第41話 森岳遷都の青写真、動き出す新湊と秘められた都市計画
元和三年(一六一七年)六月
台風による壊滅的な被害から数日。
甚大な打撃を受けた島原船津および東海岸の救助活動が一段落したその日、俺は、日野江城の大広間に内政と軍事を任せている筆頭家老の桑名吉成、藩の行政と総括を担う家老の古市三郎左衛門、そして開発・作事担当奉行の福井文右衛門を呼び集めていた。
床の間には、真新しい和紙を繋ぎ合わせた島原半島の詳細な絵図面が広げられている。
三郎左衛門が手にした筆を置き、緊張と興奮の入り混じった面持ちで俺たちを見上げた。
「殿、ご指示の通り、被災した島原船津の新しい湊、およびその周辺の町割りの案をまとめました。これより御覧に入れます」
三郎左衛門が指し示したのは、俺が指示したとおりこれまでの海沿いの低地ではなく、地盤の固い高台に位置する森岳の麓から猛島神社の周辺にかけての一帯だった。
「まず、湊を猛島神社の海側に新設いたします。そこから森岳の麓へ向かって幅広の街道を通し、両側に商人町と職人町を配置する。さらに、有明海の諸湊――肥前の諸津や筑後の沖端、肥後の高瀬などと結ぶ交易船が一度に荷揚げできるよう、海岸線に沿って大規模な『貸蔵』群を並べる形といたしました」
図面を見た福井文右衛門が、頼もしく腕を組みながら感嘆の息を漏らす。
「ほう……これほど見事な陸と海の押さえであれば、有明の物資は残らず我が島原に引き寄せられましょうな。これなら古い船津よりもはるかに安全で、物通りのよい大湊となりますぞ! 地の均しや土木普請の件、この文右衛門にお任せくだされ。万全の備えで進めてみせましょう!」
(ふむ、文右衛門の言う通りだ。これだけの物流拠点を高台に作れば、将来の津波リスクも一網打尽に回避できる)
俺が内心で深く頷いていると、今度は吉成が絵図面を覗き込みながら、鋭い視線を向けた。
「それにしても、有明の海は日本一とも称されるほど潮の満ち引きが大きい。船の荷揚げや発着に支障が出ぬよう、工夫が必要ですが……」
吉成の懸念に、俺は瀬戸内の港町などで見られる海事技術の記憶を呼び起こしながら、さらに指示を重ねた。
「そこは心配いらない。海岸線の浅瀬を巧みに埋め立てて足場を固めるとともに、潮の干満に関わらずいつでも舟をつけられるよう、階段状の石積みの船着き場――雁木を幾重にも造り上げるのだ。これならば、干潮で水が引こうとも、荷揚げの手が止まることはまい」
俺の言葉に、福井文右衛門は「雁木……なるほど!」と膝を打ち、さらに目を輝かせて頷いた。
その後、吉成は文右衛門の言葉に納得したように頷くと、改まった面持ちで俺に目を向けた。
「湊と船着きの備え、実に頼もしいかぎりにございます。……ですが殿、これだけの町割りと大掛かりな湊の普請となれば、かなりの労力と敷地の均しが必要になりましょう。民の負担が重くなりすぎぬか、そこが懸念されまする」
吉成の懸念はもっともだった。
しかし、俺には最初からそれをクリアするための算段がついている。表向きの藩財政を疲弊させるわけにはいかない。
兵站奉行の瀬尾忠次が手配し、以前の江戸城天下普請の折に吉成自身も茶屋の江戸支店でその帳簿を確認して知っている――あの茶屋のネットワークを駆使して密かに蓄えられた莫大な運用金。
その全額をこの普請の資財購入や人件費に惜しみなく投入するのだ。民をタダ働きさせるのではなく、適正な賃銀を払うことで、むしろ被災した民の生活を立て直す最大の起爆剤にする。
「その心配はいらん、吉成。今回の普請にかかる入り用は、すべて別の口から工面する。民には十分な日当を与え、暮らしを立て直す稼ぎ手として誇りを持って働いてもらおう」
俺の言葉に、吉成はわずかに目を見張り、やがて安心したようにふっと笑みを浮かべた。
(――なるほど、あの時茶屋の帳簿で見た莫大な運用金が、ここで使われるというわけか。まったく、このお方は先の先まで見据えておられる……。民を痛めつけず、むしろ救うための金の使い方をされる……これほど頼もしい主君はいまい)
吉成は静かに一礼し、「承知いたしました」と深く頷いた。
さらに、俺は絵図面を見据えながら、側近たちに重要な釘を刺した。
「それともう一つ、肝心なことがある。これほどの町割りと湊の移転だ。表向きはあくまで『野分による大風水の災厄、その復旧』という建前にて、速やかに幕府へ絵図面を添えて言上・報告せねばならん。変な邪推をされては面倒だからな。事前に京都所司代や江戸の要路へも使者を走らせ、根回しを抜かりなく済ませておくように」
三郎左衛門がハッとしたように表情を引き締め、深々と頭を下げた。
「はッ! 流石は殿、そこへの配慮も抜かりございません。一国一城令の最中、無断での大掛かりな普請と見なされれば、どんな言いがかりをつけられるか分かったものではない。直ちに京都所司代への言上書を調えさせましょう」
(よし、これで幕府対策も完璧だ。大義名分を盾にしつつ、正々堂々と許可を取った上で進めれば、後々くだらない横槍を入れられる心配もない)
さらに、俺は絵図面の別の一点――現在、地元では単に無もなき川と呼ばれている一帯に指を伸ばした。
将来、あの森岳に城が築かれたとき、その正面玄関(大手門)の前に位置することから「大手川」と呼ばれることになるその川から、さらに南の水無川に至るまでの広大なエリアである。
(……この地帯こそが、この先の歴史において眉山崩壊の土石流が直撃する場所だ。ここに一般の村人を住まわせるわけにはいかない。史実の悲劇を繰り返さないためにも、絶対に人間を定住させてはならない土地だ)
俺は絵図面を見据えながら、側近たちに厳かに告げた。
「それともう一つ、重要な決定がある。――この、森岳の脇を流れ有明海へ注ぐあの川(のちの大手川)から、さらに南の水無川に至る一帯の土地だが……これより以後、すべて『藩直轄の御狩場』として指定する」
「……御狩場、でございますか?」
三郎左衛門が怪訝そうな顔をして首を傾げた。吉成も文右衛門も、突然の指示の意図を図りかねている様子だった。
「そうだ。上様の御使いや、藩主である俺が鷹狩りを楽しむための御用地とする。ゆえに、この範囲内における一切の新たな開墾および家屋の建築を厳禁とする。――ただし、口之津や日野江へ通じる既存の街道の往来に限り、通行はこれまで通り認める。だが、街道を外れてみだりに立ち入る者がいれば、違反者は厳罰に処す――そう触れを出せ」
数秒の沈黙のあと、桑名吉成の目がわずかに見開かれ、やがてすべてを察したように深い納得の色に変わった。
(……なるほど! あの一帯は背後に山を控え、水害や土砂の崩れの怖れを常に孕んでいる。そこにあえて民を住まわせず、御狩場の御名目で縛ることで、強制的に危うい地から人を遠ざけるというのか……! 流石は殿、表向きの御遊興に見せかけ、これほどの深き備えをお描きになられておるとは。儂には到底思い及ばぬ深謀遠慮……!)
吉成は深く一礼し、低い声で言った。
「……御意。街道の往来はそのままに、新たな住まいや開墾を禁じる仕組なれば、物流が滞ることもありますまい。ただちに藩中および周辺の村々へ触れを出させます。見事な一手でございます」
(よし、これで最大の難所である『眉山崩壊被害の対策』と物流の確保は両立できたな)
心の中で小さくガッツポーズをしながら、危険地帯の完全な防壁化という最大の目的を達成したところで、三郎左衛門がふと気にかかったように尋ねた。
「殿、湊と新しい町割りを森岳麓に移すとなれば……将来的には、あの森岳に新しい城を構えるおつもりなのでしょうか? しかし、世は一国一城令の最中。幕府の許可なく勝手に城を建てれば、改易の憂き目に遭いかねませんが……」
三郎左衛門の懸念ももっともだった。
史実では、この地を治めたあの愚昧な松倉重政が、分不相応な巨大城郭を無理に築いて破滅へと向かったのだ。俺が同じ轍を踏むはずがない。
俺は静かに首を横に振り、三郎左衛門の不安を打ち消した。
「城はいずれ森岳に建てる。だが、それは今ではない。一国一城令の手前もあるし、何より今の島原の民に大いなる城普請の負担を負わせるわけにはいかない。湊と町の基盤が整い、藩の財政と民力が十分に潤ってからだ。それまでは言わぬ。いずれ機が熟した折に、お前たちにも明かそう」
俺の言葉に、三郎左衛門はほっと胸を撫で下ろし、隣で福井文右衛門も大きく頷いた。
「はっ、流石は殿の思慮深さにございます。まずは何よりも湊と町の普請、これに全力を注ぎましょうぞ!」
(――そうだな、今はまだ胸にしまっておくべきだ。城を造るにしても、作るなら俺の生まれ故郷である伊勢の松阪城だな……。あれは蒲生氏郷が伊勢松阪12万石の折に築いたものだが、氏郷が会津若松移封後、後を継いだ服部一忠は3万5千石、その後古田重勝は3万4千石でうまく切り盛りした。ただ松阪城全部は無理だなあ……本丸、二の丸、きたい丸、隠居丸とあるし。本丸と二の丸部分くらいのコンパクトさで本丸のみ石垣、あとは土塁が我が日野江藩の4万3千石に合っている、それくらいの規模感こそがまさに身の丈に合った実戦的な城郭だ。史実の島原城みたいに農民からすべてを搾り取るような真似はせず、機が熟した折には、あのようなコンパクトで要衝を押さえた城をひそかに構えればいい)
心の中で静かに算段を弾きつつ、俺は側近たちにさらなる指示を飛ばした。森岳へ移転の際には日野江城と原城の旧城は、それぞれ代官所を兼ねた「陣屋」へと再編し、統治の中心機能は徐々に森岳の新城下町へとスライドさせていく、今後それを覚えておくようにと。
災害を逆手に取った都市の安全な高台移転、巧妙な大義名分による危険地帯の封鎖、そして実態の伴った現実的な防衛・行政計画――「新生・島原」の青写真が、今まさにこの広間で完璧に描き上げられたのだった。




