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『皆福の楔 〜藤堂に生まれ変わったとおもったらそっちかよ〜』  作者: たかとら


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第50話(最終話) 島原城築城と領民たちの歓喜

今回で最終話です。かなりの文字数ですが最後までお付き合いいただけますと幸いです



日野江城の評定の間には、ぴんと張り詰めた、それでいて確かな活気に満ちた空気が漂っていた。


畳の上に広げられた大判の和紙には、数年前に描かせた島原半島の詳細な絵図面――あの森岳遷都の青写真が広げられている。その傍らに膝をつくのは、筆頭家老の桑名吉成、家老の古市三郎左衛門、開発・作事担当奉行の福井文右衛門、兵站奉行の瀬尾忠次、農政、殖産奉行の田代五郎右衛門、治安維持奉行、渡辺源五。いつもの重臣たちとの評定だ。


俺は主座に腰を下ろし、図面を見据えながら静かに口を開いた。


「いよいよ、森岳へ新城を築くための縄取りにかかる。数年前に定めた通り、かつての野分による災禍を乗り越えて湊と町割りの基盤を立て直し、この数年で町は順調なる発展を遂げた。これからはその枢要として、本格的に森岳へ拠点を移すこととする。皆の意見を聞かせてくれ」


俺が口火を切ると、まず藩の行政を取り仕切る三郎左衛門が、やや緊張を含んだ面持ちで手元の絵図面を覗き込み、慎重な調子で問いかけてきた。


「殿、新城を森岳に構えるという方針、しかと承知つかまつりました。ですが、いざ城を築くとなれば、その規模と構えについてお伺いしておかねばなりません。世にいう城々のように、堅固を極めた大城郭となれば、それだけ普請の労力も跳ね上がります。我が藩の石高や民の数を鑑み、殿はどのような規模感の城を想定しておられるのでしょうか?」


三郎左衛門の問いに、作事担当奉行の福井文右衛門は深く頭を垂れながら、恭しい口調で言葉を継いだ。


「はっ、三郎左衛門様のお言葉通りにございます。この文右衛門、作事の任を預かる者として、城の縄張りにおける要所――石垣と土塁の配置についてお伺いしたいのはもちろんですが……一つ、地理の面で気掛かりな点がございます。猛島神社周辺の湊から森岳の麓まで町並みはすでに大きく広がっておりますが、さすがに森岳の真下まで直接船を引き込むような海運の取り込みは、地形上、少々難儀がありましょう。湊で荷揚げした物資を、いかに滞りなく発展した城下や城内へと巡らせるか、その動線について殿のお考えをぜひ御下命を賜りたく……」


現場を知る作事奉行らしい的確な懸念に対し、俺はうなずきながら図面の街道筋を指し示した。


「心配いらん、文右衛門。船を着けるのはあくまで海岸線の新湊だ。あえて港側を大手に見立てて、そちらから湊へと向けて幅広の大きな通りを真っ直ぐに通す。水運と陸路の連携さえしっかりと組んでおけば、城の守りを損なわずに出入りや物流の利を最大化できる」


俺の明快な説明に、文右衛門は「なるほど、港側を大手に見立てて湊まで大通りを通すわけですな! さすがの采配にございます」と深く納得して頭を下げた。


さらに、兵站奉行の瀬尾忠次が腕を組み、鋭い眼差しで図面を見下ろしながらこう加勢した。


「湊と動線の構えは十分に腑に落ちました。ですが殿、城の規模そのものについてはいかがいたしましょう。あまりに大きな城を構えれば、せっかく落ち着いた民の暮らしや藩の財政に負担が重くのしかかりますぞ」


家臣たちの懸念をすべて受け止め、俺は懐から一枚の緻密な絵図面を取り出し、広げられた地図の傍らに静かに置いた。


それに描かれていたのは、無駄を削ぎ落とした実用的な縄張り図だった。


(――ふふ、本丸、二の丸、きたい丸、隠居丸といった郭の配置や立地そのものは、俺の故郷、伊勢松阪城を取り入れたものだ。ただ、あちらがすべて総石垣で築かれた城であるのに対し、こちらは本丸とそれぞれの郭の主要な門だけに石垣を絞り、残りはすべて堅実な土塁で構成する。この形こそが、森岳の地形と我が藩の身の丈に最も適した形なのだ)


「城郭は必要最小限の大きさに留め、本丸はすべて石垣とする、本丸は本丸上段と本丸下段にわかれる縄張りだ。そして二の丸・きたい丸、隠居丸などの主要な門の要所のみは石垣とする。そして、それ以外の郭の壁面はすべて堅実な土塁で固めるのだ。この規模感であれば、無理な普請にならずに済むし、我が藩の身の丈にも完全に合致する。俺が自ら引いたこの絵図面通りに縄張りを進めよ」


俺が提示した具体的で現実的な設計図に、三郎左衛門は安心したように表情を緩ませた。


「なんと……! 郭の配置は非常に理にかなった見事な縄張りでありながら、総石垣ではなく、本丸と主要な門だけに的確に石垣を配し、他をすべて土塁で固める造りであれば、不相応な大城郭のように人手も銭も過剰にかかることなく、領民たちの負担を最小限に抑えられますな」


さらに、桑名吉成が力強い眼差しでうなずく。


「殿のお考え、しかと承知いたしました。今回の普請にあたっても、これまで通り民を過酷な夫役など断じてさせず、運用金からも必要な分の資金をしっかりと資財購入や人件費に充てましょう。十分な賃銀を払うことで、発展した領民たちの暮らしをさらに支える確かな手立てとしましょう。これならば、民たちもこれまで以上に誇りを持って喜んで力を貸してくれるに違いありません」


重臣たちの疑問が氷解し、全員の意志が完璧に一つにまとまったところで、俺は三郎左衛門に鋭く視線を向けた。


「よし、大綱は決まった。三郎左衛門、お前が自ら江戸へ使者として赴き、この詳細な縄張り図と具申書を上様に言上せよ。京都所司代や江戸の要路への根回しも一切の抜かりなく頼む」


俺の指示に、三郎左衛門はハッとしたように背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。


「はっ! 流石は殿、上様より直接ご下命を賜ったものなればこそ、この三郎左衛門が自ら早馬を飛ばして江戸へ参府し、上様へ詳細な縄張りの図面と説明書を言上してまいります。同時に京都所司代や江戸の要路へも抜かりなく根回しを通し、隙のない手続きを整えてみせましょう」


「うむ。数年来進めてきた町割りの発展と、その総仕上げとしての本拠地防備という大義名分を崩すな。吉成は国元に残り、普請の事前準備と人足の手配を頼むぞ」


「はっ、お任せくだされ!」二人の家老が力強く頷き、三郎左衛門はすぐさま江戸への上使として旅立ちの準備へと走り出した。




そして半月後、東国へと急ぎ旅を重ねた古市三郎左衛門が無事に江戸へと到着し、登城を果たした頃――。


江戸城の御用部屋では、三郎左衛門が持参した詳細な言上書と大判の縄張り図を、まずは幕閣たちが厳重に受け取り、吟味していた。三郎左衛門は別室へと下がり、控えるように命じられている。


御用部屋の奥では、将軍・徳川秀忠公と数名の幕閣たちが広げられた図面を囲み、真剣な面持ちで顔を突き合わせて協議を重ねていた。


「ふむ……これが、宮内少輔が上納してきた島原の新城縄張り図か」


秀忠は手元に広げられた図面に目を落とし、感心したように顎を撫でた。天下の諸侯に命じた城普請といえば、どこも彼も軍備を誇示するような巨大な大城郭ばかりを求めがちだが、そこに描かれていたのは全く異なるものだった。


老中の一人が、図面を覗き込みながら低く唸るように声を上げる。


「御覧くだされ、上様。本丸や要所の枡形虎口には確かに堅固な石垣が配されておりますが、郭の壁面はあえて土塁で固める造りとなっております。無闇に城を大きくせず、藩の石高や身の丈を完全にわきまえた実に手堅い縄張り……これなら無用な負担や不穏な噂も生まれますまい」


別の側近も、感嘆の色を隠さずにそれに続いた。


「しかも、数年来の湊の復旧と町割りの発展を経て、その総仕上げとして防備を固めるという大義名分もすこぶる明快にございます。宮内少輔殿、ただ命じられたから城を造るのではなく、我が国の西国の備えとしてどこに手抜かりがあってはならないか、隅々まで計算し尽くしているようですな。……さらに言えば、すでに原城を破却して一国一城令の趣旨を体現しているうえに、新城完成の暁には従来の日野江城をも陣屋へと切り替えて城を一つに絞るという既定方針まで整えている」


諸侯による勝手な普請や、一国一城令の趣旨に反する無用な複数城の維持には常に目を光らせていた幕閣たちにとっても、こうした先回りの周到な配慮には、疑念の挟み込む隙すらなかった。


幕閣たちの念入りな審議を聞き届け、秀忠は満足げにうなずくと、膝を叩いて力強く言った。


「よろしい! 宮内少輔の下す采配は、いつ見ても隙がない。我が下命の趣旨に完璧に応えつつ、領内の安定と防備の両立、さらには将来的な一城体制の完結までこれほど見事に両立させてみせるとは……。よし、この縄張り通りの普請を正式に許可する。別室に控える使者へ、この裁可を伝えよ!」


「はっ、御意に!」


幕閣の一人が部屋を出て、別室で待機していた古市三郎左衛門の元へと赴き、正式な普請許可の下りた旨を告げたのだった。


こうして江戸城からの使者が島原へとって返し、幕府からの正式な許可が国元にもたらされた。上様から直接下されたご下命の趣旨に完璧に添いつつ、長年の町発展の総仕上げを兼ねた合理的な規模の縄張り図が添えられたその計画は、新城完成後の一城体制への移行という周到な配慮も含めて将軍秀忠公および幕閣側にも大いに嘉賞され、異例の速さで正式な普請の許可がもたらされたのだった。


幕府からの正式な許可が下りた事を受け、藩庁は直ちに動いた。城下や各村々に厳かな触れ書きが張り出され、村役人たちによって高々と読み上げられたのだ。


『――御触れ書き――

一、今般、公儀より御内意を拝し、森岳に島原の新城を築くこと相成り候。

一、これより城普請にあたり、領内各村より広く人足を徴発する。

一、出仕する者には、日々に滞りなく確かな銀貨の賃銀を支払うものとする。

一、農作業の妨げとならぬよう班を分け、十分に配慮の上でこれを遂行する。郷民おのおの、この御国の一大事業に励み、力を貸すべし――』


この触れが村々に伝え渡ると、森岳の麓一帯は、直ちにかつてないほどの深い感激と圧倒的な歓喜の波に包まれた。


「お聞きしたか……! 我らが慕う殿のために、そしてこの島原の安寧のために、俺たちの手で新しい城を築くのだ!」


「ああ、慈悲深い殿のことだ、きっと村々の暮らしも隅々まで案じてくださっている。この御恩に報いるためにも、一丸となってこの大役に励もうではないか!」


普請の開始が正式に触れられると、領内の農民や職人たちは少しも怯えることなく、むしろ晴れやかな顔で競い合うように集まってきた。


そして


まだ木々の生い茂る森岳の麓では、さっそく鍬や斧を手にした男たちが声を掛け合いながら作業に汗を流している。


「おい、そこの大木から順に切り払え! 城の縄張りに合わせて、まずはしっかりと地面を均すぞ!」


「おう、任せとけ! 殿のため、そしてますます栄える俺たちの町のためだ、気合を入れて整地を進めようぜ!」


現場には怒号のような罵声や悲鳴は一切なく、男たちの威勢のいい掛け声と、木を切り倒す小気味よい音が響き渡っている。藩財を投じて民の暮らしを守り、常に先頭に立って導いてくれる藩主に対する揺るぎない敬愛と信頼が、その原動力だった。


作業にあたる者たちの顔には、疲弊の色ではなく、自分たちの手で大好きな殿の城の土台を築いているという確かな誇りと笑顔が満ちていた。


俺は自ら馬を走らせて森岳の普請現場へと赴き、作業に汗を流す民たちの様子を直接巡察していた。その姿に気づいた男たちが次々と手を止め、晴れやかな笑顔で頭を垂れる。俺は一人ひとりに歩寄り、その労苦をねぎらいながら声をかけた。


「よく励んでくれているな。怪我のないよう、互いに声を掛け合って進めてくれ」


「はっ! 殿のお言葉、ありがたき幸せにございます! 俺たちの手で、必ずや立派な城の土台を築いてみせます!」


「うむ、頼もしいかぎりだ。……そうだな、作業を進める中で、道具の傷みや、あるいは日々のことで何か足りぬものや困っている事はないか? もし不足や不都合なことがあれば、遠慮なくすぐに組頭へと伝えてほしい。皆が万全の態勢で励めるよう、すぐに手配しよう」


俺の思いがけない気遣いに、職人は一層感激した面持ちで深々と頭を下げた。


現場を一通り巡察し終えた頃、ちょうど昼時を告げる鐘の音が響き渡り、藩が手配した盛大な炊き出しの食事が人足たちへと配られ始めた。


俺は、過酷な肉体労働に挑む男たちの食事が足りているか、また体調を崩さないよう栄養のある飯をはじめとした品質・量がきちんと言い付け通りに行き届いているかを自らの目で直接確かめるため、あえてその輪へと歩み寄った。


すぐ傍で大鍋から給仕を受けていた一人の若い職人が、殿の姿に気づいて目を丸くし、慌てて頭を下げる。


「殿……! ご覧くだされ、今日の炊き出しは麦飯のおにぎりに、大根や根菜がたっぷり入った汁物や、さらに精が付く塩焼きの魚までどっさりついております。おまけに、おかわりも自由でございます。わしらたちが腹を減らさぬよう、藩でこんなに豪勢で元気の出る飯を用意してくださるなんて……もしよろしければ、現場の様子をご覧がてら、一ついかがですか?」


その言葉に、俺は気さくに対等な笑みを浮かべて言った。


「いや、実に美味そうだな。支給された食事がどう行き届いているか、俺自身の目で確かめたかったところだ。ありがたくもらおう」


吉成や側近たちは「殿、お身分に響きます……!」と冷や汗をかきつつ慌てて止めたが、俺はかまわずに「気にするな、お前たちも一緒に食べよう」と笑って側近たちにも分け与え、人足や職人が集う輪に歩みよった。


俺が腰を下ろして差し出された麦飯の握り飯と具だくさんの汁物を豪快に口へ運ぶと、周囲で固唾を飲んでいた若者たちや職人たちから「おぉ……!」と和やかな笑い声と歓声が上がった。吉成たちも戸惑いながら同じように箸をつけ、温かい汁物で喉を潤す。


「美味いな。しっかりとした麦飯を腹一杯食って、こうして皆と同じ釜の飯を喰うのは格別だ。これだけ美味い飯があれば、力も存分に湧くというものだな!」


藩主が自らの輪に加わり、支給された食事を美味しそうに食べてくれたことにおおいなく感激したのだろう。「おかわりはいくらでもあるぞ!」「しっかり食っていい城を造るぞ!」と、現場の空気がさらに一段と温かく、活気に満ちたものに変わっていくのが肌で感じられた。


その和やかな光景を傍らで見守りながら、筆頭家老の吉成は胸を熱くし、感慨深げに呟いた。


「殿……ご覧くだされ。あのように民たちが自ら進んで、誇らしげに働き、そして殿と心を通わせている姿を。天下のどこを見渡しても、これほど民が深い敬愛を抱き、笑顔を絶やさず作り上げる城などございませんぞ」


吉成の言葉に、俺は静かにうなずいた。


さらに、一日の作業を終えた夕暮れ時。俺は普請に汗を流した男たちをねぎらうため、かつて領民たちのために整備したあの湯治場へと足を向けていた。


湯煙の立ち込める浴槽へと足を踏み入れると、先客として体を洗い終えていた数人の若い職人たちが目を丸くした。


「お, おい……! 見ろよ、あそこにいらっしゃるのは……!」


「なっ、殿じゃねえか……!?」


男たちが慌てて湯船から上がろうとするのを、俺は手を振って制した。


「気にするな。今日は皆、いい汗を流した。身分の上下なんて関係ない、同じ湯に浸かって一日の疲れを癒やそうじゃないか」


俺がざぶんと湯船に浸かり、心地よい温かさに肩まで身を委ねると、周囲の職人たちは顔を見合わせ、やがて気恥ずかしそうに、しかし心底嬉しそうな笑みを浮かべて再び湯に沈み込んだ。


「ははぁ……まさか殿と同じ湯に浸かれる日が来るなんて思ってもみなかったぜ。……あー、生き返るわぁ……」


「おい、背中を流させてもらえないかなんて恐れ多くて言えねえが、このお湯、やっぱり最高の極楽だな!」


湯の温かさと、心地よい湯煙の中で、男たちの飾らない愚痴や、新城への期待に満ちた声が自然と飛び交う。俺も彼らの他愛のない冗談に相槌を打ちながら、湯船の中で湯を掬い、共に笑い合った。


身分の垣根を越えて同じ湯に浸かり、心を通わせるこの温かな時間こそが、俺がこの島原で守りたかった本当の「豊かさ」なのだと、じんわりとした温もりが胸に広がっていくのだった。



――あれから数年の月日が流れた。


かつて雑木が生い茂っていた森岳の丘陵地帯は、今や見違えるほどに姿を変えていた。


本丸の要所に組み上げられた堅固な石垣と、それを囲む幾重もの端正な土塁。その中心には、古風な木造づくりの三層の天守閣が構えられ、黒漆塗りの下見板が重厚な美しさを放ちながら青空に向かって気高くそびえ立っている。麓には碁盤の目状に整備された整然たる城下町が広がっている。島原湊には出入りする船の帆が林立し、陸路を行く商人や旅人の活気ある声が絶えない。


すべては、あのとき思い描いた森岳遷都の青写真の通りだった。


旧・日野江城は事前の既定方針通りに陣屋へと切り替えられ、島原半島の中核機能はこの森岳の新城へと完全に移行を完了していた。手厚い賃銀によって民の自発的な力と笑顔を引き出しながら築き上げた、誇り高き島原城である。


そして迎えた城の完成祝賀の日――。

島原の城下町は、昼夜を問わずかつてないほどの熱気と歓喜に包まれていた。通りのあちこちに赤々と提灯が灯され、笛や太鼓のお囃子にあわせて町民たちが踊り歩く。特設された振る舞い処では、極上の酒とご馳走が惜しみなく配られ、老若男女問わず皆が笑顔で完成を祝い合っていた。


夜のとばりが完全に下りると、城下町の家々にはあらかじめ灯りを消すよう厳命が下され、その代わりとして、新城の天守閣や曲輪の要所におびただしい数の提灯が一斉に灯された。さらに、新道の街道筋には松明を手にした騎馬の武士や供回りたちが並び、入江や湊の海上にはたくさんの舟を浮かべてそれぞれに松明が焚かれた。


夜の闇の中に黒漆塗りの天守閣と曲輪の輪郭だけが鮮烈に、そして幻想的に浮かび上がる。無数の灯りの光は島原湾の波穏やかな水面にも幾重にも反射し、昼間とは全く異なる圧倒的な美しさをあたり一面に映し出した。


「おっ、始まったぞ……!」


人々の歓声とともに、湊の波止場からはドンッ、と腹に響くような重い音とともに、夜空へ向かって次々と色鮮やかな花火が打ち上げられた。大輪の光の花が漆黒の空に開き、光り輝く黒の天守と水面のきらめきをさらに豪華に彩っていく。


このために長崎の明船を通じて手に入れた打ち上げ花火だ


「おお……! すげえや……!」


「すごい……とってもきれい!」


夜空を焦がす鮮やかな光と、闇の中で浮かび上がる光の城の姿に、城下を埋め尽くした領民たちから割れんばかりの大歓声と拍手が巻き起こる。


幻想的な光に包まれた天守の最上階。開け放たれた窓辺に立ち、眼下に広がる美しく生まれ変わった城下町と夜空に舞う大輪の花火を見下ろしていると、背後から柔らかな着物の衣擦れとともに、愛おしい妻・さやの気配が近づいてきた。


「殿……」


そっと寄り添ってきたさやは、穏やかな笑みを浮かべて窓の外を見つめた。


「外の景色は本当にお見事ですね。あのように町の人たちが皆で笑い合い、お祭り騒ぎで新しい城の完成を喜んでいらっしゃる。おそばで見守り続けておりましたが、ここまで来る道のりは決して平坦ではございませんでした。それでも、殿が誰一人見捨てることなく、ずっと心を砕いて歩み続けてこられたからこそ……今、この素晴らしい奇跡のような光景があるのですね」


さやの優しくも頼もしい言葉を聞きながら、俺は穏やかに微笑み、その肩をそっと抱き寄せた。


「ああ。これまで歩んできた道のりは、すべてこの地で生きるみんなの笑顔を守るためだった。誰一人見捨てることなく、この島原の民とともに手を取り合って歩み、ついに自らの手でこの城を完成させたんだ。これは単なる軍事拠点などではない。民とともに築き、そしてお前と共にある、皆福の世の先へと続く世の礎そのものだ」


さやは嬉しそうに目を細め、俺の腕にそっと自分の腕を絡ませた。


(――ふふ、思い返せば遠くまで来たものだな。転生し今治での特産品の開発に、大阪の陣、島原への転封、日野江湊の発展と商業の振興、島原での特産品、山葵、琉球芋、そうめん、ジャガイモ、台風からの復興、災害対策の備蓄倉庫、さらには日々の疲れを癒やす温泉まで……いろいろ作ったものだ。……よし、あとは病対策の病院と、人を育てる藩校、年金制度、武士の生活のために警察組織でも作るか。いつも皆の暮らしに寄り添い、共に汗を流し、笑い合って歩んできた日々……。こうして一人ひとりの温かな手が結ばれ、みんなが心からの笑顔で暮らせるこの日野江・島原の地こそが、俺たちが皆福の願いを込めて作り上げた最高の『城』だ)


無数の提灯に照らされた黒の天守と、打ち上がる花火の光が幾重にも反射する中、俺は愛する妻とともに静かに微笑み、新たな時代へと動き出した島原の街並みをいつまでも見守り続けたのだった。



(皆福の楔 〜藤堂に生まれ変わったとおもったらそっちかよ〜完)



後日談:未来への楔


――それから、百数十年という長い年月が流れた。


かつて俺がこの島原の地に立ち、民とともに築き上げた城下町は代を重ねても栄え続け、平和な世を謳歌していた。しかし、歴史の針が寛政四年(一七九二)の春を刻んだ頃、静穏だった大地に突如として不穏な影が落ちる。


同年五月二十一日(旧暦四月一日)の夕刻――一八時過ぎ。


雲仙岳の一峰である眉山が、激しい群発地震の末に、耐えがたい轟音とともに突如として大規模な山体崩壊を起こした。崩れ落ちた膨大な土砂は凄まじい勢いで山腹を駆け下り、有明海へと雪崩れ込んで巨大な津波を引き起こした。島原半島や対岸の肥後・熊本地方を未曾有の災禍が襲い、甚大な被害をもたらしたのである。史実において約一万五千人もの犠牲者を出したとされる、日本最大級の火山災害――「島原大変肥後迷惑」その瞬間であった。


大地が割れ、地響きが轟く阿鼻叫喚の最中、あの「大手川」から南の「水無川」に至る一帯――かつて俺が厳重に「藩直轄の御狩場」として人の居住を禁じ、家屋の建築を固く封じ込めたエリアには、奇跡的に一軒の民家すらなかった。居住者がいなかったがゆえに、この致命的な土石流の直撃ゾーンにおいて、直前の人的被害は奇跡的に完全に免れていたのである。


さらに、崩壊と津波の恐怖にパニックに陥りかけた郷民たちの耳に、代々受け継がれてきた藩祖・そして初代藩主である俺の言い伝えが、雷鳴のように鮮やかに蘇った。


「――山が崩れた時は高い所、もしくは城に逃げ込め……ッ!!」


村の長老や親たちが、恐怖に震える子供や若者たちの手を引き、一斉に声を張り上げて叫ぶ。


「そうだ、藩祖様が言い残された御触れだ! 迷わず森岳の城へ、高い所へ駆け上がれ……ッ!」


その教えに導かれるように、人々は我先にと一目散に高台や森岳の堅固な島原城へと駆け上がり、身の安全を確保した。


かつて俺が「身の丈に合わせた必要最小限の守り」として築かせ、民とともに汗を流したあの城が、最後にして最大の避難所として幾千もの命を救い出したのだ。


災害が去り、翌日、静けさが戻った後、高台から眼下の光景を見下ろした人々は、深い涙を流しながら手を合わせた。


土石流と津波に呑まれたかつての禁忌の荒野を見つめ、彼らは震える声で呟く。


「……なんと、先見の明であられたのだ。藩祖様は、この数百年の後に訪れる大災厄の災いさえも予見し、あの場所を決して人に住まわせぬよう、『御狩場』として守ってくださっていた……」


「そして、山が崩れたら城へ逃げ込めという教えが、こうして我らの命を守ってくれた……。あぁ、なんという慈悲深き御配慮、なんというありがたきご遺訓か……!」


人々は崩れた山の脅威に慄きながらも、幾重にも張り巡らされた俺の「楔」が、数世代を経た未来の命を完全に救い出したその事実を噛み締め、崩れぬ城と先人の温かな想いに心からの感謝を捧げ続けた。


民とともに歩み、未来の悲劇を防ぐために打ち込んだすべての楔は、時を超えてこの島原の地を永遠に守り抜く、最強の「皆福の絆」となったのだった。


――大災害から数日後、鎮まりゆく島原の城内。


島原大変肥後迷惑という未曾有の災禍を乗り越えた藩の舵取りを担うのは、時の藩主・島原藤堂家(藤堂宮内家)の第7代当主、藤堂長旧(ながひさ)であった。


凄まじい自然の猛威、そして一歩間違えば藩そのものが崩壊しかねなかった未曾有の危機に対し、長旧は昼夜を問わず陣頭指揮を執り、被災民の救済と復旧に全力を注ぎ続けていた。


かつて藩祖が遺した「山が崩れた時は城へ逃げ込め」という教えのおかげで人的被害こそ最小限に抑えられたものの、津波と土石流がもたらした傷跡は深く、藩の財政も、人々の心も大きく揺らいでいた。


疲労の色を濃くしながらも、復興の指揮に戻ろうとした長旧の足が、ふと止まる。


――そうだ。今こそ、あの「文箱」を開く時ではないか。


藩祖の代から、藤堂家の当主にのみ口伝で言い伝えられてきた秘密があった。


『島原藩が、かつてない国家の危機、あるいは拭い難い大災禍に陥った時のみ、歴代当主は奥床しき間に安置された封印の文箱を開け。そこに、我が一族と領民を救う最後の道が示されている』


代々の当主たちが決して開けることの許されなかった、漆塗りの重厚な文箱。長旧はその厳重に封のされた蓋に手をかけ、震える息を整えながら紐を解いた。箱の中には、黄ばんだ和紙が一枚、静かに収められていた。


長旧が息を呑み、その文字に目を凝らす。そこに記されていたのは、かつてこの地を切り開き、民とともに汗を流した初代藩主――あの男の直筆による、力強くも温かな墨痕だった。


『どのような境遇に置かれても、天を恨まず、人を羨まず、今日できる最善を尽くしなさい。命がある限り、そこに意味がある。藩主自ら先頭に立ち働くべし』


戦乱でも、飢饉でも、そして大地震や火山災害という理不尽な自然の脅威であっても――。

ただ嘆き、運命を呪うのではなく、今この瞬間を生きる者として最善を尽くせ。そして誰よりも先頭に立ち、泥にまみれて民のために働け。


それは、未来の藩主が絶望の淵に立たされたときに見失ってはならない、政治の本質であり、人間としての生き様そのものだった。


紙片から立ち上るような、藩祖の圧倒的な熱量と、民への変わらぬ慈愛。それを読み終えたとき、長旧の胸を熱いものがこみ上げた。


「……天を恨まず、人を羨まず、か」


長旧は深く息を吐き出すと、これまでの重圧が嘘のように晴れ渡っていくのを感じた。彼は顔を上げ、しっかりと力強い眼差しでその紙を胸に抱く。


先祖が遺してくれたのは、奇跡を起こす魔法の呪文などではない。いつの時代も変わらぬ、人として、そして藩主として歩むべき「矜持」そのものだったのだ。


「藩祖様……、この長旧、ご遺訓しっかりと受け取りました。この島原の地を、必ずや再び立ち上がらせてみせます」


長旧は固く誓い、力強い足取りで復興の待つ城下へと再び歩み出した。


かつて打ち込まれた数々の「楔」と、脈々と受け継がれてきた魂の教えは、この後も永く、島原の民と藤堂家の未来を照らし続ける――。




この物語は今年7月に島原城を訪れた帰りにつらつらと考えたものです。


私は中学生の頃から歴史が好きで日本百名城を中心に各地の城郭に訪れていますが、城は総構えも含めて城だと考えています。


島原城を訪れた時、島原駅から城に向かう坂に7万石坂と看板がありました。しかし、城を眺めた時、強烈な違和感を覚えました。


今まで訪れた城は、天下普請は別として、石高に似合う城が多かったせいか、感じた違和感です。


城の面積や総石垣作り、5重の天守閣、説明版に書いてある47基の櫓...... どう考えても40万石以上の城郭です。調べると明石城や福山城のように幕府の命で金子を貸出されて築いた城郭ではありません


私はお恥ずかしい限りですが島原の事は島原の乱(それも切支丹騒動として)、城主は松倉重政くらいしか知らずにいきました。


実際に訪れ当時の人々が、松倉重政の見栄と無理矢理、過酷な重労働によって石垣を積み重ね築いたとを知った時なんとも言えない切なさを感じました。


色々な城郭を訪れていますが初めての経験でした。そして島原大変の事も初めて知ります。


しかし、町の方々は皆さん親切で具雑煮の美味しさ、武家屋敷の美しい街並み、鯉の泳ぐまち観光センター、歩き疲れて立ち寄ったゆとろぎ足湯など、また訪れたいと思う町でした。


滞在時間は5時間程度でしたので、部外者がおこがましいですが、なんとか皆様にこの事実をしっていただきたいと思い書き始めました。


また主人公を藤堂高吉としたのも、この方もとても不遇な方ですが藩主になれる可能性もあった三重県の名張藤堂家初代当主です。名張へ向かう前は今治城代でした。(ちなみに私は松阪出身です)


この話の設定として史実もベースにしていますが、ほとんど私の妄想となります。


いままでお付き合いいただき、本当にありがとうございました


皆様も、もし興味がおありでしたらぜひ一度、島原や今治、名張など訪れてみてください。(よければ松阪も)


現地でしか知りえない、貴重な情報も学べますし、なによりリベラルアーツの醸成に繋がると思います

また感想も書いてくださり、大変励みになりました

読ませていただき、新しい発見もありました。


みなさま、今までお読みくださりありがとうございました。






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― 新着の感想 ―
個人的には高吉(島原藩)が“天草一揆”の鎮圧にどう対応したかを見たかったですが、完結ありがとうございます。
連載お疲れ様でございました。 とても面白く読ませていただきました。 長さも手頃でとても読みやすい良い作品だと思います。 良いネタ思いつきましたら是非次回作も執筆くださいませ。 楽しみにしております。 …
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