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第37話 平戸と長崎の制限、そして日野江の新たな息吹

元和二年(1616年)八月


徳川家康の死後、天下が再び大きく揺らぐのではないかという西国大名たちの懸念や厳戒態勢とは裏腹に、案じたような大乱や大規模な武装放棄は起きなかった。二代将軍・徳川秀忠の政権基盤は、むしろ確固たるものとして静かに、しかし着実に固まりつつあった。


(……俺の存在で歴史は変わりつつある。なにか不測の事態が起きるかと思ったが……大きな歴史の流れは変わらないか)


江戸の激震が少しずつ日常の秩序へと戻っていく中、幕府は次なる天下の骨組みを作り上げるべく、矢継ぎ早に重大な舵を切り始めていた。


七月六日、大坂の陣での軍令違反や不遜な態度が重なっていた弟・松平忠輝(越後高田藩五十五万石)の領地を没収し、伊勢国へと流罪に処したことは、幕府の権威を内外に知らしめる布石となった。


そして八月八日、幕府は外交方針の決定的転換を公にする。


明船を除くすべてのヨーロッパイギリス・オランダなどの寄港地を、長崎と平戸の二港に制限する「二港制限令」を発布したのだ。


あわせて、全国の諸大名領内に対してキリスト教の取り締まり(禁教令)を改めて徹底させることが命じられた。


(……ついにきたか。いよいよ、幕府による国内の統制と貿易の締め付けが本格的に始まったな)


日野江の城の広間で、届いたばかりの幕府からの触れ書きを眺めながら、俺は深く息をついた。


(外国船の窓口を平戸や長崎に絞るのには、明確な理由がある。スペインやポルトガルなどのカトリック諸国によるキリスト教の布教を阻止し、その教えが幕府の封建的な主従関係を脅かすのを防ぐこと。


そして何より、西国の大名たちが領内の港で外国船と直接結びつき、莫大な富や西洋の最新兵器を蓄えて幕府を凌ぐ力をつけるのを断つためだ。


事実、諸藩の動きを見れば幕府の恐れも無理はない。


肥前・平戸藩の松浦氏は、平戸港を拠点にポルトガルやスペイン、オランダ、イギリス、さらには明の海商まで受け入れ、平戸オランダ商館やイギリス商館を立ち並ばせていた。


そこへヨーロッパ諸国から直接、最新の武器や銃弾の原料となる硝石が大量に持ち込まれており、幕府は松浦氏が西洋の先進技術と莫大な富を独占し、九州の強力な大名と結託して反乱を起こすことを非常に警戒していたのだ。


また、薩摩の島津氏は坊ノ津を拠点に、1609年に支配下に置いた琉球王国を「クッション」として挟むことで、幕府が国交を持たない明の高級生糸や漢方薬、絹織物を独占的に密輸入し、莫大な富を得ていた。


ただでさえ軍事力の高い島津氏が貿易特権でさらに豊かになることは、幕府にとって最大の脅威にほかならない。


さらに、関ヶ原以降は防長2カ国に減封された外様大名の筆頭格・長州藩の毛利氏もまた、赤間関をはじめとする瀬戸内海や日本海の海上ルートを握り、朝鮮王朝や朱印船貿易による東南アジア進出を通じて独自の海外資金源を築こうとしていた。


幕府直轄となった石見銀山とは別に、西国の広大な海運網を背景に持つ毛利氏が莫大な利益を上げて富強することは、幕府の統制にとって極めて危険だったのだ。


もっとも、幕府の制限は主にカトリック国やヨーロッパ船を対象としたものであり、正式な国交のない明の船については、国内経済に不可欠な生糸などの流通を考慮して一定の柔軟性が残されていた。


しかし、それゆえに各大名や商人間では水面下の動きが絶えない。


家康公が去り、オランダやイギリスといった新教国からの「カトリック国による植民地化の企て」という進言も重なった今、幕府は西国大名による「富と武力の蓄積」を根絶やしにするため、二港制限という断固たる決断を下したのだ。


身内への容赦なき厳罰といい、この外交の締め付けといい、徳川の世がより強固な管理体制へと移行していく動かぬ証拠だ。我が日野江藩としても、この中央の大きな流れから決して後れを取ってはならない)


幕府が外交と貿易の枠組みを急速に締め付けていく一方、俺が治める日野江の領内では、未来を見据えた着実な産業の種まきとインフラの整備が同時に進められていた。


その一つが、かつて駿府から家康公の計らいによって派遣された熟練の職人たちから直接手引きを受け、日野江の地に本格的な特産品として根付かせる山葵の栽培である。


「殿。五郎右衛門が発見した山葵の群生地をもとに、深江川の上流にて本格的な栽培場が見事に形となっておりますぞ」


開発・作事担当奉行である福井文右衛門の報告に頷きながら、俺は実際に深江川の上流へと足を運んだ。


周囲の山々から湧き出る冷たく澄んだ清流が、段々状に整えられた沢を絶え間なく潤している。そこには、農政・殖産興業奉行の田代五郎右衛門が見出した山葵の苗が株分けされ、日野江の者たちによる丁寧な手入れのもとで青々と育っていた。


(……この場所を選んだのは、何も水が綺麗だからという理由だけではない)


俺は冷たい清流に手を浸し、足元に広がる豊かな山容を見上げながら、胸中で静かに呟いた。


(のちに歴史の牙を剥くであろう、あの「島原大変」の悲劇。雲仙岳、眉山の山体崩壊とそれに伴う大津波を想定するならば、麓の低地や危険な一帯を避け、水流と地盤が安定した深江川上流こそが、この山葵栽培という新たな特産品を育てる最上の地となる。災害への備えと領内の経済基盤の強化、一石二鳥というわけだ)


さらに、領内の経済と物流の動脈となる巨大プロジェクトも、ついにその全貌を現していた。


昨年着工した、口之津くちのつ湊の大倉庫がついに五月に完成したのだ。


有明海の玄関口にそびえ立つその巨大な蔵は、堅牢な木造と漆喰で固められ、西国各地から集まる物資や南蛮貿易の品々を大量に飲み込むだけの圧倒的な包容力を備えていた。


海風が有明海の波を穏やかに押し寄せる中、俺は藩の行政と総括を担う家老・古市三郎左衛門、そして内政と軍事を任せた筆頭家老・桑名吉成らを伴い、石畳の埠頭へと歩を進めた。


背後には兵站奉行の瀬尾忠次が手際よく物資の管理を指示し、実戦指揮官にして治安維持奉行の渡辺源五が配下の兵を率いて周辺の警戒に目を光らせている。盤石な布陣だ。


「おお……見事なものだな、文右衛門」


開発・作事担当奉行の福井文右衛門が誇らしげに胸を張る。


「はっ。国元および上方や博多と結ぶ船が絶え間なく出入りし、蔵の中はすでに諸国から集まった品々で活気を帯びております」


埠頭の一帯は、荷役を担う人夫たちの威勢のいい掛け声と、積み荷を収める木箱の乾いた音が入り混じり、一角には上方から進出した茶屋の支店なども軒を連ねて、まるで一つの小さな町のようだった。


港の喧騒を離れ、山裾に進むと、潮風に混じって香ばしい土の匂いと、大勢の農民たちの笑い声が聞こえてきた。


そこでは、領内で作付けされた「琉球芋」が見事なつるを広げ、青々と育っている様子を農民たちが嬉しそうに手入れしている姿があった。


「殿! ご覧くだされ。この琉球芋、痩せた土地でありながら驚異的な勢いでつるを伸ばし、育ち具合はすこぶる良好にございます。秋の収穫の頃には、領民たちの飢えを完全に防ぐ心強い備えとなりましょうぞ」


農政・殖産興業奉行の田代五郎右衛門が、額の汗を拭いながら嬉しそうに駆け寄ってきた。


「よくやった、五郎右衛門。民たちの苦労が報われるな」


田代五郎右衛門は力強く頷き、さらに、ここから見渡せる湊の一角を指さした。


「それに、この口之津の活気は芋ばかりにございませぬ。幕府が平戸と長崎に外国船の来航を制限したことで、行き場を失った商人や船頭たちが、安全で確実な中継地点を求めて続々とこの口之津に集まり始めております。……まさに、我が日野江の思惑通りの潮目でございますな」


(……なるほど。幕府が西国の外国船貿易を平戸・長崎に絞った結果、かえってその周辺の安全な物流拠点としての口之津の価値が跳ね上がっているというわけだ)


俺は海原の向こうに浮かぶ白波を見据えながら、筆頭家老の桑名吉成や家老の古市三郎左衛門へと視線を向けた。二人は静かにうなずき、藩政の舵取りに抜かりなきことを示してくれる。


(幕府の統制から外れることは許されないが、その管理網の網の目を縫うように、合法的かつ圧倒的な経済の血流をこの日野江に引き込む。中央の動向を睨みつつ、我が領地を富豪の如く鍛え上げる……これこそが、この激動の時代を生き抜く唯一の道だ)


「三郎左衛門、吉成。引き続きこの口之津の蔵と湊の警備、物資の出入りに怠りなきよう頼む。西国の風向きは、いつ何時変わるかわからんからな」


「「はっ、御意に!」」


家臣たちの力強い返事を聞きながら、俺は大きく潮風を胸に吸い込んだ。


(口之津の大倉庫という「器」があり、深江川上流の山葵や琉球芋という「実り」がある。そして、信頼すべき家臣たちが固める盤石の行政と軍事の体制がある)


新しい時代の歯車が音を立てて回る中、俺はその潮流のど真ん中で、一歩も引くことなく、自らの手で強靭で豊かな日野江の礎を築き上げていくのだった。


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