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絵空事イデオロギー  作者: 千枝幹音
第06章 善後策リフレーミング
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102話 デバイスジャック・シンドローム

「とりあえず入りましょう。色々と説明しなければなりません」

 聡美さんがそう言うと、菖は嬉しそうに俺の手を引いて室内へと引っ張り込む。パーカーにドルフィンパンツというラフな格好を見るに、ずっとこの部屋に居たのだろう。


 俺は菖がこんなところに居る疑問よりも先にチカラが復活した驚きを口にしかけたが、すんでのところで言葉が詰まる。この場には聡美さんもいるのだ。


「私が治したんです、彼女の眼。……失明を治せた訳ではありませんが、スマホを通して外界を視るチカラの一部は取り戻せました」

 そんな心理を嘲笑うかのように、聡美さんが応える。


「そうなの! まぁ今は白黒の他は紫くらいしか視えないし、他人のスマホを覗き見るのはできなくなっちゃったけどね……でも天才なんだよっ、聡美さんって!」

 瞳を爛々と輝かせた菖が、自慢げに言い放つ。


 高級ホテルとも見紛う室内。

 この“病室”のソファに腰掛け、俺は2人から事の顛末を説明してもらった。




 半年前。

 俺は突発的な成り行きにより、中枢先進医療センターに軟禁されることとなった。その際に菖も引き入れようという話になり、迎えに行ったのが聡美さんであった。


「営業所から出てきた彼女を見て、先ず真っ先に気になったのはその眼球運動です。それに玄関は門灯で明るかったのに、彼女の瞳孔は不自然に開いていました」


 それはきっと医者だからこそ気付けた異変なのだろう。


「だから言ったのです。貴方の助手が“こんな子”だったなんて聞いてなかった――って。でも一向に説明してくれる気配は無さそうでしたから、あの時は追求しませんでした」


 あの時点で既に気付かれていたとは驚きだ。

 しかし眼球の異変を感じたとしても、スマホの画面が眼裏に“視える”事で世界を認識しているというところまで辿り着けはしない。何故なら菖はヨミワタシの巫女という特異な境遇に生まれ、本来なら鷹が持つ筈の特殊な能力が偶発的にスマホに宿ったという、とても信じがたいオカルトのような……


「――いや、オカルトなんです、それは」

 聡美さんは呆れたように目を細め、指摘する。


「プラセボの一種。だから強くそう思い込んだ事が関係していないとは言いませんが、けれど原因は別にあります」

 彼女はそう言うと、テレビのウェブブラウザモードを起動して、とあるページを開いた。


 『知覚性デバイスジャック症候群』


 それは5年ほど前に発表された論文だった。

 情報デバイスが急激に普及した昨今、社会病理としてテクノ依存症が指摘されるようになってきた。これはネットを介したコミュニケーションに没頭してしまうことにより、精神に異常をきたす症状である。


 これと対を成すように、情報デバイスの普及による身体への影響の懸念を体系化し警鐘を鳴らさんとするのがこの論文の趣旨。それらのうち一部の症候群を『知覚性デバイスジャック』と定義づけている。首都圏に住む若者にのみ発症が認められているのは、地理的な磁場の影響だとする説が有力とのことだ。

 人類に多大な恩恵をもたらす通信網も、過剰になれば副作用を及ぼす。それは精神面も肉体面も同じなのかもしれない。


「IoT化と通信システムの進化によって、現代人は毎日のように高いエネルギーの電磁波を浴び続けています。私はその中でも特に、デジタルネイティブ世代への影響を研究していました」

 聡美さんが噛み砕いた説明をくれる。


 デジタルネイティブとは、即ち物心ついた時からスマホなど様々な電子機器に触れていた世代だ。SNSでのコミュニケーションに慣れ親しみ、テレビや紙媒体ではなくネット上からの情報収集を当たり前とする。

 ちょうど、菖くらいの年齢から下の子供たち。


「成長期をそうした環境で過ごしてきた世代。彼女らが肌身離さず持ち歩き、毎晩枕元に置かれ続けてるスマホは、特にその症状を顕著に示しました……それはまるで、持ち主の脳波と接続されているような挙動」

 聡美さんは菖の握るスマートフォン――アイちゃんに目を落としながらそう説明を続けた。


「これは一例ですが、着信が持ち主の身体でも知覚できる事例が確認されています……わかりやすく言うと、スマホが鳴り出す前に着信に気付く子がいるのです」


 俺の頬を、冷や汗が垂れる。

 確かに、そんな不思議な瞬間を何度か目撃した記憶がある。そしてそれらは全て、デジタルネイティブ世代の子たちだった。


「けれど見つかる症例は、それの他には電子レンジ付近で頭痛を覚える程度の些細なもの。だから私たちの研究も長らく停滞していました。この子に出会ったのはそんな折。視覚情報まで接続されている特殊な症例かもしれないと、私の心は踊りました」

 そう言う聡美さんは、しかしどこか後めたそうな表情をしている。研究医とは不幸な患者のお陰で前へ進める職なのだと、彼女の瞳は訴えていた。


 そんな空気を払うように、今度は菖が口を開く。

「だからそれを確かめるために、でも私の事も尊重してくれて、聡美さんはサインを送ってくれたんだよ」


 菖曰く、中枢センターの病室をチェックアウトしたあの日、部屋の扉前まで俺たちを迎えに来ていた聡美さんは、スマホのメモ帳に誰に見せるでもない文字を打ったそうだ。


『鷹野菖さん もしこれが読めているなら、私は力になれるかもしれません 決心がついたら連絡を XXX-XXXX-XXXX』


「――びっくりだったよ。でも聡美さん悪い人じゃ無さそうだし、番号は直ぐにメモっておいたの。それでその後すぐ……おつろーくんは都築さんと言い合いになったでしょ? だから伝えるタイミングを逃しちゃって」


 そして時は流れ、菖はチカラを失った。実家での療養中に聡美のメッセージを思い出し、薊さんに相談し、そして頼る決心をしたのだそうだ。

 聡美さんは菖をこの病院に招き入れると直ぐに原因を突き止め、劣化していたアイちゃんの部品を適切に修理させた。そうして視界は部分的に復活し、そのお礼として菖は臨床データ収集の手伝いをしているという。


「そんで結局、3週間くらい前からここで寝泊まりしてるの。もう最っ高の住み心地で、一生ここで暮らすのも悪くないね。今のところ怖い人体実験もされてないし」

「……この子は特例です。強力なプラセボを引き起こす背景を持っていた上で、失明なんて不運に見舞われてしまった。でもお陰で貴重なデータが得られるのは間違ありません。だから医学の発展のために協力してもらっています」


 菖のブラックジョークを流しながら、聡美さんは話を締めた。


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