103話 ニュースルームの閾値
「話は大体判りました。菖のこと、お礼を言わせて下さい」
帝国研究病院の入院棟。その最上階の高級病室で俺は、チカラの復活した菖と3ヶ月振りの再会を果たした。それもこれも、研究医たる聡美さんのお陰である。
「――ありがとうございます」
「貴方が鷹野さんの何なのかはまだイマイチ判りませんけど、とりあえずこちらにも利益があると思ってやってる事なので、お礼されるような事ではないですね」
足を組んで正面のソファに座る彼女は、無愛想に応えた。
「ただ、もし何か感謝みたいなものを感じていてくれてるのなら、それを利用したいという考えはあります」
「さっき言ってた、手伝って貰いたいこと、ですか?」
今日偶然会った俺に頼むこととは何だろうか。
菖の方へ視線をやったが、彼女も首を傾げている。
「……小鳥遊丈を捕まえるのに協力して下さい」
その聡美さんの言葉で、隣に座っていた菖が後ろ手で俺の服の裾をぎゅっと握り締める。この反応、彼女は父親の件については聡美さんには話していないのだろう。
「急に話が飛びましたね。俺がツワブキ出版の元社員だってことは当然知ってるって事ですか?」
「えぇ。一刻でも早く小鳥遊丈の持っている情報を抑えないと……この国は大変なことになります」
大袈裟な物言いにも聞こえるが、彼女の表情は真剣だった。
菖と離れていたこの3ヶ月。
俺は至る所でこの話題に触れてきた。小鳥遊丈……おやっさんの握っているとされる配信者転落死事件の目撃情報は、多くの人が追っている。
研究医の彼女までがその話をするのは、政治家である父親の息がかかっているからだろうか。この国が大変なことになる――というのが医学的見地からの話とは思えない。
どちらにせよこの話で俺に退く選択肢はなかった。
「協力します。その代わり、ここから先はジャーナリストとして臨ませて下さい」
「……知り得た情報を発信したいとでも言うおつもりで?」
聡美さんが警戒して眉をひそめる。
小鳥遊丈の件は公安が動く極秘の案件なのだから当然だが、俺が言いたいのはそうではない。
「俺は空色のジャーナリストでした。そこだけは最後まで貫いたつもりの、俺の誇りです。だから小鳥遊丈の事で貴女に協力するのなら、アオ派の人間にも等しく協力したい」
そうでなければ、フェアではない。
そうでなければ、ここまで来た意味がない。
「変な人。……つまり私がシロ側の人間だから、バランスを取るためにアオ側の人間も引き入れた上で小鳥遊丈を追いたいってことですか?」
「俺と一緒の事故でこの病院に来た2人は、知り合いのトピックストリーマーです。彼等をここに呼んで下されば、俺にも話せる事情があります」
特権民御用達の施設にピックスを受け入れ、公安絡みの案件の情報共有をしろなど、到底無理な相談だろう。
聡美さんはまだ怪訝そうな顔を続け、俺を品定めする。
「協力して欲しいと言ったのは私ですけど、それにしても随分と強気な提案をしてくるのですね。そんなに自分を高く見積もって……貴方の情報にそれだけの価値があるのですか?」
「折り合いが付かないのは当然です。そうしたら俺はまた1人で行動するだけです」
しばらく沈黙の睨み合いが続いていたが、痺れを切らして口を開いたのは菖だった。
「こうなったらおつろーくんは頑固だから諦めた方が良いですよ。自己評価低い割に意味不明なプライドは高いんだから、この男は」
そう言いながら俺に向けられる瞳は、やはり茶目っけたっぷりに笑っていた。しかしその言葉にため息で返した聡美さんは、想定外の返事を口にした。
「……分かりました。こっちも時間が無いですし、その条件を飲みます。“貴方は信頼に足る”と信じていますので」
聡美さんはハオランとスンウを探しに、病室を出ていった。
ピックスを引き入れてまでこちらの条件を飲むところを見るに、彼女も相当追い詰められているのだろう。
「ね、私が復活して嬉しい?」
2人残された高級病室、そのソファで身を寄せてきた菖が、俺の脇腹を肘で突く。
「こうなってるなら、連絡くれても良かったんじゃないか?」
「おつろーくんを驚かせようと思ってね」
そう言って顔を見合わせると、やはり込み上げてきたのは安堵であり、顔が綻んでしまう。そんな俺を見て、菖もやはり微笑み返してくる。
「そっちはこの3ヶ月で、少しは前に進めた?」
「あぁ、……待たせたな」
ここには菖がいる。
俺はもう、過去を自分のものだけにしておかない、その覚悟を決める時なのだ。
3ヶ月前にした、俺の話を聞いてもらう約束。
「私以外にも聞かせるつもりになったなんて、ちょっと妬けちゃうね」
菖はそうやって、また俺を揶揄った。
20分ほど経った後、この高級ホテルも顔負けの病室に、スンウとハオランを連れた聡美さんが帰ってきた。
「かーっ! なんちゅう部屋だよここは。特権民サマやってんなァ!?」
「あんまり品性の欠けた発言ばかりしていると、セキュリティ呼んで叩き出しますから」
スンウと聡美さんの会話を聞くに、ここに至るまでも決して平和的ではなかったようだ。
「運転手サンのお陰で潜入成功ネ! それにそっちのお嬢サンは……アヤメ!」
「ハオラン、ちゃん! 覚えててくれたんだー!」
聡美さんの簡単な説明によると、2人は早くに診察を終えたがそのまま警察に捕まり、事故現場の検分に付き合わされていたらしい。よくよく考えれば当然しなければならない工程だ。
「おい橘サンよぉ、この医者がおめぇの名前を出したから着いてきてやったんだ。状況を説明して貰おうじゃねぇか」
「スンウ、ハオラン、俺は君たちに隠していた事があります。今からそれを聞いて欲しい」
返事になっていない俺の言葉に、スンウはすぐさま思考を巡らせたようだ。何かの条件が整ったことにより俺が腹を割ろうとしてる事くらいまでは、読み取っただろう。
「……この姉ちゃん、何者だ?」
「この人も小鳥遊丈を追っています。彼女は研究医なんですが……」
俺が聡美さんのプライベートを語りあぐねていると、彼女の方が口を開いた。
「東京都知事、郷田和義の娘です」
「はっ! なるほど、そりゃ退屈しなさそうだな」
4人がソファに着いても尚、空間に余裕がある。
そんな一息ついたタイミングで、俺は切り出した。
「――俺は正直、アオだのシロだの思想による分断が起きているこの世の中が、間違っていると思っています」
つい先程、空色の活動家と一悶着あったスンウたちにとっては、気持ちの良い話ではないだろう。政治家の父を持つ聡美だって、おいそれと共感できる話ではない。
ここにいるのは本来なら一同に集い話し合うなど叶わないような、対極の思想を持つ者たち。それでも、伝えなければならない。
伝え合うことでしか、人は前に進めない。
「ただ、個人ならば信頼に足る相手はいくらでもいることも知っています。ここには目的は違えど小鳥遊丈を追っている人々が集まっていて、そして力を合わせればそれが達成できるとも思っています」
あのスンウですら、もう軽口は叩かない。
本来ならピックスかつ在日外国人という立場では到底入れない場所に、どういう訳か俺の口利きで招き入れられたのだと理解しているからだろう。
俺の言葉に、それなりの価値を期待しているからだろう。
「だから信頼の証に、先ずは俺から話をさせて下さい……小鳥遊丈は、配信者転落死事件の目撃者ではありません」
ふと目に入ったのは、少し離れたベッドに座っていた菖の、優しくも背中を押してくれるような表情であった。
「……私人Xは、俺なんです」
皆が息を呑む気配を他所に、俺は長い昔話をはじめた。




