第15話 冬の商い、兵站の陣
慶長18年の冬。
今治の海岸には、冷たい北風に揺れる海苔の簾がどこまでも続いていた。
それだけではない。沖合に目をやれば、海苔を付着させるために打ち込んだ無数の木の枝が海面を埋め尽くし、冬の陽光を弾く穏やかな海を、まるでもう一つの陸地かのように黒々と染め上げている。
かつて手掛けた海苔の養殖は、今やこの地の特産品として確かな実りをもたらし、戦に備えるための軍資金の要となっていた。
(……これらの海苔の売り上げ、そして冬のみかんの買付や今治の鯛の出荷で得た銀。これら全てが、遠からぬ戦場で兵を動かすための血の巡りとなるのだ)
琥珀糖の商いもすこぶる好調だった。
見た目の美しさと日持ちの良さは、京の茶屋を通じて上方の公家や豪商たちを虜にしている。
だが、俺が本当に求めていたのは、糖の甘みそのものではない。この商売網こそが、上方から大坂周辺に至るまでの「荷の届け先」と「隠し場所」であり、戦場へ兵糧や弾薬を運ぶための命綱となるからだ。
俺たちの背後には、京の茶屋という強力な味方がいた。彼らの協力により、大坂を取り囲む要所に、何食わぬ顔で「菓子や海苔を扱うための商い倉庫」を借り受けることに成功していたのだ。
「……殿。茶屋の主人より、件の倉庫、いつでも使えるように手配したとの文が届いております」
兵站奉行に任じた瀬尾忠次が、手際よく小荷駄の帳簿をまとめてやってきた。忠次は、この数ヶ月で俺の予想を遥かに超える才を見せている。
「忠次。倉庫の場所は、他藩の目を避けた場所か?」
「左様でございます。山陽道の利用は避け、瀬戸内海を渡る海路を主軸といたしました。各地の湊に商い蔵を配置し、大坂へ至る船運を確保しております。
海苔は俵に、菓子は頑丈な小箱に納め、他の荷に紛れ込ませれば、戦が始まって諸国が混乱に陥ろうとも、誰の目も引くことなく我が軍の弾薬と兵糧を確実に前線へ届けられます」
(素晴らしい。まさに俺が描いた『線』が、この冬の間に形を成した。商いという皮を被った兵站網……これならば、戦が始まっても補給を断たれることはない)
工房は密かに進める弾薬の調合と、改良鉄砲の整備場として稼働していた。
一方で、城外の演習場では吉成が鉄砲隊の操練に加え、竹束を盾にした長柄槍による密集陣形――ファランクスを模した訓練に精を出している。
さらに、今治入府以来、俺が直々に騎馬術を仕込んできた若き側近の渡辺源五に、弓騎兵と槍騎馬隊の編成を任せた。
(源五の馬の機動力で敵を攪乱し、吉成の槍衾、鉄砲の早合に追い込むのがあいつの役目だ。戦場の支配権は、この連携にかかっている)
今治の備えは、もはや単なる藤堂家の家臣団の一角ではない。この冬を越し、来るべき時に備え、戦場の理を根底から覆すための「兵站」と「陣形」、そして「機動力」が、静かに、しかし確実に大坂を囲い込む。
演習を終え、汗を拭いながら自室へと戻った吉成が、俺の前に現れた。
「殿。年明け早々に京・伏見へ参るよう、大殿より呼び出しの文が届いております。大御所様が豊臣家に対し、もはや対等の礼を求めておられぬことは明白。あちこちで不穏な噂が流れ、豊臣家への風当たりは強まる一方にございます」
吉成が槍を脇に置き、鋭い眼差しで俺を見た。
「……大殿も、大坂の空気が淀んでいることを肌で感じておられるのだな。商いで得た軍資金を元手に、各地の湊を繋ぎ張り巡らせた兵站の要。
これをいつか来るべき時のために、より強固なものにしておく必要がありましょう」
俺は窓の外、凍てつく瀬戸内海を見つめた。
海は静かだ。だが、その底には確かな熱が渦巻いている。
この冬、俺たちが積み上げた準備は、戦国の世の常識を覆すための火種となるだろう。
(さあ、嵐を迎え撃つ準備は整った。徳川の威光も、豊臣の意地も、俺が築いたこの『線』と鍛え上げた『陣』がすべて飲み込んでやる)
今治の冬は、嵐の前の静寂に過ぎなかった。




