096話 マージナルマンの苦悩
提灯や掛け軸、箪笥など半島系の調度品に囲まれた、マフィア映画で見るようなソファ席。3人には広すぎる机の上に並ぶ韓国料理たち。
一口目こそその辛さには驚かされたスンドゥブチゲだが、味は間違いなく絶品だった。だから俺も少しづつだが箸を進めていく。
「成程、つまりおめぇも小鳥遊丈を探してるのか。まぁでも俺らに頼ってるようじゃあ大した手掛かりは無ぇみてぇだな」
「ちなみに社長を探してるのは、俺たちだけじゃありません。公安6課もツワブキの元社員を当たって探りを入れてるようです。俺の後輩も既に尋問を受けました」
色々と教えて貰ったのだから、こちらも情報提供を惜しんでいては筋が通らない。小鳥遊丈の家族――鷹野家の話以外なら、手の内を明かして良いだろう。
スンウの眉がぴくりと動く。
「そいつは初耳だな。まぁ予想はしちゃいたが、シロアリ共も思ったより形振り構ってねぇのか」
「……でも、そこまでして今さら目撃者から話を聞く必要ってあるのかナって、運転手サンはそう思わない?」
今度はハオランが口を挟む。
かなり速水トオルの情報を知りたがっていた印象だったので、その言葉は意外だった。
「ワタシはシンプルに、トオルがどんな人だったか知りたいヨ。でも、スンウとかアオ派が知りたいのは、トオル他殺説の裏付けでショ。シロアリはそれを防ぎたいってダケ?」
「公安はトオルが自殺の線でも捜査していて、事件の陳腐化を狙っているようでした」
「あァ!? ……チッ、イケすかねぇこと考えやがる」
しかしそれを聞いてなお、ハオランは怪訝そうな顔をする。
「今さら目撃者が現れて、新情報って言って自殺だ他殺だ言っても意味あるのかナ? どっちにしたってもう止まらないでショ、この国は」
そう言うと彼女は、納得していないのを態度で示すかのように、ジョッキにまだ半分ほども残っていたハイボールを一気飲みしてしまった。幼い風貌とは裏腹に相当な酒豪のようだ。
「シロアリが俺らも知らねェもっと重大な何かを隠蔽しようとしてるのかもな……なら尚更、奴等よりも早く小鳥遊に会いてぇところだが――」
スンウの俺を睨む目に一層の力が入る。
「――ソラ色の連中は信用ならねぇ。公安に追われるほどの秘密を握っているのならさっさと公表すれば良いものを、何を逃げ回ってやがるのやら」
ツワブキ出版は空色のジャーナリズムを掲げていたとして、今や悪名高くすらある出版社だ。様々な立場の人間を取材し中庸であろうとする両論併記の姿勢は、安全圏から対立煽りをする卑怯な行為であると軽蔑されていた。
だからスンウは軽蔑の色をたっぷりと込めて、元空色出版社社員の俺を睨みつけていた。ピリついた空気が流れるのを困り眉で見つめていたハオランが、しかしまた何か場を和ます言葉を口にする前に、この席に駆け寄ってくる者がいた。
「スンウ! スンウ!」
この店の従業員と思しき女性は、そこから先は韓国語と思しき言葉でスンウに耳打ちする。それを黙って聞き終えると、力強く立ち上がった。
「適当に食い終わったらてめぇは帰れ。また何か有用な情報を持ってきたら話を聞いてやる」
こちらの反応を待たず、スンウはパーテーションの裏へと消えていった。
広過ぎる円卓で、何故だか俺と身を寄せ合うように座っているハオランと、顔を見合わせる。
「スンウ、いま忙しい。いよいよ明日だからネ」
「明日……何かあるんですか?」
トピックストリーマーが忙しいのなら、何かの取材だろうか。極秘のものなら教えて貰えなくても仕方がない。
しかしハオランは得意顔で答えをくれた。
「知らないの!? 勉強不足ネ! 明日から春節ヨ!」
春節とは、いわゆる旧正月のことだ。
中華圏や韓国などでは1月1日の元日ではなく、春節と呼ばれるこの時期に連休が設定され盛大に祝う文化がある。海外旅行する者も増え、日本にも多くの観光客が訪れ市場も賑わうのだ。
そういったお客様でタクシー業界も賑わう……と言いたいところだが、近年は中国製の配車アプリによる白タク行為が横行している。観光客は日本の細かい法律など把握してはいないだろうし、母国語の通じる白タクに頼ってしまうのは自然な流れと言えど、どうにかならないものだろうか。
「ココ、池袋でも西口公園で春節祭をやるのネ! スンウは実行委員に噛んでるから、今忙しいっ」
「なるほど……ジャーナリスト活動以外にも、色々やってるんですね」
すると、ハオランは少し遠い目をして、いつになく落ち着いた声色で話し始めた。
「みんな、ここで生きてかなきゃならないから――」
ハオランは中国からの留学生だそうだ。
実家が太くてこちらでの生活も金に困ることはない。言語の壁を超え、名門の帝東大に入学できるほどの頭脳も持ち合わせている。ひとりっ子で幼い頃から英才教育を受けてきたという。
一方でスンウは在日韓国人の3世であり、帰化はしていない。2世の両親からも韓国名を付けられ、そして戦時中に日本に強制連行されてきた祖父からは祖国韓国への帰属意識を刷り込まれて育った。それなのに最も堪能な言語が日本語であることが、自身のアイデンティティを揺るがしていたそうだ。
「スンウが自分を痛めつけるように体づくりに励むのも、きっと祖国の同世代が兵役に勤しんでるコトへの後ろめたさからなのヨ」
在日コミュニティには韓国人以外にも様々な境遇の人がいて、そのみんなが何かしらの苦しみを抱えていた。国籍、言語、権利、アイデンティティ――何へ志向し何に迎合するか。彼等はその狭っ苦しい居場所で必死に生きている。
「誰だって出自は選べない……だからスンウは、そういう人たちの為にも闘ってるネ。ピックスとしても、そうでない方法でも」
分銅祭の新垣のスピーチにより、一見すると移民はアオ派を味方につけたように思える。しかしその騒動を代表する帝東大生のような層から見た移民とは、ハオランのように優秀で素行も良い留学生像が基準なのだ。
実家も裕福で人当たりにも余裕があり、グローバルな交流の為に能動的に国を跨ぐ意識の高い者。そんな人々は帝東大生にとっての隣人なのだから。
けれども在日外国人の実情としては、その何倍もの規模でスンウのような、あるいはスンウの属していたようなコミュニティにいる人々の存在を忘れてはならない。
日本という国に虐げられた過去を持つ者や、そんな教えを親から聞かされて育った者。さらには技能研修生としてこの国に来たが不当な扱いを受けている者。そしてそこから解雇あるいは逃亡した挙句、違法風俗や転売、白タク業やらでなんとか食い繋いでいる者。
「まだアオ派には認知されてない在日外国人たちにも友好的にスポットを当てられるように、スンウは頑張ってるネ」
池袋西口公園で行われるという春節祭では、在日コミュニティの人々が出店や催し物に勤しむのだろう。それは初めて2人と出会った巣鴨の店、あるいはこの韓国料理店などで匿われているような、多様な事情を持つ者たち。
普段は不法滞在疑惑だとか犯罪の温床だとかで後ろ指を指される人々が、少しでも日本人と交流して好印象を与えられたら、それは在日コミュニティの為にもアオ派の為にもなるに違いない。そうすればきっと、声の上げ方を知らない弱者の想いも大勢の人に届けられるかもしれない。
そんな思いでスンウは活動しているのだそうだ。
また、心の奥底が軋むような音を立てて痛んだ。




