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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第07章 回顧録メタノイア
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105話 虎の尾

 社用のミニバンを走らせ、目黒にあるツワブキ出版へと帰社したのは日が落ちかけた頃だった。


「橘、秋山、戻りました!」

 オフィスビルの中層階に構えるそのフロアは、端まで並んだ100ほどのデスクとそれを覆い隠す大量の書類で埋まっている。俺達は自分の出勤ボードのステータスを在席に変え、社用車の鍵をキーボックスに戻す。


「おう! 収穫は?」

 ちょうど喫煙所から戻ったところだったのだろう。俺たちが席に着く前に、たまたま近くを通りかかったおやっさんに呼び止められた。


 180を超える体躯に、腕まくりしたシャツの上からでも分かる筋肉質な身体。髭を蓄え角刈りにした厳つい風貌は、カタギとは思えない迫力がある。

 俺たち社員が親しみを込めておやっさんと呼ぶその男の名は小鳥遊(たかなし)(じょう)。このツワブキ出版の社長だ。業界ではやり手として名が通っていた豪傑であり、俺はこの人を心底尊敬していた。


「ちょっと入り組んでそうで相談したいことがあるのですが、この後お時間頂戴できますか?」

「分かった。会議室押さえとけ」

 おやっさんは時計を見る素振りもせずにそう言った。



「成る程……こいつぁ虎の尾を踏むかもしれねぇな」

 秋山に運転を任せた帰路、俺は助手席でノートPCを開き今回の取材内容を整理した。それを読んだおやっさんは、クーラーの効いた会議室で熱いコーヒーを啜りながらそんなことを呟いた。


「圭一、まずお前の意見を言ってみろ」

 おやっさんは、いつも経験の浅い者から順に意見を仰ぐ。


「えーっと、そうっスね……最後に取材した女性。彼女はテレビの取材陣にうんざりしてたっス。何を訴えても自分の思いは報道されないって、それって彼女の話がテレビに不都合だからじゃないっスか?」


 彼女の話はこうだった。

 戌亥団地に住む人の7割は古くから居る日本人の貧困高齢者、3割は流れ者の在日外国人コミュニティで構成されている。在日外国人は主に中国系、次いで韓国系が多く、ベトナム人の彼女はさらにマイノリティだそうだ。


 そして彼女は、政府の立ち退き条件を好意的に受け取っていた。島内でも立場の弱い人々は新天地での暮らしを望んでいるのだ。そもそもスラム化しつつある第七號島を捨てたいが貧困により滞留を余儀なくされている人々にとって、再開発の立ち退き話は渡に舟だった。


「今、テレビはベイエリア開発叩きにやっきになってるっス。報道陣は対立の画が撮りたいだけだから、立ち退きに協力的な住人の声を無視したんじゃないっスかね」

「まぁその線は固ぇだろうな。だが、それだけならただのありふれた偏向報道だ……乙郎は?」

 それをありふれたものとして吐き捨てるのも中々の胆力だが、しかしこれはありふれたものではない。それを薄々考えていた俺は、慎重に答える。


「……この偏向報道は、電波オークションの阻止をしたいマスメディアの思惑によるものだと考えます」


 ベイエリアで行われる都市計画は、最先端技術や制度の実験が盛り込まれている。政府はここを特区と位置付け、様々な施策を試し、成功したものを全国へ広げていこうという計画だ。

 その施策の中に電波オークションがあった。


 現在の日本では、テレビやラジオ、携帯電話などで使用される周波数帯の全てを総務省が管理している。テレビ放送は放送法によって免許制になっており、総務省の認可を得てチャンネルが割り当てられている形だ。これが既得権益となりテレビ局と総務省の癒着を生んでいた。

 反して、ほとんどの先進国では電波オークションが採用されている。周波数帯をオークションにかけることで放送局の新規参入が容易になり、競争が活発化する事で報道の質が上がると考えられるためだ。


 キー局としては既得権益を失い競争相手が増える電波オークションを何としても避けたい。都市計画で行われる一部周波数帯のオークション実験が全国へと広がる足掛かりになるのではないかと恐れ、ベイエリア開発叩きを行っているのではないか。


「根拠は、彼女の口にした“第七號島を守ると口にする知らない者たち”の存在です。……彼等は『派遣市民』なのではと俺は考えています」


 派遣市民。

 本来、その地域に根付く問題の抗議運動やデモ活動は、当事者たちの起こすものだ。しかし衝突を演出するために他所の地域から足を運び、まるで当事者であるかのように振る舞うステルスの活動家たちがいる。それは俗に派遣市民と呼ばれていた。


「恐らく、一部のテレビ局とは完全にグルなのではないでしょうか。世論をベイエリア開発中止へ傾ける為に、結託してあの舞台を演出しているとしたら」


 おやっさんは、俺に視線だけで先の言葉を促す。間違っていればすぐに口を挟む人なので、俺は自分の推理に幾ばくかの自信を持つ。


「在日外国人は出自が追い辛い者も多い。そんな人たちが利用されて派遣市民の兵隊にされることも珍しくありません。今回の戌亥団地は元から外国人コミュニティのある舞台だから彼等が入り込むことも自然にできた」


 こんなに長い時間、おやっさんが一方的に話を聞いてくれたのは珍しかった。だから俺は驕りを承知の上で、身体を乗り出して社長に進言する。


「ここで退いたら、ただ立ち退き賛成派の住民を見つけたってだけの記事です。でもちゃんと派遣市民たちを追えれば、裏にいる巨悪も暴けるかもしれません!」

「だが相当危険なヤマだ。お前の言う通りなら、暴力団やカルトみたいなのが裏で手を引いてる可能性が高い」

 おやっさんは凄みを効かせ、俺の言葉を遮った。虎の尾を踏むとは、つまりそういうことなのだ。


 しかし俺だって退きたくない。

 人々の意識から一番遠い当事者に耳を傾ける――というツワブキのスタイルに則りやっと拾えたあのベトナム人女性の声を、これで終わらせてはならない。


 しばらくの間沈黙の睨み合いが続いたが、先に緩んだのはおやっさんの表情だった。

「『両輪』に掲載される全ての文字は取材に基づいている。今の状態で派遣市民だの巨悪だのの妄言を載せる訳にはいかねぇなぁ」


 『両輪』はツワブキ出版の看板誌だ。政治経済を扱うビジネス誌でありながら一切の社説を載せず、社員の主観を限りなく排除することに拘っていた。


「続けるぞ、このヤマ。リスクを軽減できるよう人員も最大限増やす! ……乙郎、お前の手柄だ」

 おやっさんはニカっと笑うと、残りのコーヒーを一気飲みしてすぐに会議室を出て行った。


 俺は緊張の糸が切れたようにへたり込む。初めてここまで認めて貰えた嬉しさと、後戻りのできない焦燥感が、頭の中でいつまでもぐるぐると回っていた。


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