんなもの何に使うのかとも思ったが、オタクのゲームプレイ配信や夜職の化粧配信に何百人もの視聴者がつくらしい。若者のサブカルはよくわからん……なんてまだそんな歳ではないはずなのだが。

 なんにせよこの女性は、ネット上で担ぎ上げられた兄にスクープ性があると勘違いしている可能性が高い。


「兄貴は今、新しいカタチの報道に携わってるのさ」

 一瞬、俺の思考が固まる。

 それは軽々しく言って欲しくない言葉だ。


「……興味深いですね。動画サイトで活動されているようですが、これがその新しい報道のカタチということなのでしょうか」


 なるほど。『トピック』+『ストリーマー』。

 そんな肩書きを名乗り、そこが報道の最前線であるなどと、この場所でのたまうのは我々への挑戦状なのだろうか。


「あ! 調べたんだね! そうそう、そのハヤミトオルってのが兄様。この国の報道を変えようと頑張ってるんだぜ!」


 俺は少し、この女性の依頼に興味を持ち始めていた。


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