第49話 将軍の上意、新城への飛翔
元和六年(一六二〇)の年末
霜枯れの江戸の街は、年の瀬の慌たださに包まれながらも、来たる正月の準備にわさわさとした活気を帯びていた。
大坂城の外堀や石垣を築く第一期普請を完璧にやり遂げた俺は、江戸の藩邸に身を置き、正月の江戸城登城に備えて諸事の差配に追われていた。
(大坂城の第一期普請は無事に完工し、国元では筆頭家老の桑名吉成や、古市三郎左衛門が盤石な体制を回している。開発・作事担当奉行の福井文右衛門や殖産奉行の田代五郎右衛門、兵站奉行の瀬尾忠次、治安維持を担う渡辺源五たちもそれぞれの任を全うしてくれているはずだ。湯治場も大賑わいのようで何よりだが……天下を統べる徳川の膝元である江戸において、我が藩の立ち回りは今後の一番の要となる……)
そう思案に暮れていた矢先のことだった。
江戸城からの使者が藩邸へと到着し、将軍・徳川秀忠公より、今すぐ登城せよとの御召しが下された。
「なんと、上様より直接のお召しとは……?」
藩邸の空気が一瞬で張り詰める。何事かと緊張を走らせる家臣たちを背に、俺はすぐに身なりを整え、厳冬の江戸城へと馬を走らせた。
登城の意図が全く読めないまま、通された奥向の一室。そこに待っていたのは、天下の将軍・徳川秀忠公、そして天下普請の総奉行を務めた築城の名人であり、我が藩を影に日向に気にかけてくれる義父・藤堂高虎の二人であった。
厳かな空気が漂う中、俺は静まり返った広間へと足を踏み入れ、息を整えてから床に深く手をついた。
「日野江藩主、藤堂宮内少輔高吉――御前にて相仕りまする」
格式ばった作法に従い、まずは平伏して平身低頭に挨拶を述べる。
上座から見下ろす秀忠公は、微動だにせずその所作を受け止め、傍らに控える高虎公も鋭い眼差しで静かにそれを見守っていた。
一礼を終えてなお頭を垂れる俺に向かって、
秀忠公は一瞥をくれると、静かではあるが威厳に満ちた声でこう尋ねた。
「宮内少輔。その方、今の日野江を離れ、別の地へ移る気はないか」
(国替え!?転封か??なぜ急に!!……)
脳裏に嫌な予感が走った瞬間、俺は思わず息を呑み、冷や汗が背筋を伝うのを感じた。
(せっかく島原の地に根を張り、四公六民の善政を敷き、過酷な夫役ではなく正当な給金を払う仕組みを作って、ようやく領民たちとの固い信頼関係を築き上げたというのに……! 今この時期に遠い国へ飛ばされるというのか? これまでの苦労がすべて水の泡になってしまうではないか……!)
心の中で激しく狼狽し、どうにか顔色が変わるのを抑えようと歯噛みする俺を見て、秀忠公はふっと表情の険しさを解いた。
そのただならぬ動揺を察したのか、秀忠公は傍らに控える老臣を一瞥し、静かにうなずいてみせた。
「……高虎。そちからも、宮内少輔に言い含めてくれ」
上様の御免を被り、将軍の許しを得てから、今度は隣に控える藤堂高虎が、重々しくもどこか温かみのある声で静かに口を開いた。
「高吉、顔を上げよ。……早合点するな。今度の話は、お主を領地から遠ざけるような不条理な沙汰ではない。日野江の城は、地形が手狭であろう。これ以上、城下町を大きく広げ、藩の拠点として発展させるにはあまりに窮屈だ。お主がこの先、西国の要として大いに力を振るうためには、あそこのような狭い城では器が小さすぎる。そこで、わしから上様に、島原の地に新たに城を構えるべきだと進言したのだ」
「なっ……! 新たに、城を……?」
思いがけない言葉に、俺は思わず顔を上げ、高虎公の顔を見つめた。国替えどころか、我が藩の本拠地をさらに機能的に飛躍させるための「新城築城」の命だというのだ。
俺の驚きを面白そうに見つめながら、秀忠公が力強くうなずいた。
「そうだ。一国一城令の世、勝手に城を増やすなど本来であれば許さぬこと。だが、お主が大坂城で見せたあの隙のない普請の技、そして寸分の狂いもない采配ぶりには、わしもすっかり感銘を受けた。……さすが高虎が目をかけるだけの男だ、見事な腕前だ」
将軍自らの口から飛び出した最大級の賛辞に、俺は胸が熱くなるのを覚えつつ、再び深く平伏した。
さらに秀忠公は穏やかながらも鋭い洞察を続ける。
「それに、島原の統治状況も逐一耳に入っておる。領民たちはよく懐き、民政は極めて順調。長崎に近いゆえに危ぶまれていたキリシタン対策に関しても、お主が治める領内では不穏な動きもなく、何一つ心配いらぬと完璧に抑え込まれている。これほどの器量を持つお主であれば、島原にもっとふさわしい拠点を任せるのが最も理にかなっているのだ」
高虎公も深くうなずきながら俺に語りかけた。
「そうだ。あの半島を見渡せば、有明海の海運を抑え、西国を睨むには、日野江の古びた城よりも、島原の地に新しく城を構える方が遥かに利が大きい。高吉、お主が国元で培ってきたその優れた才覚を、今度は新しい島原城の普請に存分にぶつけてみせよ。より一層、島原の地を豊かにするのだ」
「はっ――! 身命を賭してこの御恩義に報い、末長く西国を鎮める城を築き上げてみせまする」
将軍・秀忠公と高虎公の言葉を受け、俺は改めて床に額をつけ、静かに、しかしはっきりとと言上した。
その声は、引き締まった広間に真っ直ぐに響きわたる。
上座から見下ろす秀忠公は、力強くうなずくと、満足げな笑みを浮かべてこう告げた。
「うむ、頼もしいかぎりだ。新しき城の縄張りは、早々に幕府に届け出るように。宮内少輔、その才覚と忠誠、大いに期待しておるぞ。励めよ」
「はっ――!」
身に余る光栄な御言葉を賜り、俺は深々と一礼して、ようやく緊張の糸が解け、御前を辞した。
将軍の御前を辞し、緊張に満ちた江戸城から藩邸へと戻った俺は、すぐさま側近たちを呼び寄せた。
「ただちに国元の吉成と三郎左衛門へ向け、早馬を飛ばせ。……天下の一大事だ、島原への新城築城の許可が下りた」
驚愕と歓喜に色めき立つ藩邸の者たちをまとめ上げ、元和七年の正月を迎えた。
江戸城での新年参賀――諸侯が居並ぶ厳かな大広間で、秀忠公に対する新年の挨拶を滞りなく済ませた俺は、幕閣や諸大名から向けられる一目置くような視線を背に受けながら、早々に国元へとって返す準備を進めたのだった。
それから数日後。
冬の海を渡り、見慣れた日野江の地に帰還した俺を待ち受けていたのは、日野江城に集まった重臣たちの熱気あふれる出迎えだった。
評定の間に腰を下ろした俺の前に、筆頭家老の桑名吉成,家老の古市三郎左衛門、そして文右衛門や五郎右衛門、忠次,源五といったお馴染みの顔ぶれがずらりと居並ぶ。
一同の顔には、すでに江戸からの早馬で知らされた「新城築城」の報せに対する興奮と喜びが色濃く浮かんでいた。
「殿、大坂城の第一期普請の御大業、誠にお見事にお勤めくだされ申した! そのうえ、今度は島原への新城築城とは……! 我が日野江藩、これほど栄誉なことはございませぬ!」
筆頭家老の吉成が感極まった面持ちで深く頭を下げると、家老の三郎左衛門をはじめ他の重臣たちも次々に声を上げた。
「まったくでございます! 日野江城は古く、手狭で身動きがならぬと常々案じておりましたが、これで我が藩も名実ともに西国を固める要の藩にございますぞ!」
「大坂での見事な采配が、上様と藤堂様の絶大な信頼を勝ち取った証。殿のこれまでのご苦労が、このような形で実を結ぶとは……感涙に堪えませぬ」
重臣たちの熱い祝福の声を聞きながら、俺は大きくうなずき、力強く言葉を返す。
「皆の者、よくぞここまで支えてくれた。今回の新城築城は、俺一人の力ではない。大坂の現場で泥にまみれ、寸分の狂いもなく働いてくれた者たち、そしてこの国元で四公六民の善政を守り、民政を盤石にしてくれたお前たちの尽力があればこそ、上様も我が藩の底力を認めてくださったのだ」
俺の言葉に、農政担当の五郎右衛門が肩を震わせながら笑みをこぼした。
「ははっ! ありがたきお言葉にございます。しかし殿、新城を築くとなれば、相応の人手と資材が必要となりますぞ。民たちは、日頃から殿の温かい政に感謝しております。きっとこの大普請も、我がことのように喜んで力を貸してくれるに違いありません」
「うむ。その通りだ。今回の普請も、大坂の時と同様にしっかりとした手当と給金を出し、領民たちが誇りを持って働ける環境を作る。皆の力を結集し、島原の地に確かな城を築き上げるぞ」
「「はっ!」」
評定の間に響き渡る重臣たちの力強い返事は、来るべき壮大な大事業の成功を確信させるに十分すぎる響きを帯びていた。
いよいよ始まる島原城の築城――それは、領民たちの笑顔とともに歩む、我が藩の新たな伝説の幕開けであった。




