第5話 捨て駒の配置先と、凪の海の現実
(……今のままでは詰んでいる)
脳裏に焼き付いた、これから数十年先の残酷な未来予想図。俺はそれを、懸命に頭の奥底へ押し込めた。
今、それを恐れて立ち止まったところで何が変わるわけでもない。
重要なのは、今この瞬間、俺がどう動くかだ。
一夜明け、ようやく思考が凪いだ。
昨夜、さやとも話した……
やはり彼女は俺の妻で史実の慶法院らしい
そして桑名吉成。
彼は俺付きの筆頭家老だ。もともとは長宗我部家に仕えた「三家老」の一人として名を馳せた男。
関ヶ原で主家が滅んだところで高虎公が召し抱えた
少ししか言葉を交わしていないが、この男は聡明だ。
俺の前世の記憶では大阪夏の陣、八尾久宝寺の戦いで「以前の主君に刃は向けられない、ただ藤堂様にも御恩がある」って単身敵陣に斬り込んで討死する……
昨日の俺の身を案じるその眼差しに、一切の曇りはなかった。いい人すぎるんだ
とりあえずだ
未来を切り開くための第一歩は、現状を正しく数字で把握することだ。俺は居室で吉成を呼び出した
「吉成。今治の現状について、詳細を把握しておきたい。……領内の帳簿を持ってきてくれ」
「帳簿、でございますか? ……承知いたしました」
吉成は不審な表情を浮かべつつも、すぐに今治の金銭出納を記した帳簿を取り寄せてくれた。
俺はそれを受け取り、ゆっくりと頁をめくる。
今治二万石。表向きは独立した領地だが、実態は「津藩」という巨大な屋台骨の一部に過ぎない。
今治で徴収した年貢は本藩の全体会計に組み込まれ、そこから城の維持費や家臣の禄が配分される仕組みだ。
数字を追うだけで、俺の心は冷え切っていく。今の今治は、津の本藩という巨大な組織からの配分でなんとか糊口を凌いでいるに過ぎない。
(……見事なまでの連結会計の罠だ。高虎公の威光という名の庇護がなければ、この二万石はとっくに破綻している)
サラリーマン時代、親会社の経営が悪化し、採算の取れない拠点の予算が真っ先に削られる光景を何度も見てきた。
高虎公が健在なうちはいい。だが、もし本家の経営陣が変われば、真っ先に整理されるのはこの「捨て駒の配置先」だ。
「吉成。……もし津の本家から『今治への割当を減らす』と言われたら、どうする?」
吉成は驚いたように顔を上げた。
「……急なお尋ねに、戸惑うばかりでございます。しかし、藤堂の御本家に、そのようなことは……。我ら二万石の年貢だけでは、高虎公が求められる『西国監視』の役目も、家臣を養うことも到底叶いませぬ。
かつて長宗我部家に仕え、滅びゆく様を目の当たりにした身として申せば、主家に見捨てられし領地がどのような末路を辿るか、嫌というほど存じております。……殿は、何か懸念されることが?」
「ああ、そうだな。俺たちは津藩という巨大な屋台骨に寄りかかって生きている。だが……その屋台骨が揺らいだ時、誰が我らを守る? 親に頼り切った生き方は、いつか必ず路頭に迷うことになる」
「親……と言われますと、大殿のことでございましょうか?」
吉成はキョトンとして首をかしげている。俺は、つい口をついて出た現代の概念を飲み込み、苦笑いした。
(しまった。現代の感覚が抜けてないな。「親会社」なんて言っても、彼には「高虎公」という個人しか見えていない)
「……いや、何でもない。ただ、いつまでも津からの援助に甘えていては、いざという時に我ら自身で国を動かせなくなる、と言いたかっただけだ」
俺は立ち上がり、襖を開けた。外には穏やかな瀬戸内海が広がっている。
俺が生き残るには、津からの配分を当てにしない「独立したキャッシュポイント」を作るしかない。
「領内を巡察する。……村々へ行くぞ」
「はっ。……何か、意図がおありで?」
吉成の問いには答えず、俺は歩き出した。
武士として、高虎公の養子として、そして何より「今治の城代」として。歴史の「既定路線」を壊すための、泥臭い下準備がここから始まる。
城下を抜け、海沿いへと向かう道中、岩場に張り付く黒々とした海藻の群生が視界に入った。
村の者たちが、それを無造作に、しかし手慣れた様子で摘み取っている。
(あれは……岩海苔か?)
ふと、かつて体験した断片と、食卓で見かけた記憶が脳内で混ざり合う。ただ摘んで、そのまま食う。そんな勿体ない食べ方でいいはずがない。
パズルのピースが埋まる音がした。これはただの海産物じゃない。俺の「未来」を守るための、最高の商材になるかもしれない。
「殿?」
訝しげに見つめる吉成の顔を見る。
こいつを、大阪の陣で死なせはしない。その誓いが、俺の中でより強固なものへと変わった。
「吉成。……この海、俺たちが考えている以上に『価値』があるぞ」
俺は、海に浮かぶ小さな舟を指差した




