第14話 嵐を呼ぶ夏、今治の備え
慶長18年(1613年)の夏。
今治の空はどこまでも高く青く、瀬戸内の穏やかな凪が城下を包んでいた。だが、俺の胸中には迫りくる大坂との決戦が重くのしかかっていた。
(……大掃除は、始まったばかりだ)
春先、幕府の屋台骨を支えた金山奉行・大久保長安が死した直後、一族が不正蓄財を理由に粛清されるという衝撃的な事件が起きた。
かつての宿老が次々と消される様を目の当たりにし、誰もが悟った。
家康公の「天下の大掃除」は、いよいよ豊臣家という最後の大木に刃を向けようとしているのだ。
藤堂家は徳川の臣として、この戦の最前線に立つことになる。
しかし、ただ軍勢の一部として消費されるだけでは、俺の今治は守れぬ。
だからこそ、俺は独断で「戦の備え」を急がせていた。藤堂本家の兵力に加え、俺たちが独自に磨き上げた力で、誰よりも過酷な戦場で生き残るために。
「吉成。ただ鉄砲や武具を揃えるだけでは意味がない。肝心なのは兵站だ」
工房の片隅、俺は地面に棒切れで線を引き、補給を絶やさぬ道の筋を説いた。
「戦場に弾薬や兵糧が届くのは当然だが、それ以上に『途切れさせぬ』仕組みが要となる。前線、中継地、そして今治の拠点。
消費の多寡を見極め、滞りなく送り続ける流れ……これを一つの連環として作り上げる。戦を『点』ではなく『線』で維持する構えだ」
吉成は驚くほど速い速度で俺の意図を汲み取った。
「……なるほど。兵を送り出すことのみに注力し、送り出した後の『支え』については、武士の心意気や現地の略奪に頼ってきた戦の習わしへの、強烈な皮肉でございますな。
兵を動かすための血の巡りを、最初から一つの仕法として整えよと……。ならば、この任にふさわしい男が一人おります」
(よし、話が通じる。やはり吉成だ)
吉成が名を挙げたのは、かつて今治の築城に伴う資材搬入で、その卓越した算術の才をもって物流の滞りを解消した事務方の若手、瀬尾忠次だった。
「忠次は、港から城下までの荷揚げの行程を精査し、従来の半分の時限で資材を運び込む算段を立てた男です。
彼ならば、私の補佐として兵站奉行を新設し、小荷駄隊の再編から兵糧の蓄え、搬送まで、全ての運用を任せられましょう」
吉成の推薦に、俺は確信を持って頷いた。
実績ある男が動くならば、この兵站の構えも現実味を帯びる。
「しかし殿。こうして呼び出される時は、決まってロクでもない企みがある。海苔を増やすだ、琥珀糖だと周囲を振り回した挙句、今度は戦の根本を覆す兵站の仕組み作りですか。
殿の才覚が凡庸であれば、とっくに諫言を繰り返しているところでございます」
吉成は苦笑を浮かべつつも、鉄砲隊の布陣図を拾い上げ、手際よく丸めた。
本心では困惑しながらも、結局は俺の尻拭いをするために実務を整えてしまう。あの海の上で、俺の「宝の場所」という戯言に付き合わされた時から、俺と吉成の腐れ縁は変わっていない。
「吉成。大殿からは『備えよ』との仰せだが、単に命じられた通りに動くつもりはない。藤堂の軍勢として並ぶのではなく、俺たちが独自に磨き上げた『力』を、大殿が選ばざるを得ない最強の切り札として差し出すのだ」
(これが俺の、藤堂家での生き残り方だ。高虎公の期待を超え、盤石な地位を築く……そのための布石だ)
そこへ、近習が蒼白な顔で駆け込んできた。
「殿! 吉成様! 大殿より……緊急の書状にございます!」
書状を広げると、そこには天下を揺るがす命令が記されていた。
――大御所様は、豊臣家に対し、もはや対等の臣下としての礼を求めてはおられぬ。今治の備えを、いつでも出陣できるよう整えておけ。
(……ついに動き出したか)
俺が書状を握りしめると、吉成もまたその内容を覗き込み、表情から血の気が引いていくのが分かった。
「……殿。先ほどの言葉、謹んで撤回いたします」
吉成は先ほどまでの呆れた顔を消し去り、あの日のように俺をじっと見つめた。
ただ、あの時とは違い、そこには筆頭家老としての戦う男の覚悟が宿っている。
(この男の覚悟を引き出したなら、もう迷いはない)
「海苔の時も、琥珀糖の時も、殿の思いつきには心臓を冷やされ通しでした。……ですが、今回ばかりは違いますな。あの時殿が指差した『宝の場所』が、まさか天下の趨勢を握るための布石だったとは」
吉成は小さく微笑み、礼を正して俺の肩に手を置いた。
「殿。この嵐、もはやただの備えでは凌げませぬ。私が全て承知いたしました。藤堂家の軍略の柱として、この『兵站を含めた鉄砲の備え』、大殿も納得せざるを得ぬ形に仕上げて見せましょう」
俺の狂気を、吉成がようやく「現実」として受け入れた瞬間だった。
かつての海の上で、俺の突拍子もない夢を呆れながらも認めたあの日と重なる、戦友のような空気が工房を包んだ。
今治の戦力は、いよいよその全貌を現そうとしていた。




