第31話 西海の潮目、琉球芋の萌芽と苦渋の決断
元和元年九月(一六一五年生九月)
肥前国日野江における統治の布石を着々と打つ俺は、次なる実務と外交の要衡である長崎へと向かうため、まずは使者を先触れとして送り、長崎奉行所との会談の段取りを整えさせていた。
数日後、正式な手続きを経て長崎の街に入った俺は、吉成と古市三郎左衛門、瀬尾忠次、そして田代五郎右衛門を側近くに従え、長崎奉行・長谷川藤広、そして長崎代官・村山等安の二人との会談の場へと臨んだ。
島原半島の総人口約七万人のうち、半数を占める約三万五千人が切支丹信者というこの地で、彼らをどう導き、藩の基盤を安定させるか。その舵取りは、幕府や南蛮交易の利害関係者をも巻き込んだ、一筋縄ではいかない大事業であった。
南蛮貿易の利権と治安維持の最前線に立つ彼らにとって、キリシタン問題の根本的解決は長年の懸案であった。
「――日野江の切支丹のうち、篤い信仰を持つ者たちの大多数を、ゴアやマニラへの穏便な海外移住へと促します。残る者たちは法度を順守させ、この地に定住させます。奉行、代官におかれましては、この移住に伴う船舶の手配および出入国の便宜を図っていただきたい」
俺の突然の提案に、長谷川藤広はふむと髭を撫で、困惑の色を隠さなかった。
「お言葉ながら宮内小輔様、数千人もの切支丹を南蛮へ御放ち遣わすなどとは、一歩間違えば密貿易や不穏な御企てと疑われかねぬ大儀にございます。長崎奉行所といたしましても、御上に対する厳重なお手前がござればこそ、そう容易く独断にてご許可相成るわけには……」
それを聞いた俺は、静かに懐から厳重な包みを取り出した。
「これなる書状をご覧あれ。大御所様、そして将軍様より直接賜ったものにございます」
俺が目の前へ差し出した二通の直筆書状。
二人はその包み紙の重みと、そこに認められた最高権威の印章を見た瞬間、はたと息を呑み、引き締まった表情で書状を凝視した。
藤広は差し出された書状を慎重に広げ、そこに記された文面を食い入るように見つめた。
そこには、日野江藩主である俺が執り行う切支丹の円滑な出国手配に対し、幕府が全面的に信頼を置き、奉行所総出で一切の協力を惜しまぬよう命じる旨が、一分の隙もなく明記されていた。
代官の村山等安も横から覗き込み、冷や汗を拭いながら恭しく一礼した。
「……天下の御宸翰をここまで仰せつかっておられたとは。これほどの裏付けがあれば、長崎奉行所としても切支丹の出国手配および船舶の取り計らいにおいて、全力を挙げて協力せねばなりますまい」
幕府の最高権力者二人の全幅の信頼を示すこの書状の前では、いかなる疑念も無力であった。
長崎の行政を司る二人だけでなく、背後に控えるポルトガルの有力な日本渡海船船長であるローポ・サルメント・デ・カルヴァーリョやアントニオ・ファリャ・フェレイラといった南蛮商人たちをも巻き込み、切支丹たちの海外移住に向けた実務と船の手配は、誰をも揺るがし得ぬ絶対的な基盤を得たのだった。
長崎での行政調整と南蛮商人との折衝を滞りなく終えた俺は、そのまま北上し、平戸へと足を伸ばしていた。
その理由は、イギリス東インド会社が置く平戸商館を通じて、ポルトガルやスペインといったカトリック圏以外の勢力とも独自のパイプを築き、西海における外交の選択肢を広げておくためであった。
同時に、オランダやイギリス商館がもたらす最新の西洋事情や、海外からの有用な物資・作物の情報を収集する狙いもあったのだ。
商館長であるリチャード・コックスと意見を交わした帰り際、商館近くの小さな畑で、見慣れぬ奇妙な蔓性の作物が青々と茂っているのを見つけた。
「コックス殿、あの畑に植えられている珍しい植物は一体……?」
俺の問いに、コックスは目を輝かせて答えた。
「オウ、宮内小輔殿のご目が高い! それは琉球から伝わった『琉球芋』にございます。かつてウィリアム・アダムスから託されたものでして、この平戸の地でうまく育つかどうか、地元の農民に頼んで試作させているところなのです」
(あれは……? サツマイモか???)
前世の記憶の片隅で、秋の遠足や観光農園での芋掘りで土をいじり、夢中で蔓を引っ張った懐かしい光景がフラッシュバックする。あの泥まみれになって収穫した芋の葉や蔓の形が、目の前の青々とした植物とピタリと重なった。
現代の知識を持つ俺がじっと目を凝らしていると、傍らに控えていた田代五郎右衛門がその青々とした蔓葉に歩み寄り、じっと観察したのち、驚愕に目を見開いた。
「殿……これは! 拙者が聞きおよんでおりました、琉球より平戸へ伝わったという珍しい芋に違いありません。この蔓の張り、痩せた土地でも驚異的な生命力で育つという……。もしやこれこそが、日野江の食糧事情を救う鍵となるのではござりませぬか! 我が藩としても、ぜひとも導入すべきでございます!」
五郎右衛門の熱を帯びた進言に、現代の知識を持つ俺の脳裏にあったポテンシャルが確信へと変わった。痩せた土地でもよく育ち、飢饉を救う最強の作物。
これを島原半島の全域で栽培できれば、日野江藩の食糧事情は盤石なものとなり、万が一の時にも民を飢えさせずに済む。
「その通りだ、五郎右衛門。コックス殿、この芋の苗、我が日野江にもぜひ分けていただきたい。この者を通じて農民たちにも作らせ、この島原半島全体の一大名産として根付かせてみせる」
コックスは快く首肯し、その場で苗の分け前と栽培のノウハウを約束してくれた。長崎での確実な根回しと、思いがけない「宝」の発見。すべては順風満帆に進んでいるかに見えた。
………しかし、現実はそう甘くはなかった。
長崎での手配を整えて日野江へと戻った俺は、かねてより交渉を命じていた切支丹側の代表者たちを呼び出し、その協議の顛末について直接報告を受けるため再び足をはこんだ。
約束された十日後の期限――。
控えの間に通された代表者たちは、どこか重苦しい表情を浮かべ、深々と頭を垂れて座敷に控えていた。
その上座には俺が陣取り、背後には吉成、古市三郎左衛門、瀬尾忠次、そして田代五郎右衛門の四人が厳然と控えて緊張感を漂わせている。
俺は静かに茶碗を置き、落ち着いた物腰で彼らへと語りかけた。
「約束の十日が過ぎた。……領内の切支丹たちを『残りて改宗する者』と『海を渡る者』に分ける件、どう相なったか。それぞれの内訳と、背くような不穏な者たちが出ておらぬか、包み隠さず報告してくれ」
代表を務める初老の男はごくりと喉を鳴らし、恭しく頭を下げて語り始めた。
「殿、ご猶予いただいた十日間、我らも全力を尽くして各村の信者たちと対話を重ねました。その結果……二万八千人の一般信者たちが、生活の基盤を守るために改宗してこの地に残る道を選びました。また、熱狂的な信仰を持つ者たちのうち、約六千人ほどが『信仰を守るための船出だ』と、ゴアやマニラに移り住むことに同意を示しております」
報告を聞きながら、俺は大きく息をついた。総数三万五千人のうち、残る者と移住する者が綺麗に分かれ、住民の大部分が納得の上で二手に分かれるという現実的な着地点が見えつつある。
だが、代表者たちの表情は晴れない。その深刻そうな面持ちを見て、俺は嫌な予感を覚えた。
「……だが、その中にあって、どうしても耳を貸さない一派がおるのだな?」
「はっ……。数人の指導者らに率いられた三百人ほどの過激なる一党が、『異国の地へ逃るなど臆病者のすることだ! 主の御名のもと、この聖地日野江にて殉教するこそ我が本懐! 悪しき為政者の言葉に惑わされるな』と気炎を上げまして。
周囲の説得も一切聞き入れず、安富氏のかつての居城――深江城の廃城跡に立てこもり、武装して蜂起の支度を進めております」
彼らは移住組の船出をも妨害し、一般の改宗者たちをも脅かそうとしていた。
移住に同意した者たち、そして改宗して日野江に残ろうとする一般の民たちからも、切実な嘆願が寄せられた。
「殿……あの者どもはもはや誰の言葉にも耳を貸さずにおります。このままでは、我ら改宗して残る者も、海を渡る者もみな同類と疑われ、共に咎められかねませぬ。なにとぞ……我らとあの者どもは違うとお納めいただき、災いが及ばぬようお計らいを……!」
俺は深い苦渋の思いにとらわれた。
――いきなり武力で鎮圧するのは避けたい。まずは同じ信仰を持つ者同士で、穏便に話し合ってもらうべきか。
「……待て。まずは切支丹の穏健なる者どもや教会の長老らに頼み、直接説得に赴かせよう。血を流さずに済む道がまだ残っておるはずだ」
俺の命を受け、穏健派の代表者たちが説得の使者として深江城跡の拠点へと赴いた。しかし、極端な強硬派の耳には彼らの言葉も届かず、「変節者」「裏切り者」と罵声を浴びせられ、使者たちはあえなく追い返されてしまった。
それどころか、強硬派はこれを機にいっそう警戒心を強め、周囲への威嚇と武装化を加速させてしまったのである。
穏健派を通じた最後の対話の道すらも断たれた今、もはや一歩も引くことは許されない。禍根を断つため、中途半端な手心を加えるべきではない。
「……ならば、容赦は無用だ。日野江の静謐と、数多の民の行く末を守るため、あの者どもは残らず根絶やしにしてくれるわ」
俺は冷徹な眼光をたたえ、側に控えていた吉成へと命を下した。
「吉成、速やかに常備兵一千五百を率い、深江城へ向かえ。同じ村の者同士では情が移り、手も鈍ろう。精強なる兵をもって一人残らず叩き潰し、二度と反逆の芽が生えぬように処断せよ」
「はっ、御意!」
吉成は力強く応じ、即座に精強な軍勢を編成して深江城跡の立てこもり拠点へと進発した。
深夜の闇に乗じて深江城跡を完全に包囲した吉成の軍勢は、夜明けの薄明かりの中、一斉に総攻撃を開始した。十字架を掲げて狂信的に突撃してくる強硬派に対し、統制のとれた長柄の槍衾が幾重にも重なる鉄壁のファランクスが立ちはだかり、さらに容赦のない一斉銃撃が浴びせられる。
一切の妥協を排した徹底的な掃討戦の前に、深江城の古びた城跡は次々と炎に包み込まれ、その勢力は瞬く間に粉砕されていった。逃走を試みる者も含め、指導者から過激派の末端に至るまで徹底的に制圧・処分され、拠点は完全に沈黙したのち、灰燼に帰したのである。
この徹底的な武力による排除は、日野江の統治における絶対的な厳しさと揺るぎない秩序を知らしめることとなった。
――さらに、この海外移住という一大事業を成し遂げるため、俺はもう一つの重要な差配を下すべく、兵站を司る瀬尾忠次を見据えて命を下した。
「忠次、そなたに大任を頼む。長崎より出立するゴアやマニラへの移住組――およそ六千人規模の切支丹を、日野江から長崎の港へ滞りなく送り届け、南蛮船への乗り込みまでの一切の兵站と手配を完遂せよ」
忠次は姿勢を正し、力強く一礼した。
「はっ、仰せつかりました!」
「六千人もの民を一度に動かせば、途中の食料や水、宿営地の確保、さらには道中の治安維持や逃亡・騒動の防止に至るまで、細心の配慮が必要となる。南蛮商人のカピタン・モールであるローポやアントニオとも綿密に連絡を取り合い、船腹の割当と出航の期日を寸分狂いなく合わせるのだ。一人たりとも脱落者を出さず、整然と海路へ送り出すための詳細な計画を早急に練り上げよ」
「御意にございます。六千の民が飢えることなく、道中にて無用な騒ぎを起こさぬよう、街道の村々へも兵站の備えを怠りなく申し付け、一切の手配を滞りなく調えてみせましょう。この忠次、かような大任こそ腕の見せ所にございますれば!」
忠次は即座に胸を叩いて応じ、その場ですぐに各役人や南蛮通辞たちを集めた実務の打ち合わせへと取り掛かった。
冷徹な武力による秩序の樹立と、巨大な人流を制御する精緻な兵站の仕組みが整えられていくことで、日野江藩の統治体制は名実ともに揺るぎないものへと固まっていくのだった。
嵐の前の動乱を乗り越えた日野江。
長崎奉行所との確実な連携、南蛮商人との出国手配、そして新たに手に入れたサツマイモという強力な生存の糧。
痛みと犠牲を越えたその先に、俺が描く西海の明るい未来へと続く新しい潮目が、確実に動き始めていた。




