第22話 修羅の道へ――河内口の先陣
慶長20年(1615年)4月上旬、駿府を発った大御所家康公の本隊が上方へ向けて動き出す中、我が今治勢もまた、伏見の陣所にて着々と出陣の準備を進めていた。
大坂城の惣構や堀が再び築かれ、牢人が集められているという報せは、もはや疑いようのない事実として徳川方の陣中を駆け巡っている。家康の動員令を受け、諸大名が続々と上方へと集結しつつあった。
陣所の一室で、俺は直近の不穏な動きを
記した情報に目を通していた。
史実の通り、豊臣方は徳川方の本格的な包囲網が完成するより先に先手を打った。4月26日、大野治房が2千余の兵を率いて大和方面へ出撃し、同月27日には大和郡山城を攻撃してこれを落とし入れたのだ。
城主の筒井定慶はたまらず敗走し、大和一帯は一気に緊迫の色を濃くした。
さらに紀州方面に向けても、豊臣方は手を打っていた。
大和郡山城の攻略後に軍勢を南下させた大野治房に加え、夜襲の達人として名高い塙団右衛門(直之)、淡輪重政ら約3千の軍勢が紀州へと向かい、北上してくる浅野家を奇襲・挟撃する計画を立てていたのである。
しかし、他隊との連携が上手くいかぬまま迎えた同月29日の「樫井の戦い」において、塙団右衛門は浅野勢を相手に奮戦空しく討ち死にし、淡輪重政らも命を落とするという痛恨の結果に終わることになる――
その緊迫した前哨戦の報せが、次々ともたらされていた。
この大和・紀州における豊臣方の積極的な攻勢、そして城を出ての野戦・攻撃の構えを受けて、徳川方も直ちに対応を迫られた。
4月28日、大御所・徳川家康および将軍・徳川秀忠のもと、二条城にて本格的な軍議が開かれた。
(――いよいよ、二条城での軍議が始まる。史実ではここでの決定を経て、河内口や大和口への進撃が本格化する……。向こうの焦りが先手を生み出しているが、こちらも一歩も引けない局面だ)
緊迫した空気が漂う二条城の広間。譜代の諸将が居並ぶ中、そこで下された正式な陣立ては、河内口や大和口といった各方面から大坂城へと進撃し、敵の備えを撃破するための大規模な進発計画であった。
(史実通り、我が藤堂隊は河内口の先手を任されることになる。あの過酷な戦いが、確実に近づいている……)
軍議が終わり、下知状を手に自陣へと戻った俺を、吉成、渡辺源五、瀬尾忠次の三人が引き締まった面持ちで迎えた。
吉成が鋭い眼光を光らせ、静かに問いかける。
「殿、二条城での軍議にて、ついに大御所様より下知が下されたと聞いております。我が今治勢の進むべき方面と、初動の配置はいかに定められたのでございますか」
俺は二条城で受け取ったばかりの下知状を手に取り、押し黙った。
「そうだ。大御所様のご命令により、今回の進撃路が正式に言い渡された。大殿が率いる本隊の先手として、我が今治勢は河内口を進む幕府軍の最前線に立つ。敵の備えを真っ向から迎え撃ち、先陣を切って進むのだ」
言葉では力強く命じてみせたが、胸のうちは重く冷え切っていた。
(――河内口の先手。それは最大の栄誉であると同時に、最も過酷な死地へと真っ先に踏み込むことを意味する)
冬の陣での雪辱を誓い、気勢を上げる源五や忠次、吉成の顔を見つめながら、俺の脳裏には歴史の残酷な現実が暗い影を落としていた。
史実のこの先、河内方面へと進んだ藤堂隊は、長宗我部盛親らとの激突において凄まじい損害を出す。
桑名吉成をはじめとする多くの重臣や名だたる将たちが討ち死にし、そのあまりに深い爪痕は、のちに高虎公が戦死者たちの鎮魂と冥福を祈るため、京都の南禅寺にあの壮麗な三門(楼門)を寄進するほどの悲劇となるのだ。
(俺たちが進むその先には、血を洗うような修羅の道が待っている。あの忠実な吉成や、頼もしい家臣たちの命を、俺は本当に守り抜けるのか……? 彼らの未来を、俺は変えられるのか――)
歴史の記憶がもたらす恐怖と、目の前で命を預けてくれる者たちへの責任感との間で、俺の心は激しく揺れ動いていた。しかし、弱音を吐くことは許されない。
俺はぐっと拳を握り締め、震える感情を心の奥底へと押し隠した。
俺は立ち上がり、陣所の中に響き渡る声で部下たちに命じた。
「今回の戦は、豊臣家を完全に終わらせるための最後の決戦となる。大殿の下知、そして大御所様のご命令に寸分の狂いなく従い、藤堂勢の先手の名誉にかけて敵を討ち取るぞ。
源五、騎馬隊の動きに気を抜くな。我が自慢の盾の陣で敵の足を止め、かき乱したその刹那、一気に背後から突き抜けて敵の備えを粉砕しろ。
忠次、兵站の輸送路を二重三重に固め、大殿の本隊に続く先手の進撃を完璧に支えよ。
吉成、鉄砲隊と長柄槍の隊が動き出すべき時機を見誤るなよ」
「はっ!」
三人の声が重なり、陣所の空気が一気に戦闘の気迫に満ちあふれる。彼らの揺るぎない眼差しを受け止めながら、俺は心の中で静かに誓った。
――全員を生きてこの戦場から連れ帰ってみせると。
伏見の地を発する我が今治勢の軍旗が、春の冷たい風にはためく。天下の行く末を決する大舞台、大坂夏の陣の幕が、いま静かに切って落されたのだ。




