095話 無風不起浪
「でェ? 要件を聞かせて貰おうじゃねぇか」
池袋駅北口から10分圏内。
韓国料理店の一番奥の、エキゾチックな柄のパーテーションで区切られた、一際豪華なソファ席。
俺の対面でメンチを切る大男はスンウ。
鋭い切れ目に剃り込みの入ったツーブロック、整った顎髭とは裏腹に不機嫌そうに歪む口元。ガッツリ開いた襟元には胸筋と貴金属を覗かせ、威圧的に脚を組み、腕を背もたれに広げて腰掛けている。
「配信者転落死事件、その目撃者について話をさせて下さい」
俺は臆しまいと努めながら切り出した。
それは年が明け、世間から正月気分も抜けた頃。
俺は『NEXTopics』のチャンネル主であるスンウにコンタクトを試みた。かつて浜松までロングで運んだお客様にして、トピックストリーマーを生業としているジャーナリストだ。アオ派として最前線で情報を追っている者なら、おやっさんの事も何か掴んでいるかもしれない。
幸い、彼のピックスとしての連絡窓口は開かれており、そして彼も俺の事を覚えていた。だから二つ返事で面会が許され、この2月の頭にスンウの指定した韓国料理屋に訪れたのだ。
「運転手サンもやっぱり、トオルの事気になるネ!」
広いソファ席で、しかしぴったり俺の横についてお酌をせんと瞳を光らせているのは、同じくピックスとして活動している少女、ハオランだ。
まるで異文化を楽しむかのように、赤と紫のチマチョゴリと思しき装いに身を包んでいる。前髪の揃ったショートボブから覗く吊り目気味の瞳、その目尻は今夜も真っ赤なアイシャドウで染められていた。
「俺たちはもうタダで教えてやったんだぜ。目撃者が居たという事実を。それ以上に何か望むのなら、お前からも相応の情報か行動を頂かなくちゃならねぇな」
スンウが凄む。こう威圧されていては、眼前に並んだ豪華絢爛な料理も喉を通るまい。
「もぅ、スンウはいつもケンカ越し、ダメ! 運転手サンはワタシをシロアリから守ってくれタ! だから優しくすル!」
分銅祭での一件は、相手が甲斐斗だったから思わず体が動いてしまった。もし他の公安警察が相手だったら同じようにハオランを助けようとはできなかったかもしれない。
「ネっ、運転手サン、今日は好きなだけ食べてイイヨっ」
だからそんな彼女の好意を受け取ることにやや罪悪感を抱くが、しかし本題はそこではない。
「ありがとう。でも俺だって手ぶらで来た訳じゃありません」
俺はしっかりと、スンウと視線をぶつける。
「俺は、ツワブキ出版の元社員です」
そう言うと、スンウの目の色が変わった。
「ほゥ……少しは酒が美味くなりそうだ」
かまをかけた訳だが、やはりスンウは事件の目撃者がツワブキの者だという情報を掴んでいる反応だ。
「けれど日笠の工場に小鳥遊丈が居たなどという話は、社員だった俺には信じられません。当時の社長は別の案件につきっきりでしたから、それを差し置いて静岡まで足を運ぶのは……」
「お前が小鳥遊と一緒だったってことか?」
「いえ……違います」
「じゃあアリバイの証明にはなんねぇな」
スンウは俺に構わず食事をしながら、しかし冷静に俺の価値を見定めようとしている。
「小鳥遊じゃねぇと言い張るなら、他の候補を言ってみろ」
「そもそも何故、ツワブキの人間が疑われているのですか」
俺が知るのは、その者がツワブキ出版だと名乗ったらしいという噂だけ。もう少しでも情報があれば、元社員の俺になら気付ける事があるかもしれない。
「なんだ、どうやら事件について半端に聞き齧ったら古巣の名前が出て、いても立ってもいられなくなったってところか」
スンウは食べていた料理を酒で流し込むと、タバコに火を点ける。そして惜しむような素振りもせず、俺に説明を始めた。
配信者転落死事件。
それは浜名湖に面する日笠重工の工場地帯で起きた。正確には敷地内に建てられた工場見学施設、その屋上で速水トオルは生配信を始めたのだ。この国で初めてトピックストリーマーと名乗ったトオルは、単身で突撃取材を試み、日笠グループ会長の日笠正造をカメラに収めた。
その場で政府との癒着を糾弾したトオルであったが、しかし配信は途中で切断されてしまう。数多の視聴者を置き去りにしたまま、レポーター桐谷ひのえに落下の瞬間だけを視認され、そして死亡のニュースが流れたのだ。
当時のニュースでは、自称ジャーナリストのネット配信者が目立とうと侵入禁止区域に入って転落死――なんて報道が為された。けれど屋上には正造を含む日笠の者数名が確認されており、だからこの事件を殺人の隠蔽と疑う者も多い。
ここまでは誰でも知る事件の概要だ。
「――工場見学施設にいた警備員が、屋上から引き摺り出される不審者を見ていやがったのさ」
速水トオルが屋上から転落し、施設には即時閉館指示が出された。工場見学中の客やら生放送中のテレビ局員やらを締め出し誘導するため、警備員は駆け回っていた。
そんな中に、日笠重役のSPに連れられて屋上から降りてきた男が居たのだそうだ。そしてSPが口にした「ツワブキ出版で今回の事を記事にする気なら~」という文脈の脅しを、近くにいた警備員は聞き取っていたという。
「人の口に戸は立てられねぇってことだ。雇われの警備員はSPの奴等ほどプロ意識も高く無ぇ。だからいくら箝口令を敷いたところで、月日が経てばそんな情報を漏らす奴も出てくる」
「火のないところに煙は立たないヨ」
そして、口が軽いのは残念ながら警備員だけではなかった。
ツワブキ出版において取材終了となった案件の資料については、社員は自由に閲覧することができた。だからあの日前後の取材資料により社員全員のアリバイが確認できたと、元ツワブキの記者がリークしたらしい。
しかし唯一、取材内容の報告義務が無い人間がいた。それこそが社長であり、それが理由で疑われているということらしい。この辺りは秋山から聞いた公安の調査とも一致する。
「確かに、俺だって社員の報告資料には目を通すようにしていました。でもあの事件に繋がるようなものは……ありませんでした」
これは否定できない事実。
「だったら、てめぇんトコの社長が事件に関わってたことを認めやがれ。信頼の置けない部下には秘密だったみてぇだがな。元ジャーナリストなら、嫌な事実から目を背けるな」
スンウは意地悪く、そう言ってのけた。俺は否定したい気持ちを抑えて情けなくも俯いていると、半開きのその口に何かが突っ込まれる。
「ほら、元気だすネ! せっかくご馳走してるんだから食べテ、美味しいヨ!」
脇に座るハオランの仕業だ。俺が何か反応しようとするよりも前に、急激な辛みが口内を襲う。
「しっかりと味わえよ。この辺りじゃ一番の高級店だからな」
そんなスンウの言葉もなおざりに、俺はむせ返る。しかし自分の水はちょうど飲み切ってしまった。
「ワタシの、飲んでっ!」
ハオランはすぐさま自分の飲みかけの、その薄らと口紅のついたグラスの水を、俺の口へと強引に流し込んだ。




