第30話 秘められた布石、天下人との密談
肥前国日野江の地にて、村方や切支丹の代表者たちに「ゴアやマニラへの穏便な移住」という前代未聞の提案を突きつけた俺。
だが、その一見すると唐突にも思える方策は、決してその場の思いつきなどではない。周到に練り上げられ、あらかじめ天下人たちの承認と盤石な裏付けを得ていた、周到に張り巡らせた布石の一手であった。
(史実のこの地では、のちにあのアホな松倉重政や息子の勝家が、過酷な島原城の築城や「九公一民」とも言われる凄惨な重税を課し、キリシタン弾圧で雲仙地獄の熱湯を浴びせかける拷問や、罪人に蓑を着せて火を放つという筆舌に尽くしがたい残虐な悪政の果てに、あの悲惨な「島原の乱」を招くことになっている……。だが、俺が治めるこの日野江を、そんな血塗られた地獄には絶対にさせん。力による支配など悪しき悪夢に過ぎぬ。『民あっての国だ』という当たり前の理をこの西海に根付かせ、まったく新しい歴史の地平を切り拓いてみせる……!)
そして時は少し遡る。
それは、二条城での肥前日野江4万3千石の領地を拝領することとなった島原半島の統治に向けた論功行賞から、わずか二日後のことだった。
伏見に滞在中の俺はまず、幕府の重鎮である大殿・藤堂高虎公の屋敷を訪ねていた。高虎公は、俺が密かに抱く西海の将来図、そして切支丹問題を根本から解決するための秘策に耳を傾けると、深くうなずき、驚くべき道筋をつけてくれたのだ。
「なるほど……血を流さずに日野江の安定を図るか。相変わらず思い切った、だが理にかなった策を考えるものよ。よかろう、大御所様と上様への目通りは、このわしが差配しよう」
高虎公の引き合わせにより、俺は江戸幕府の大御所・徳川家康公、そして征夷大将軍・徳川秀忠公の御前へと再びまみえる機会を得た。
緊張感が張り詰める御殿の広間。俺は平伏しながらも、腹の底を据えて日野江の新しい統治計画を堂々と上申し、その最大の懸案である切支丹対策について切り出した。
「――日野江には、前任の有馬家のもとで深く信仰に浸った切支丹の民が多くおります。これを力ずくの弾圧や過酷な手法で根絶やしにしようとすれば、必ずや国を揺るがす大一揆の火種となりましょう。なればこそ、無慈悲な暴政ではなく、信仰を貫きたい者たちには秩序を正した上で海外への移住を促し、血を流さずしてこの地を幕府の御膝元として従属させまする」
一言一句に聞き入っていた家康公は、鋭い鷹のような眼光を俺に向けた後、ふっと含みのある笑みを浮かべた。
(史実では、のちの代になって松倉重政がルソン島遠征計画や無謀な島原城築城で藩財政を破綻させるところだが、俺はまずこの地の安定をはかる……!)
「ほう……。一揆を起こさず、島原のキリシタンどもを自発的に追い払うか。力で押さえつけるよりも、よほど為政者らしい賢明なやり方よな。秀忠、どう思う?」
将軍・秀忠公もまた、険しい表情を緩め、静かにうなずいた。
「異国へ追うのではなく、自ら海を渡らせるか……。幕府の法度にも背かぬどころか、後々の禍根を断つ絶妙の手立てにございます。大御所様、宮内小輔に任せてみる価値はありましょう」
天下を動かす二人の最高権力者から得た「了承」の二文字。
さらに俺は、移住の実務において不可欠となる長崎奉行所への根回しと協力の取り付けまでも、この上覧の場で完璧に取り付けていたのである。
天下の承認を得た俺は、次なる布石を打つため、京都の豪商・茶屋四郎次郎の屋敷へと赴いた。
広間に通された俺は、かつて今治の藩政において交わした誓いと預けた元手をあてにしつつ、茶屋の当主に向かって穏やかに語りかけた。
「茶屋殿。以前、我が今治の藩政において定めた約束を、今もなお覚えておいででしょうか。あのとき茶屋殿にお預けした一割五分の元手は、その後の京の商いの中でどれほどまでに増えているでしょうか……どうかその実りを見せていただきたい」
茶屋四郎次郎は、嬉しそうに目を細めながら深く一礼した。
「承知しておりますとも。宮内小輔様からお預かりした一割五分の元手は、京の町衆の商いや諸国の交易に組み込み、見事に運用してまいりました。……一昨年の大坂の陣の折には、今治勢の兵粮方や軍資金の調達として、ご指示通りにその蓄えからいくらかを切り崩して用立ていたしましたが、あの分も含めて現在の蓄えがどうなっているか、ご覧に入れましょう」
茶屋の言葉に、俺はうなずきながら笑みを返した。
「ああ、あの陣の折には大層お助けに預かり申した。茶屋殿にお助けにより、あの急場を乗り切れ申したと、深く感謝いたしておる。……して、その後の差配により、今の蓄えはいかほどになっておりますか」
「はっ。そこからが宮内小輔様の慧眼に感服させられるところでございます。かの戦での出費こそございましたが、それを補って余りあるほど、宮内小輔様がもたらした名産品の数々が上方で空前の大流行を見せましてな」
茶屋は懐から太い帳面を取り出し、パサリと広げた。
「まずは、あの磯の香高い『海苔』が京の高級料亭や公家衆の間で飛ぶように売れました。そして茶の湯の席に革命を起こした『琥珀糖』の美しさと甘さは、都の貴顕共の心を完全に虜にしております。さらに、冬の陣・夏の陣の最中であっても飛ぶように売れ続けたあの甘美な『みかん』、そして独自の技法で鮮度と旨味を極限まで保った『神経締め鯛』の流通網が、上方市場を完全に制覇いたしました」
ずらりと並んだ驚異的な売上と利益の数字。
茶屋は誇らしげに胸を張り、帳面を指し示した。
「宮内小輔様の先んじた御企てと、我が一族の商い網が噛み合うことで、無類の富が生まれ続けておりまする。大坂の陣の御出費など、これら特産品のもたらす果報に比べればほんのわずかなもの。お預かりした一割五分の元手は、あの戦を経てなお、かつてなきほどの雪だるま式に膨れ上がっておりますぞ」
茶屋が差し出した帳面を開いた俺は、そこに記された数字を確認し、思わず息を呑んだ。
(よしっ……! 狙い通りだ。無理強いして搾り取るのではなく、互いの利益を分かち合うWIN-WINの関係だからこそ、これほど強固な経済圏が築ける。海苔、琥珀糖、みかん、神経締め鯛――俺たちが蒔いた経済の種が、京や大坂の巨大市場で完璧に花開き、莫大な富を産み出し続けている)
「……これほどのみごとなご差配、さすがは茶屋殿にございます。されど、わたくしの志はこれにとどまりませぬ。これからおさめる肥前日野江の地にて、今度は有明海の湊の仕組みを整えたく存じます」
俺の言葉に、茶屋四郎次郎は鋭く、しかしどこか楽しげな光を瞳に宿して聞き入る。
「ほう、有明海の湊の仕組みでございますか」
「その通りです。有明海の豊かな海を活かし、国内の諸国を繋ぐ一大流通の要衝へと育て上げたい。そこで、茶屋殿。その新たな湊を発展させる事業におきましても、再び我が商いの伴侶として、共に出資していただけないでしょうか。もちろん、得られる利潤はしっかりと分かち合います。共に、さらなる大事業を成し遂げようではありませんか」
俺の誘い掛けに、茶屋は不敵かつ晴れやかな笑みを浮かべ、深く一礼した。
「はっ! 宮内小輔様のご見識にお供できるのであれば、これほど面白い商いはございませぬ。ぜひとも喜んで、我が一族の財を投じさせていただきましょうぞ!」
二人の間に交わされた新たな約束の握手は、数千人の切支丹たちをゴアやマニラへ送り出すための船舶の手配、そして彼らが新天地で当座の暮らしを立てるための十分すぎる移住支度金を悠々と賄うとともに、西海の未来を大きく揺るがす巨大な経済の歯車を、さらに力強く回し始めるのだった。
――金もよし、大御所の許しもよし、長崎奉行の手配もよし。
すべては、この日野江の夏の日へと繋がっていたのだ。




