第29話 検地と信仰、新領主の提示
肥前国日野江城への入府からまもない夏の日。
俺はさっそく自らの足で領内の実態を確かめるべく、吉成や藩の行政官・古市三郎左衛門、そして三郎左衛門の配下である田代五郎右衛門と最低限の供回りだけを従え、庄屋の屋敷へと直接足を運んでいた。
そこには村方三役や町年寄りが集まりて控えている。
前任の有馬家が突然の転封となり、幕府を揺るがせた大事件の後にやってきた得体の知れない新参者――しかも新領主である俺が、わざわざ自ら出向いてきたとあって、招かれた庄屋や名主、そして町の代表らは皆、一様に驚きと緊張の色を浮かべて座っている。
重苦しい沈黙が広がる座敷の中で、俺はまず大きく息を吸い、静かに、しかしはっきりと口を開いた。
「皆、顔を上げてくれ」
俺は控えめな広間を見回し、落ち着いた声で切り出す。
「案ずるな。今日こうして俺が直接赴いたのは、そなたらを脅すためでもなければ、これまでの暮らしを理不尽に奪い去るためでもない。この日野江の地において、お前たちと我ら藩の者が、共にしっかりと生きていくための道を話し合うためだ」
俺の言葉に、村方の一人がおそるおそる頭を上げた。
そこに控えていた藩の行政官・古市三郎左衛門が、自身の配下である一人の男を前に進み出させる。
「これなるは我が配下にして、農政および耕作の仕組に最も通じた者――田代五郎右衛門にござる」
三郎左衛門の紹介で一礼した五郎右衛門は、日焼けした精悍な顔立ちに、鋭くもどこか温かみのある目をしていた。彼は実際に田畑を歩き回り、土の質や作物の育ち方まで熟知している、いわば農業のプロフェッショナルだ。
五郎右衛門が村役人たちに向かって、一歩前に出て語りかけた。
「庄屋殿、名主殿。安心されよ。我らが目指すのは、過酷な取り立てで民を苦しめることではない。そのためにも、まずはこの領内の本当の姿を知る必要がある」
五郎右衛門の言葉を受けて、俺は本題を切り出した。
「そうだ。そのための第一歩として、領内全域の『検地』を行いたい。
ただし、怯える必要はない。新たに定めた取り立ての基準は『四公六民』とする。これまでの重税に比べれば、確実に見劣りしない負担にするつもりだ」
「四公六民……!」
どよめきが走る。当時としては決して厳しすぎる比率ではない。むしろ農民たちにとっては幾分か希望の持てる数字だったはずだ。
しかし、俺はすぐに表情を引き締め、釘を刺すように付け加えた。
「ただしだ。これまでの帳面と現実に齟齬があることはすでに分かっている。隠し田や、不当に年貢の免除を主張している土地があることもな。
……もし検地に臨む前に自ら名乗り出ず、後から隠し田などが露見した場合は、厳罰に処す。こればかりは容赦せぬ。
だが、隠さず正直に差し出し、共に正しい検地に協力してくれるのであれば、過去の分までとやかく咎め立てはせぬ。あくまで、これからの日野江の民の暮らしをより良くするための検地なのだ」
五郎右衛門も力強くうなずき、村の代表たちに寄り添うように声をかける。
「実なる耕作の広がりと収穫のほどを精確に見極められずして、公平な政など行えませぬ。皆々が心安らかに田畑を耕し、しっかりと収穫を我が物とできるお計らいを整えるため、どうか御協力くだされ」
対話と生活の保障、そして明確なルール提示。
村役人たちの顔に浮かんでいた警戒の色が、少しずつ納得と安堵の表情へと変わっていくのが分かった。
――ここで具体的な実務を詰めるため、俺は古市三郎左衛門を前に促した。
「三郎左衛門。村方三役および町年寄りと話し合い、検地の具体的な手順や期限、隠し田の自首に関する窓口の設置について、しっかりとすり合わせを行え。民に無用な混乱や不安を与えぬよう、実務の段取りを詰めるのだ」
「はっ、御意にございます」
三郎左衛門は力強く一礼すると、村方の代表者たちに向き直った。
「庄屋殿、町年寄殿。これよりは我が方へ寄り、具体的な相談をいたそう。検地を円滑に進め、皆の負担を不当に増やさぬための取り決めを、この場でしっかりと詰める」
三郎左衛門の的確かつ実務的なリードのもと、庄屋や名主、町年寄りを交えた詳細な打合せがその場で始まった。隠し田の申告期間はどれほど設けるべきか、測量の立ち会いにはどの村役人を当てるかといった実務上の懸念事項が一つひとつ丁寧に話し合われ、双方の間でしっかりと共通認識が形作られていく。
新参の藩主がただ威圧するだけでなく、行政官を交えて実務の細部まで誠実に向き合う姿に、村の代表者たちの表情に浮かんでいた最後の一抹の不安も綺麗に拭い去られていった。
――だが、土地と年貢の取り決めがついたところで、この日野江におけるもう一つの重く、そして避けて通れない問題へと話は移る。
「……さて、もう一つ、皆と率直に話し合わねばならぬことがある」
俺は場全体の空気を引き締め、城下のあちこちに深く根を張る問題へと切り込んだ。
「日野江に入ってからというもの、町や村のあちこちに南蛮の十字架や聖堂があり、お前たちの暮らしに切支丹の教えが深く染み込んでいるのを見てきた。これまでの有馬の殿様が手厚く保護してきたゆえなのだろう。……隠さず教えてほしい。今のこの領内における切支丹の広がりや、信仰の有様は実際のところどうなっている?」
俺の直球な問いかけに、同席していた吉成や田代五郎右衛門らは、あまりの事に、はたと息を呑んで顔を見合わせた。
一方で、村方や町年寄りの面々は心臓でも鷲掴みにされたかのように一斉に青ざめ、自分たちの信仰に触れられることを最も恐れていたのだろう、座敷の空気は一瞬にして凍りつき、ピリッと肌を刺すような重苦しい緊張が充満した。
だが、俺が責め立てるような目を向けないと分かると、町の代表を務める年配の男が、おそるおそる頭を下げて口を開いた。
「……御意。隠しても仕方がありません。この日野江では、武士も町人も、そして農民の多くも洗礼を受け、南蛮の教えを心の支えとして生きております。教会に通い、組組織を作って日々の祈りを捧げるのが、もはや我が暮らしの当たり前の有様にございまする」
「そうか……。隠さず話してくれて感謝する」
俺は村役人たちへ感謝を告げると、ふうと息を吐き出し、本題の核心へと踏み込むための言葉を続けた。
「日野江の暮らしの裏にどれほど深く信仰が根を張っているのか、俺の目で直接確かめておく必要がある。――日野江の切支丹社会を束ねる指導者や代表者たちを、この場へお呼び立て願いたい。数日後、改めてこの場所にて顔を合わせたく思う」
その言葉に、村の代表たちは顔色を失い、一斉にざわめいた。
庄屋を務める老人が、冷や汗を拭いながら震える声で恐る恐る問う。
「……お、恐れながら。指導者らを呼び出すとは……一体どのようなご沙汰でございますか。まさか、お縄を頂戴するためでは……」
疑念と恐怖が入り混じった視線を向ける村人たちに対し、俺は静かに首を横に振った。
「案ずるな。今すぐどうこうしようというわけではない。ただ、日野江の現実をありのままに知り、この地がどう生き残るべきかを彼らと直接話し合いたいだけだ。……我が言葉に偽りはない。数日後、彼らを連れてここへ来るがいい」
新領主の揺るがぬ言葉に、庄屋たちはこれ以上抗うこともできず、複雑な不安を抱えながらも重々しく頭を下げてその場を引き下がった。
そして――数日後。
庄屋の屋敷には村の代表者たちに加え、日野江の切支丹社会を束ねる指導者や代表者たちも姿を現していた。
南蛮の十字架を胸に下げ、覚悟を帯びたまなざしを向ける彼らを前に、俺は茶碗を置いてゆっくりと口を開いた。
「よくぞ集まってくれた。先日は村方から話を聞いたが、今日は切支丹の代表であるあなた方と、包み隠さず本音で話をしたい」
静まり返った座敷を見渡し、俺は江戸の情勢と、この西海の地が置かれた現実を告げる。
「まず、隠さずに言おう。いまの天下を治める江戸幕府において、切支丹に対する風向きはもはや一刻の猶予もないほど厳しくなっている。すでに3年前、慶長十七年(1612年)には幕府直轄地に対して『禁教令』が発令され、近年ではその取り締まりが全国へ向けて日増しに強化されつつあるのだ」
「……!」
室内にどよめきが走る。ある者は顔を青ざめさせ、ある者は鋭い警戒心を露わにした。これまで有馬家のもとで手厚く保護されてきた彼らにとって、それは文字通り首筋に突きつけられた冷たい刃のようなものだった。
しかし、俺は動揺する彼らを制するように、さらに言葉を続けた。
「驚くのも無理はない。だが、俺がこうしてあなた方を呼び出し、わざわざ幕府の現状を包み隠さず話しているのは、明日にもあなた方を捕らえて弾圧するためではない。むしろ、その逆だ。幕府の法度は厳格だが、だからといってこの日野江の民の営みを力ずくで踏みにじれば、それこそが最も恐ろしい一揆の火種となる。血の雨が降る結末など誰も望んではいない」
そして、俺はぐっと身を乗り出し、真っ直ぐに彼らの目を見据えた。
「――そこで、俺から率直に問いたい。
そなたたち。やはり信仰は捨てれぬか?」
重苦しい沈黙が広がる座敷の中で、切支丹の代表を務める初老の男が、ゆっくりと顔を上げた。その目に宿るのは、恐れではなく、覚悟に満ちた深い光だった。
彼は胸元に下げた小さな十字架をそっと握りしめ、揺るぎない声で言い放った。
「……おのおのの胸の内を包み隠さずとおっしゃられたゆえ、偽りなくお答えいたします。我らにとって、南蛮の教え、そして神への祈りは命そのものにございます。どんなに過酷な沙汰が下されようとも、信仰を捨てることなど、断じてできません。」
代表者の揺るぎない言葉を受け、俺は一段と鋭いまなざしを彼らに向けた。
「……『どんなに過酷な沙汰が下されようとも、信仰を捨てることなど、断じてできない』と言ったな」
俺は低い声で問い返す。
「では問う。どんな苦難も、信仰のためなら耐えると申すか?」
代表の男は微動だにせず、真っ直ぐに見据えたまま力強く頷いた。
「……いかなる苦難が待ち構えていようとも、我らの信仰ゆえの試練と受け止めまする」
その覚悟の強さを引き取った上で、俺はさらに踏み込んだ言葉をぶつけた。
「そなたたちは信仰の為なら、『いかなる苦難が待ち構えていようとも、信仰ゆえの試練と受け止める』と言ったな」
俺はそこまで言うと、一度言葉を切り、座敷を包む空気の重みを確かめるようにゆっくりと息を吐き出した。
そして、一段と低く、しかし力強く、逃げ場のない真剣なまなざしを彼らに向けた。
――ならば。
「南蛮の教会で教えを受けないか? 渡航の資金援助と手配をつけてやるゆえ、ゴアやマニラへと渡り、そちらで信仰とともに心置きなく暮らしてはどうだ?」
その提案に、座敷の空気が一瞬で静まり返った。
村役人たちも、切支丹の代表者たちも、あまりの予期せぬ言葉に目を見開いたまま固まっている。
「このまま改宗しないなら、俺はそなた達を捕らえ殺さなければならない」
静まり返った座敷に、俺の冷徹でありながらもどこか重みのある声が響く。
「俺は人の信仰心というものは、本来であればおのおのの内に持つべき自由なものだとは思う。だが――この日の本に生きる以上、お上の定めた法度には背くわけにはいかん。それが天下の理だ。今後、幕府の詮議がいよいよ厳しさを増せば、俺とて藩主として切支丹の取締まりを行わねばならぬ時が来るであろう」
俺はまっすぐに代表者たちを見据え、本心をぶつけた。
「……だが、俺はそなた達を殺したくない。無用な血を流し、この日野江を地獄に変えたくなどないのだ。
ゆえに、いつの日か、この国で再び切支丹の教えが認められる時が来るかもしれない。――それまでの間、血を流して命を落とすのではなく、安全な海の向こうで暮らさないかということだ」
「無論、ただ追い立てるような真似はせぬ。生活がしっかりと成り立つように当分の資金も提供するし、長崎奉行にも俺の方から話をつけよう。安全に海を渡れるよう手配する」
俺のその言葉は、脅しでも気まぐれでもなく、藩主としての最大の譲歩であり、彼らの命を守るための泥臭い知恵だった。
しかし、その提案の重さに、代表の男をはじめとする切支丹の者たちはすぐには言葉を発せなかった。祖先代々から土地を耕し、骨を埋めるつもりだった故郷を離れ、遠く離れた異国の地へ渡る――それがどれほど大きな決断であるか、彼らも痛いほど分かっていたからだ。
座敷の中には、再び重い沈黙が落ちた。
だが、それは先ほどのような恐怖や警戒の沈黙ではなく、自分たちの信仰と命、そして未来をどうすべきかという、苦渋の選択に向き合うための静けさだった。
「急な話ゆえ、即座に返答ができぬのも無理はない。それに、これはお前たち代表の者だけの問題ではなく、日野江の郷で暮らすあまたの信者たちにとっても、命の行き先を分かつ一大事だ。
――日を改めて、十日後にまたここへ参れ。それまでに信者どもへもこの旨を漏らさず伝え、皆で深く話し合っておくがよい」
そして、一息置いてから力強く続けた。
「その答えが出る頃に、再びここで話し合おう。待っている」
俺のその言葉に、代表の男は深く息を呑むと、震える両手で畳をつき、絞り出すような声で答えた。
「……御意。……そのお心遣い、しかと受け止めました。信者どもを集め、皆で話し合ってまいりまする」
新領主である俺が示した、過酷な取り締まりでも黙認でもない――「国外への穏便な移住と資金援助」という異例の提案。
果たして彼らはどのような決断を下すのか。十日後の再会に向け、日野江の運命を左右する静かなる時間が動き出したのだった。




