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『皆福の楔 〜藤堂に生まれ変わったとおもったらそっちかよ〜』  作者: たかとら


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第47話 天下普請の狂騒、あるいは影の采配

元和六年(一六二〇)の夏。

大坂の地は、天下の歴史を文字通り根底から塗り替える空前の大土木工事・徳川幕府による大坂城の再築工事(第1期)の狂騒と熱気に包まれていた。


同年春の閏三月に現地での本格的な工事が始まって以来、大坂城の周辺は地鳴りのような喧騒と、数万の人足たちが巻き上げる凄まじい土埃に支配されていた。徳川幕府が断行したこの天下普請は、単なる城の修築などではない。


豊臣時代の大坂城の石垣や堀を、数メートルから十数メートルもの分厚い土で完全に地中深くへと「全埋め」し、そのはるか上層に一回り大きな新たな城をゼロから築き直すという、途方もない国家プロジェクトであった。


それは豊臣秀吉が築いた栄華の記憶を人々の心と土地の底から完全に消し去り、徳川の天下の絶対性を永遠に刻み込むための、冷徹で徹底的な隠蔽工作そのものだった。昭和の世に至るまで地中に眠る豊臣の石垣が発見されることなど誰も知る由もなく、今はただ、徳川の圧倒的な権力がすべての過去を泥土の下へ押し潰そうとしている。


そんな狂気に満ちた普請の現場へと足を踏み入れた俺は、巡察を兼ねて泥にまみれた足場を進みながら周囲の様子を冷静に見据えていた。


(――見事なまでの歴史の土活きだな。豊臣の痕跡を文字通り地の底へ生き埋めにし、その上に徳川の覇権を積み上げる。西国大名たちに巨万の黄金と労力を強制的に費やさせ、その財力を徹底的に削ぎ落とす。これほどの政治的装置が他にあろうか)


天下普請の総指揮を執る藤堂高虎公の周到な縄張りのもと、西国を中心に動員された諸侯たちは、それぞれ割り当てられた丁場の工事に奔走させられていた。少しでも手落ちがあれば、あるいは工事が遅れれば、幕府からいつ厳罰や改易が下るか分からないという恐怖が、現場全体の空気を極限まで張り詰めさせていた。


だが、それほどの極限状態におかれた現場は、いつ爆発してもおかしくない危険な殺気とトラブルに満ちあふれていた。


城の縄張りや丁場(割当エリア)を巡り、血気盛んな武士たちのプライドが激突する事件は日常茶飯事だった。後の寛永年間には、肥後の細川家と山城福知山藩の稲葉家の間で、石垣の境界線を巡る激しい口論からついに死者が出る大惨事(細川家の家臣が稲葉家の家臣に斬り殺される事件)まで起きており、両家が一触即発の争い寸前にまで追い込まれるなど、築城現場は常に一歩間違えれば血で染まるスキャンダルと隣り合わせだった。


さらに、石垣に使う巨石を調達する瀬戸内海の石切場も、さながら無法地帯の様相を呈していた。

当時は現代のような「技師」がいるわけではなく、幕府から命令を受けた大名たちが自らの藩兵や雇った石工たちを引き連れて島に渡り、島ごと巨大な採石場(石切丁場)として開発していた。


良い石を切り出すには膨大な時間と労力がかかるため、他家が血の汗を流して切り出した巨石を、夜中に船で乗り付けて丸ごと盗み出す「石の強奪」が横行していたのだ。「ウチの石が盗まれた!」「あいつらの仕業だ!」という小競り合いが日常茶飯事となり、各大名は自分たちの正当性を証明するため、石の表面にこれでもかと深く「家紋(刻印)」を彫り込んで自衛するしかない。現場のあちこちで「あの大名は不正をしている」という密告合戦が繰り広げられ、空気は最悪の澱みに包まれていた。


特に最大の供給地となったのは小豆島(香川県)である。島全体が良質な花崗岩でできており、山から海岸までの斜面を利用して重い巨石をすぐに船へ積み込める最高の立地だったため、多くの諸侯が殺到した。筑前福岡藩の黒田長政・忠之父子が開いた「天狗岩丁場」や「豆腐石丁場」などが特に有名で、今も当時のまま切り出し途中の巨石や家紋が残る遺跡が点在している。


また、小豆島と並んで備讃諸島や塩飽諸島に属する本島、讃岐広島、そして北木島(きたぎしま)なども、徳川大坂城の石を切り出す重要な石切丁場として大いに開発されていた。


だが、島ごとに陣取った各大名が切り出した数トンから数十トンもの巨石を木造船に載せ、瀬戸内海の激しい潮の流れを渡るのは、文字通り命がけの賭けだった。


瀬戸の難所で石を載せた船が転覆・沈没する海難事故が相次ぎ、多くの役人や船頭たちが冷たい海の藻くずと消えた。今でも瀬戸内海の海底には、当時引き揚げられずに沈んだままの「残念石」が数多く眠っている。あまりの事故の多さに、人々は沈んだ石の周りに群がるタコを見て「役人の怨念がタコに化けたのだ」などと気味の悪い噂話を囁き合うほど、その輸送路は悲劇と恐怖に満ちていていた。


そして何より大名たちを追い詰めていたのは、その底知れぬ「費用負担」という名の悪夢だった。

天下普請にかかる材料費、人件費、食費に至るまで、すべては藩の完全な自己負担である。あまりの巨額の出費に、多くの大名家が多額の負債を抱えることとなった。


例えば、西国の大大名である薩摩の島津家(島津忠恒)は、瀬戸内海からの石の運搬や大坂での人夫維持費により、当時の金額でも莫大な借金を大坂の商人から背負うことになった。あまりの資金難と精神的プレッシャーから忠恒は体調を崩し、幕府への参勤交代や大坂城の現場指揮に行くのを嫌がって「大坂へ行くのが苦痛で仕方がない」と国元への書状に書き残すほど追い詰められていた。


また、長州の毛利家(毛利秀就)は工事資金を捻出するため、領民に対して「臨時の超高額増税」を課したことで領内が崩壊寸前となり、いつ大規模な一揆が起きてもおかしくない危険な状態に陥っていた。幕府への上納金と領民の反発に挟まれた毛利家は、破滅の危機と隣り合わせで工事を続けるほかなかった。


多くの西国大名が破綻を免れるために使った唯一の手口は、大坂の商人から莫大な金を借りることだったが、そのカタとして翌年分の米や特産品の販売権をすべて商人に握られ、江戸時代を通じて永遠に借金を返し続ける苦境に固定されてしまったのである。もし工期に遅れれば、幕府から「忠誠心なし」とみなされて即座に改易される恐怖があるため、各大名は領民を絞り、借金を重ねて自滅していくしかなかった。


(――各大名がこの大坂城の普請で借金を重ね、互いに足を引っ張り合い、財政をすり減らしていく。その一方で、我が日野江藩はどうだ?)


諸侯が悲鳴を上げ、極限のプレッシャーと泥沼のトラブルに喘いでいるその裏で、我が日野江藩の持ち受け担当である開発・作事奉行の福井文右衛門は、圧倒的な手際で自藩の割り当て区画を見事に仕切っていた。


足場の組まれた現場の一角、巨大な石の据え付けを見守る文右衛門の傍らへと、俺は静かに歩み寄った。文右衛門は足音に気づくと振り返り、泥に汚れた額の汗を拭いながら深い一礼を捧げる。


「殿、よくぞご巡見にお越しくだされました。ご覧の通り、我が藩の持ち受け区画は寸分の狂いもなく進行中でございます」


「ご苦労だな、文右衛門。周辺の諸藩が内紛や小豆島や北木島などの石切場での強奪、あるいは資金繰りで血眼になっているが、こちらの進み具合はどうだ?」


「他家の如き混乱など我が藩には一切ございませぬ」


文右衛門は誇らしげに胸を張り、手元の進行図面を俺に差し出した。


「昨年からの事前の仕込みがこれほど見事に活きるとは、我ながら頼もしい限りです。特に石切場での立ち回りは完璧でしたな。先手を打って小豆島や塩飽の島々に先遣隊を送り込んでおいたおかげで、他藩が『石を盗まれた』『境界で揉めた』と殺気立っている横で、我が藩は一滴の血も流さず、最も質の良い巨石を計画通りに切り出し、自前の船団で安全に搬入できております」


文右衛門の確実な仕事ぶりに満足しつつ、俺はさらに問いかける。


「肝心の現場の作業員や人足たちの様子はどうだ。他所では過酷な労働と不満で逃亡が相次いでいると聞くが」


「そこは兵站を司る瀬尾忠次殿の働きが実に素晴らしい。現場の隅々にまで絶えず物資が行き届いております」


文右衛門が指差した先では、兵站奉行・瀬尾忠次が自ら陣頭指揮を執り、次々と到着する補給物資の荷降ろしをテキパキと仕切っていた。


瀬戸内海の激しい潮の流れや海難事故の危険を潜り抜け、忠次の率いる船団が運んできたのは、単なる資材だけではない。大容量の鉄製鑿や鶴嘴、修羅や強靭な曳き綱といった作事の必需品はもちろんのこと、藩特製の琉球芋や手延素麺、濃厚なあごだしや乾燥魚介類を組み合わせた極上の兵糧が、寸分の遅れもなく作事場の一角に構えられた陣所へと収められていく。


「おお、殿、よくぞ御巡見くだされました!」


こちらに気づいた瀬尾忠次が、汗だくの姿のまま駆け寄ってきて一礼した。その眼光は、数多の物資輸送を完璧にやり遂げている自信と充実感に満ちている。


「忠次、ご苦労。瀬戸の難所を越えての輸送、事故もなく順調だな」


「はっ! 海難事故で沈む船や『残念石』の噂など、他所の者の無様な失態に御座います。我が藩の船頭どもは、荒海を熟知した練達の者ばかり。その上、私が事前に各湊の商人たちと手筈を整え、潮の干満や流れの機微を隅々まで見極めておきましたゆえ、危なげのない完璧な道行きにて、すべての資材と兵糧を滞りなく作事場へ運び込んでおります!」


忠次は力強く胸を叩いた。


「それに、現場の人足や職人どもへの配給も万全です。他藩では低賃金と粗末な食事で逃亡者が続出していると聞きますが、我が藩では働きに見合った十分な手当てに加え、忠次殿が運んでくれる極上の素麺とあごだし汁、そして栄養価の高い琉球芋を毎日腹いっぱい食わせております。お蔭で人足たちの士気は天にも昇る勢い、病人も逃亡者も一人も出ず、むしろ『もっと働かせてくれ』と気炎を吐くほどです!」


文右衛門が笑みを浮かべながら、忠次の肩を軽く叩いた。


「おっしゃる通りに御座います、殿。他藩が重税を課して領民を追い詰め、借金まみれになっているのとは訳が違います。我が日野江藩には、長崎や博多の商屋たちと結んだ手堅い商いの仕組と、日頃から蓄えてきた確かな蓄えが御座います」


文右衛門は頼もしげにうなずき、手堅い商いの仕組みによって潤沢に回る藩財政の仕組みに自信を覗かせた。得がたい窓口や商人たちとの太い結びつきを才覚で手堅く運用しているからこそ、これほどの巨大な天下普請であっても、藩の懐が痛むどころか余裕を持って完遂できるのだ。


ここで俺は、現場の労働環境を見据えて二人に新たな指示を下した。


「過酷な天下普請を休ませずに続けさせれば、いずれ現場の足腰や士気に綻びが生じる。かといって一月おきでは現場の引継ぎや瀬戸内の船旅に支障が出る……。よって、我が藩では三月(みとせのつき)をひと区切りとした人員の交替制を敷く」


文右衛門は感心したように髭を撫で、手元の帳簿にさっそく筆を走らせた。


「お見事なお見通しに御座います、殿。大坂までの海路を通う船の手配や、国元との連絡の頻度を考慮しても、三月ごとに改めるのが実務の上で最も理にかなっております。大きな石の据え付けや基礎の構築といった作事も、一定期間同じ職人たちが担当したほうが技の噛み合わせも良くなるというもの」


忠次も力強く頷き、胸を張る。


「お任せください! 務めの者の入れ替えを三月を一区切りとすれば、私どもの海上輸送の道行きとも完全に噛み合います。定期の物資補給を載せる船に交替の者たちを乗せて往復させれば、無駄な船を出す必要もございませぬ。これなら隙なく回ります!」


「他家が窮鼠の如く財を失い、息も絶え立ち行かなくなっている横で、我が藩だけがびくともせず、それどころか極上の兵糧や手当てを惜しみなく注ぎ込んで工事を回している。この財政の底力の違いこそが、周囲の諸侯や幕府の者どもに対する最大の無言の圧力となりますな」


忠次のその言葉に、文右衛門も深く頷く。


天下の勢力が大坂城という巨大なモニュメントの建設と権力闘争に全力を注ぎ、諸侯が疲弊していく今この瞬間こそ、地方の小藩が経済的・兵站的な覇権を水面下で完全に握る絶好の機会だ。資金の心配がない我が藩は、計画的な三月ごとの人員交替制をも何の滞りもなく実行に移していく。


やがて夕暮れ時が近づき、大坂の空が夕焼けの朱色に染まり始める頃、俺たちは陣屋を後にし、宿所へと戻りつつ早馬の準備を整えさせていた。


国元からは、口之津でのジャガイモの試験栽培やザボンの苗木の生育が順調であるという報告が途切れることなく届いている。藩内の商業統制や郷蔵の備蓄も盤石であり、我が藩の足元に死角はない。


狂騒と欲望、そして血と涙のドラマが渦巻く大坂の町を背にしながら、俺は国元へ向けてさらに次なる一手を打つべく、静かに早馬の出発を命じた。

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