第39話 新年の江戸城と天下普請の喧騒、そして新たな特産品の献上
元和三年(1617年)一月
年が明け新年の松の内、凛とした静寂と厳かな祝賀ムードに包まれた江戸城にて、俺は二代将軍・徳川秀忠公への新年の挨拶と、厳粛な献上の儀に臨んでいた。
厳かな空気の漂う広間。俺は秀忠公の前へと進み出で、側に控える側用人に献上の目録を手渡した。
側用人が恭しく一歩前に進み出て、その目録を高らかに読み上げる。
「――金粉芋、十箱。山葵、二盆。琥珀糖、二十箱。板海苔、五十帖。硫黄、十斤」
読み上げられると同時に、俺の背後で控える家臣たちが、次々と木箱や籠を丁寧に並べていく。広間の床を埋め尽くすほどの献上品は、さながら日野江藩の豊かな実りをそのまま切り出したかのような壮観な光景であった。
一つは、藩の直営で栽培が軌道に乗った琉球芋を使い、独自の「煮切り干し製法」で仕上げた極上の干し芋――名づけて“金粉芋(きんこ芋)”である。干しナマコのように飴色に輝き、砂糖など使わずとも濃厚な天然の蜜が溢れるこの芋は、保存性と高い栄養価を兼ね備えた、我が日野江の新しい富の徴であった。
(前世の記憶を頼りに、作らせた志摩の名産品だ…子供の頃食べたあの懐かしい味を再現させてみたが……見事に狙い通りの極上の仕上がりになったな)
胸の内で小さく頷きながら、俺は目を向けた。
そして、深江川の上流で瑞々しく育った山葵、京や上方の公家衆にもその繊細な甘みが絶賛されている琥珀糖、日野江の豊かな海から採れた質の高い板海苔、さらに製鉄や火薬の原料としても重宝される純度の高い雲仙の硫黄。いずれも、日野江藩の繁栄を支える選りすぐりの産物である。
「おお……これらすべてが、日野江か」
秀忠が目を留め、側近の老中たちが息をのむ。俺は改めて平伏し、秀忠公を見据えて力強く言上した。
「上様。先般は領地安堵の御温情を賜り、誠に恐悦至極に存じます。これらは日野江の地で育まれた、ほんのわずかな手土産に過ぎませぬが、日野江の民が心をひとつにして育て上げた結実でございます。この恩を忘れることなく、幕府の盤石なる治世を支える一助として邁進する覚悟にございます」
さらに山葵の盆に視線を移した秀忠へ、俺は言葉を継いだ。
「山葵につきましては、かつて駿府にて大御所様にその類まれな妙味の噂を申し上げ、我が領内でも見出したことをお伝えした際、大御所様が深く感心され……有東木の栽培に長けた腕利きの職人たちを特別に日野江へと派遣してくださっているのでございます。その時いただいた教えと、我が藩の清冽な湧水とが結実し、今こうして見事な山葵を育むことができました。まさに『大御所様との約束と絆』の証として献上仕る次第にございます」
俺の言葉に、秀忠の表情がわずかに和らぎ、亡き父・家康との思い出を重ねるように満足げな深い頷きが返された。
亡き家康の威光と縁をさりげなく呼び起こしつつ、日野江が外様でありながら幕府中枢と太いパイプを持ち、産業振興を完璧に体現していること――その政治的メッセージは、秀忠や幕閣たちの心に確実に響いていた。
厳かな謁見の儀を終え、側近の桑名吉成と瀬尾忠次を従えて江戸城の広間から退出する途中、俺は中庭に面した長い廊下で、一人の大名とすれ違った。
鋭い眼光を湛え、歴戦の武将としての風格を漂わせるその男――肥前佐賀藩主・鍋島信濃守勝茂その人であった
勝茂は俺の姿を見とめると、足を止め、険しかった表情をわずかに和らげて声をかけてきた。
「おや、日野江の宮内少輔殿か。新年の挨拶は済んだようだな」
「これは、信濃守様。あけましておめでとうございます」
俺が恭しく一礼すると、勝茂は周囲にちらりと目を配ったあと、わざと大げさに肩をすくめて声を潜めた。
「……公式の場ではない。堅苦しい話は抜きにしよう。それよりも、そちが博多の商人を介して我が藩に持ちかけてきたあの商談……いやはや、見事な手際だったな。領内の米を定期的に引き受けてもらえるおかげで、こちらも大いに助かっているぞ」
それは、表向きは普通の米の買い付けと装いながら、裏では博多や上方の商人を経由して佐賀藩から日野江へ確実な兵糧米の流通ルートを築いた、あの水面下の密約の一件であった。
俺は表情を微動だにさせず、涼やかな笑みを返した。
「御冗談を。我が日野江は依然として米の収穫が伸び悩んでおりますゆえ、純粋に領民と藩の食を支えるための買い付けにございます。佐賀様のような大藩の豊かな実りに、商人を介して頼らざるを得ない我が藩の苦しさ、どうかお察しください」
「ははっ、相変わらず涼しい顔してとぼけるものだな。だが、銀の力だけに頼るのではなく、こうして周到に西国の米どころと確かな結びつきを築いておくとは……流石は天下に名を知られる宮内少輔殿だ」
勝茂は周囲に再び怪しまれないよう鋭い視線を巡らせ、さらに耳元へ引き寄せるように声を潜めてからささやいた。
「表向きは世間知らずな小藩を装いながら、裏ではしっかりと世の流れを見ているらしい」
勝茂は面白そうに片目をつむり、豪快に笑いながら肩を叩いて自身の控えの間へと歩いていった。
その背中を見送りながら、俺は静かに息をついた。
(肥前の大大名・鍋島家との間に米の流通ルートを築けたのは大きい。表向きは細々とやり繰りしている小藩を演じているが、西国の有力者たちとの水面下の繋がりを着実に広げられている……。この手札は、いざという時の大きな盾になるはずだ)
確かな手応えを胸に、俺たちは江戸藩邸へと足を向けた。
江戸藩邸へと戻った俺は、改めて供として同行していた筆頭家老の桑名吉成と兵站奉行の瀬尾忠次を呼び寄せ、今後の対応について評定を開いていた。
「殿、先ほどの鍋島様のお言葉もありましたが……我が日野江が佐賀藩から商人を介して確保している米の買付は、万が一の備えとして実にうまく機能しております。ですが、それと同時に、幕府より正式に『天下普請』の内示が届いております」
筆頭家老の桑名吉成が、手元の書付を見せながら引き締まった声で報告する。
それに続いて、兵站奉行の瀬尾忠次が腕を組みながら険しい顔で言った。
「江戸城の本丸および天守の改築に向け、我が藩にも石垣用の石の切り出しと、伊豆からの海上輸送、さらには現地への人足派遣が割り当てられております。伊豆の石切場における割当や、輸送に使う船の手配、現地へ送り込む人足の兵糧や手当について試算しておりますが……他藩の者どもは江戸の屋敷町でどこも頭を抱えております。『これほどの大普請は藩の財政を圧迫する』『一体どこからこれほどの人足を集めればいいのか』と、悲鳴を上げるのが実情にございますな」
吉成も手元の書類に目を落としつつ、苦り切った表情で頷く。
「国元の古市らとも早馬で連絡を取り合ってはおりますが、表向きは小藩である我が日野江にとっても、この割当は本来なら藩の財政を揺るがす大負担です。周囲の動揺も小さくありません」
藩士たちの焦る様子や引き締まった面持ちを見渡し、俺はあえて不敵な、しかしどこか苦悩を纏ったような笑みを浮かべてみせた。
「皆まで言うな。だが、天下人の命に背くことはできぬ。諸藩が苦しんでいるからこそ、我が日野江は忠義を示しつつ、この難局を涼しい顔して乗り切らねばならんのだ」
表向きは「小藩の悲鳴を上げる忠義の領主」を演じつつ、俺の胸中は全く別の確信に満ちていた。
(他の藩が血を流しながら人足や石をやり繰りしているが……我が日野江の懐は、茶屋の運用金で完全に守られている。ちっとやそっとの普請では微動だにしない)
その裏付けを自らの目で確かめるため、俺はすぐに江戸市中の茶屋の支店へと先触れを出させ、山積する藩邸での雑務をこなしたあと、夕暮れ時に筆頭家老の桑名吉成一人だけを供として連れ、静かに藩邸を抜け出して足を向けていた。
暖簾をくぐり、奥の静かな座敷に通されると、茶屋の番頭が深々と頭を垂れて出迎える。差し出された帳簿に目を通せば、口之津の湊で得た莫大な交易の利益が、京都の豪商・茶屋四郎次郎を通じて上方・博多のネットワークでどのように運用され、どれほどの利潤を生み出し続けているかが一目で把握できた。
そこには想像を絶する額の金銀が記されており、天下普請の割当に要する費用など、その運用益のほんの一角をつまむだけで軽くお釣りが来る規模だった。
側で帳簿をのぞき込んだ吉成が、息を呑みつつも頼もしい笑みを浮かべる。
「殿……御覧の通りにございます。これほどの蓄えと巡りがあれば、諸藩が財政難で音を上げる天下普請など、我が日野江にとっては痛くも痒くもありませんな」
「ああ。表向きは苦しい小藩を演じつつ、懐はどこよりも温かい。この差が、いざという時の決定的な力となる」
二人のやり取りを聞きながら、番頭が深々と頭を下げて言葉を添えた。
「それに、旦那様――茶屋四郎次郎からも、『宮内少輔様から運用金の持ち出し沙汰があった時は、如何なる場合も他を置いてすぐに対応するように』と厳しく申し付かっております。我が茶屋の総力を挙げ、日野江様の御用をお支えいたす所存にございます」
番頭の揺るぎない言葉に、俺は満足げに頷いた。
店を出て藩邸へと戻ったあと、俺はすぐに筆頭家老の桑名吉成に命じた。
「吉成。茶屋の運用益の裏付けは確認できた。兵站奉行の瀬尾忠次に厳命しろ。伊豆の石切場や船頭たちへ、藩の公的な規定を越える最高の賃金と手厚い待遇を――茶屋経由の運用金を使って惜しみなく弾ませろと」
吉成は鋭くも頼もしい笑みを浮かべ、深く一礼した。
「はっ。直ちに忠次へ申し付け、伊豆の現地における手配を完璧に行わせます。他藩の者どもが苦しみあぐねる中、我が藩の現場だけは最高の待遇で職人や人足たちを心服させてみせましょう」
吉成の的確な下命のもと、瀬尾忠次が迅速に動いた結果、日野江藩の担当分だけは、誰一人脱落者を出すことなく、他藩が舌を巻くほどの圧倒的なスピードと最高品質の石垣用資材として着々と整えられつつあった。
さらに、江戸の町や武家屋敷の間では、もう一つの大きな話題が熱を帯びて囁かれていた。
それは、この一月二十一日に京都の朝廷より下された、家康に対する新たな神号――「東照大権現」の宣下であった。
金地院崇伝が推す「豊国大明神」のような「明神」ではなく、天海僧正が強く主張した「薬師如来の化身・権現」が採用されたこと。それは、秀忠の背後にある徳川家の権威が、単なる天下人の枠を超えて「神の血統」として絶対的なものになったことを意味していた。
そして、この二月には、藤堂高虎らが中心となって進めてきた日光での社殿造営(最初の東照宮創建)に向け、家康の御遺体を駿府から日光へと移す前代未聞の大規模な改葬計画(神輿大行列)が本格的に動き出すという噂が、早くも江戸中の寺社や大名たちの間に駆け巡っていた。
天下が「秀忠の権威を示す江戸城の天下普請」と「家康の神格化(日光への大改葬)」という二つの巨大なうねりに揺さぶられる中、我が日野江藩は着実にその足場を固めていた。
江戸城の天下普請を裏の経済力で完璧にこなすとともに、特産品の献上によって幕府中枢への存在感を高め、そして藩内では金銀の俸禄制と村々の連帯褒賞によって揺るぎない内政の基盤を守り抜く。
激動の元和三年。日野江藩の舵取りは、潮目を完全に捉えたまま、さらに次の飛躍へと進み始めるのだった。




