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第27話 さらば伊予今治、そして西海への大移動

元和元年(1615年)の七月――京都の二条城で下された藩主独立と肥前国日野江(島原)への転封の沙汰。その衝撃からようやく立ち直った俺は、大坂から船を仕立てて瀬戸内海を西へと進み、慌ただしく今治へと戻ってきた。


なんせこれまでの今治二万石から、一躍四万三千石の大名へと昇進――聞こえは最高に良いが、実態は前任者が投げ出した厄介なキリシタン問題がくすぶる最前線への赴任である。のんびり浸っている暇など一刻たりともない。


(はぁ……何が「大名への昇進」だ。四万三千石っていえば聞こえはいいけどよ、中身は火薬庫みたいなもんだぞ。前任者の尻拭いを丸ごと押し付けられて、よくもまぁ喜んでいられるもんだわ……)


「おい、そこの荷造りはしっかり縛れ! 壊れやすい南蛮渡来の器や書物は厳重に木箱へ詰めろよ!」

「殿、馬具の点検、および武具の積み込み、すべて相違なく完了しております!」


今治城の広場では、吉成や渡辺源五をはじめとする家臣たちが、慌ただしい中にもどこか新しい門出への高揚感を漂わせながら走り回っていた。

その傍らでは、藩の行政と総括を担う古市三郎左衛門が、分厚い台帳を片手に険しい顔で新天地への算段を弾いている。


「殿、今治の組織解体と、日野江での新体制に向けた諸経費の算定が終わりましたが……この大移動による臨時出費だけで蔵が底を突いてしまいますぞ。おまけに肥前国から引き継いだ検地の帳面なぞ到底あてにできぬ代物ですし、まったく頭が痛い……」


三郎左衛門の隣では、開発と治水を担う福井文右衛門が、これまた大きな設計図を広げながら腕を組んでうなっていた。


「行政の心配ももっともですが、三郎左衛門殿。日野江といえば、荒れ果てた農地や手つかずの治水問題が山積みだと聞いています。着任早々、水利の再編と新田開発の計画を急がないと、新しく入る領民たちの食い扶持すら危うくなりますぞ」


さらにその近くでは、兵站奉行の瀬尾忠次が、冷静かつ手際よく膨大な兵糧や武具の目録をチェックしながら、静かに手元の手拭いで額の汗を拭っていた。


「武士団の移動だけでも船の手配や道中の兵糧計算など諸々の調整が必要ですが、計画通りに進めれば問題ありません。ただ……これ以上、荷物や移動要員が増えるような事態となれば、船の手配の再計算と追加の兵站確保が急務となりますな」


(さすが忠次、あんなにてんてこ舞いになりそうな大移動の最中でも、ブレずに冷静で頼りになるな……!)


今治城の広場の一角、旅立ちの支度や家臣たちの怒濤の報告が飛び交う中、妻のさやはまだ幼い我が子―、生後一歳となったばかりの長正を優しくあやしながら、静かに微笑んで旅支度を整えていた。


「皆さま、これまでのご苦労、本当に頭が下がる思いにございます。かような長旅となりますゆえ、殿も、そして皆さまも、どうかお体に障りませぬよう……」


さやの腕にしっかりと抱かれた幼い長正は、事の重大さも分からず、きょとんとした丸い目をパチクリとさせている。


(さや……そして、まだこんなにちっちゃい長正まで巻き込んで、俺たちはこれからどこへ向かおうってんだ……)


妻の温かい言葉と、まだあどけない我が子の笑顔に救われつつも、俺が小さく息をついたその時、一人の家臣が足早に駆けてきて、恭しく頭を下げた。


「殿、失礼いたします。城の表門にて、今治城下の町年寄りがどうしても殿にお目通りしたいと、面会を求めておりますが……いかがいたしましょうか」


「町年寄りが? ……わかった、通してくれ」


家臣に案内され、大手門から二の丸を越えて本丸へとやってきた町年寄りは、深々と頭を下げた。その後ろには、心配そうな顔をした町人や農民たちに加え、なにやら見慣れた職人たちがごっそり控えている。


俺の前に進み出た町年寄りは、改めてじっと頭を下げてから、真剣なまなざしでこう言った。


「お忙しいところ、突然のお目通り願い、大変恐れ入りますお殿様。我ら今治の町年寄り、ならびに町民一同、どうしても言上いたしたいことがあり馳せ参じました」


「面会を乞うてまで、一体どうしたというのだ? 何か大難でもあるのか?」


俺が尋ねると、町年寄りはまっすぐ俺の目を見据えてこう言った。


「大難などではございません! 我ら今治の町年寄り、および町民一同、話し合って決めたのです!」


「決めた、とは……何をだ?」


「殿が、あの遠い肥前国日野江へ移られると聞き及びました。あそこは前任者が何やら大層手を焼いた、きな臭い噂の絶えない土地と耳にしております。そんな物騒な西海の最前線へ、殿を一人で行かせるわけにはまいりません! それに、我らだけではありませんぞ!」


町年寄りが後ろを振り返ると、そこにいたのは今治の特産品を支えてきた職人たちだった。


「お殿様! 俺たちも連れていってください!」


「そうだ! 島原の海だって、極上の海苔が育つ最高の漁場のはずだ! 俺たちの海苔作りの技術があれば、あっちでも絶対いける!」


「上品で透き通る甘さの琥珀糖作りも、西海の新しい名物にして見せますよ!」


「魚の旨味を極限まで引き出す俺たちの『神経締め』の技も、島原の連中に叩き込んでやります!」


(((いや、待て待て待て待て!!!!)))


プロの職人集団まで勝手に移住を志願し始めた光景に、俺の脳内は完全にフリーズした。

今治から肥前日野江(島原)への引っ越しだけでも、武士団や家財道具の大移動でてんてこ舞いだというのに、まさか海苔の職人、琥珀糖の職人、さらには神経締めの職人まで技術を引っさげて一緒に移住すると言い出すとは夢にも思わなかった。


(正気かお前ら!? 伊予今治から肥前日野江って、途方もなく遠いぞ!? 特産品の職人まで丸ごと大移動させたら、今治の経済がすっからかんになっちまうだろ! というか、島原でいきなり海苔養殖や琥珀糖や神経締めを始める気満々じゃねぇか!)


呆然と口を開けて固まる俺の横で、行政の三郎左衛門は目を剥き、開発の文右衛門は持っていた設計図を落とした。そして、先ほどまで冷静だった兵站奉行の忠次ですら、この想定外すぎる増員計画の数字を脳内で弾き出し、頭を抱えて真っ青になりながらぶるぶると震え出した。


「なっ……! 領民だけでなく、各職人まで数十人単位で移動に加わるとおっしゃるのですか!? そんなことをすれば、今確保している船では人員も物資も全く足りません! 直ちに輸送計画の白紙撤回と、船の追加手配を――くっ、私の計算が狂う……!」


「落ち着け忠次、お前の胃がキリキリ痛むぞ!」


(ただ事じゃねぇよ!! 俺がこれから行こうとしているのは、一歩間違えば宗教戦争の火種が爆発する最前線だぞ! そんな物騒なところに、海苔職人や琥珀糖職人、神経締めのプロまでゾロゾロ連れていけるわけないだろ!)


とはいえ、目の前で深々と頭を下げ、「殿のご威光を新しい土地でも支えさせてくれ」と訴える町年寄や職人たちの熱意を、冷たく突っ放すこともできない。今治での日々、彼らと築いてきた信頼関係と技術の結晶が本物だったからこその言葉なのだと分かってしまうからだ。


(……くそっ。この人徳というか、なぜか勝手に周囲の懐に飛び込まれるこの体質は一体なんだよ。これじゃあ、島原での領国経営が最初からハードモードどころか、ついてきた民の生活と職人たちの販路まで丸ごと背負う、前代未聞の超ウルトラデスロードになっちまうじゃねぇか……!)


頭を抱えて、天を仰いで絶叫したい衝動に駆られながらも、俺は覚悟を決めるしかなかった。


そして、すべての出発を直前に控えた、慌ただしい日々の中――。

俺は城の奥の間にて、今治城の次代の管理を引き継ぐことになる一人の男と向き合っていた。

目の前に座るのは、津藩から新たに城代として派遣された藤堂高刑だ。


「宮内少輔殿、いよいよ島原へ発たれるのだな」


高刑は静かに茶碗を置き、真摯なまなざしで俺を見据えた。

その表情には、前人未到の西海へと赴く俺たちへの気遣いと、これから今治城の城代として留守を預かる者としての引き締まった覚悟が宿っている。


「ああ。これまでの今治二万石の行政、そして開発途中の新田や、町割りのすべても、津藩から遣わされた頼もしい高刑なら安心して城代の座を任せらる。……すまないが、あとの頼んだぞ、高刑」


俺がそう告げると、高刑は深くうなずき、きれいに整えられた引き継ぎの帳面を受け取った。


「お任せください。この今治の地をしっかりと引き継ぎ、滞りなく守り抜いてみせます。……どうか肥前の地でも、存分に暴れてきてくだされ」


高刑の力強い言葉を聞き、俺が穏やかにうなずいたその時、高刑はふと表情を和らげ、どこか感慨深げに頭を下げた。


「……そういえば高刑。あの長瀬川の激戦から、まだそう日も経っていないというのに、こうしてまた顔を合わせることになるとはな」


俺がしみじみと呟くと、高刑は静かに笑みを浮かべ、真摯なまなざしで頭を下げた。


「はい。……あのとき、宮内少輔殿が命を懸けて私を死地から救い出してくれなければ、私の命はあの場で潰えていました。あのときいただいた恩に報いるためにも、この今治を必ず守り抜いてみせます」


(高刑……)


長瀬川の泥臭い戦場で生死を共にした記憶が、鮮やかによみがえる。

死地をくぐり抜けた男が、今こうして頼もしい城代として目の前にいる。その絆を胸に刻み、今治を離れ、西海へと向かう俺たちの一行は、いよいよ瀬戸内海を抜け、遠き西海・島原へと向けた本当の船出の時を迎えるのだった――。

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