101話 補助線なき再会
交通事故による外傷は、本人の自覚が無くとも一刻を争う事があり得る。だから俺たち3人は待合室などに腰を下ろす暇もなく、バラバラに診察室に通された。
ここ帝国研究病院は、かつて最も権威のあった国立病院であった。現在はより先進的な施設がベイエリアに建てられ、この病院はその役割を失いかけているが、依然として大規模な研究医療施設であることに変わりはない。
旧棟の外観は赤レンガ造りであり、かつての栄華を感じさせてつつも今の時代では古めかしさが勝る。俺の通された診察室も扉や壁などは経年劣化の跡が見えた。しかしそれと対照的なPC周りには見たこともないような機材が目立つ。
問診、触診を経て、念のためMRIを勧められる。
俺は言われるがままそれらの検診を受けると、全て終わる頃には正午に差し掛かっていた。
隙間時間にスンウやハオランの状況を知りたくなったが、メッセージアプリのアドレス交換を怠っていた事に気付き、諦める。彼等は俺よりも元気そうだったので、もう解放されてその足で病院内を嗅ぎ回っているかもしれない。
後はMRIの結果待ちなのだが、中々に時間がかかっているようだった。
「……今日は池袋でも救急車が出動していたようですし、病院は大変ですね」
診察室で俺に付いてくれていた看護師に探りを入れる。
「あぁ! その患者さんもウチに来てましたね。軽傷だったみたいなんで今日はみなさんツいてますね~」
口が軽いんだか、経験が浅いんだか。
この新人のような看護師は、驚くほどあっけなくその情報を漏らした。派遣市民やら黒幕やらの思惑を抜きにしても、患者の情報はもう少し秘匿して欲しいものである。
「こらっ! 今のも歴としたプライバシーの漏洩になるんですから。コンプラ研修もう一度受けたいんですか!?」
奥からどこかで聞き覚えのある女性の声が、看護師を叱る。
「すっ、すみません……それだけは勘弁して下さい~」
「まったく、どうなってるんですか最近の新人は」
そう言いながら現れたのは、白衣に身を包み聴診器を首にかけた女医であった。前髪は前分けで綺麗に耳にかけ、後ろ髪はハーフアップにしている。その衛生的な髪型とは対照的に、鋭くやや充血した眼下には、以前よりもさらに濃いクマが浮かんでいた。
知った名前が記されている名札を、俺は無意識に読み上げてしまう。
「郷田……聡美さん……?」
「半年振りですね。ウチのペーペーが漏らしたことについてはオフレコで頼みます」
そう言って聡美さんはもう一度看護師を睨む。すると彼女は手を合わせて片目を瞑り、俺にお願いするかのようなジェスチャーをした。かなり強めに叱られている筈なのだが、緊張感の無い振る舞いだ。
聡美さんはため息を吐いて、部屋に出て行くようにと看護師に手を払った。彼女はお茶目に小さく舌を出し、そして退室した。
「MRIに異常は見られませんでしたから、湿布だけ出しておきますね」
デスクチェアに腰掛けた聡美さんが、ぶっきらぼうに切り出す。
「……臨床はやらないんじゃなかったんですか?」
「えぇ、だから今は貴方に用があって来てるんです」
郷田聡美。
彼女は研究医にしてあの郷田都知事の娘であり、また俳優であるハヤトとは双子の関係だ。以前は東京湾埋立地にある中枢先進医療センターに勤めていた筈だが、今はどういう訳かこの帝国研究病院に居るらしい。
「どうしても中枢センターの方ではできない研究があって今年からこっちに来ていたら、たまたま目に入った患者リストに貴方の名前があるんですもの」
おしゃべり好きなのは相変わらずなようで、こちらの反応も待たずに捲し立てる。これはコンプライアンス違反ではないのだろうか。
「橘さん、私を見て驚いていましたね……それが演技でないなら、貴方がここへ来たのは偶々ってことですか?」
これは何の話だろうか。
ここで診察を受けている理由を考えれば、決して偶然ではない。しかし郷田聡美が現れたのは、俺にとって想定していなかったことだ。
「仮に貴女に会おうとするなら、ここでなくて中枢先進医療センターの方へ行きます。それに俺は事故の被害者側……狙ってはできません」
「やっぱり……論点がまるで素っ頓狂って事は、本当に偶然ここに来たんですね」
聡美さんは随分と癇に障る言い方をして、そして拳を顎に当ててしばらく考え込んでいた。途中、俺のカルテやらをPCで確認していたようだが、そこに何か打ち込んだ後に立ち上がる。
「着いてきて頂戴。貴方に会わせたい人がいます……そして、手伝って貰いたい事も」
随分と話がややこしくなってきてしまったが、俺は冷静に本懐を思い出す。おやっさんの手掛かりを探るなら、この都知事の娘だって有力な情報を持っている可能性が見込める。
そして勿論、スンウたちの追っている派遣市民の新たな情報だって得られるかもしれない。顔見知りの聡美さんがこう言ってくれているなら、俺に断る理由は無い。
聡美さんの後を着いていくと、カードキーでしか立ち入りできない通路へと通される。想像以上に歩かされた後、既視感のある雰囲気の内装が眼前に広がった。
「ここは入院棟です。中枢センターで貴方が軟禁されたのと同じような、ね」
レンガ造りの古びた外観とは対照的に、何度もリフォームを重ねられたかのようなリゾート空間。この病院は経営難だとか取り沙汰されてもいたが、随分と贅沢なものである。
そうしてエレベーターを登り、最上階の角部屋の前で止まる。聡美がチャイムを鳴らすと、扉の方へと駆け寄る足音が聞こえた。
「はーい、聡美さん今日もヨロシク……って、アレ?」
そう言って勢い良く扉を開けたのは、少女だった。
3ヶ月前よりまた少し伸びた赤茶のハネやすい毛をポニーテールにして、その瞳は真っ直ぐ俺を見ている筈なのに何処かもっと奥の方を見据えているかのよう。ネックストラップをつけたオレンジのフレームのメガネは、ウェアラブル端末として俺がプレゼントしたものだ。
そのメガネの眉間に位置するカメラレンズが、キラリと光を反射する。
「おつろーくん!」
菖の眼は、また視えるようになっていた。




