第13話 新しき年、重なる思惑
慶長18年(1613年)の幕開けと共に、世は新たな季節へと足を踏み入れた。
史実であれば、高虎公は津城や伊賀上野城の大規模な修築が一段落し、藤堂家の威信が盤石なものとなりつつある時期だ。
俺はこの時、数えで35歳。前世で積み上げた40年余りの記憶と、今の肉体がようやく完全に馴染み、将としての采配も領主としての経営も、独りよがりではない「現実的な解」を出せるようになっていた。
年の初め、俺は高虎公と共に、大御所が鎮座する駿府城へ年始の挨拶に出向いた。
駿府城へ向かう道中、俺は高虎公の宿所で密かに箱を取り出した。
「大殿、年始の挨拶に先立ち、今治にて試作した品を是非ご覧いただきたく」
箱を開けると、そこには宝石のように透き通った琥珀糖が並んでいた。
(……どうだ。この輝き、この透明度。砂糖が貴重で寒天が無いこの時代において、これほど贅沢で、かつ誰も見たことのない菓子はないはずだ。これを『ただの甘味』と侮るか、それとも今治の技術力の象徴として認められるか……高虎公の審美眼に賭ける)
俺は製法を説明する。
真水で徹底的にアクを抜き、天日に干した天草を大釜で長時間煮出し、こして冷やし固めて天突きで
トコロテンを作る。
さらにそれを冬の屋外で凍結と乾燥を繰り返すことで「寒天」を得る。その寒天を再び釜でじっくりと煮溶かし、サラサラの液状になったところに、麦芽ともち米で作り丁寧に糖化させた自家製水飴を大量に投入する。
粘り気が出るまで煮詰めたら火から下ろし、少し冷ましてから柚子の果汁を加えて香りを逃さぬよう手早く混ぜ合わせ、木箱で冷やし固める。
切り分けてから日陰で数日間干すことで、表面には白いすりガラスのようなシャリシャリの砂糖の膜ができるのだ。
高虎公は一つをつまみ上げると、その不思議な感触に目を細め、慎重に口に運んだ。
一噛みした瞬間、公の眼が見開かれる。
「……っ!? ……なんという食感だ。外は氷のように脆く弾けるかと思えば、内からは瑞々しい甘みが溢れ出す。……お主、一体どのような手を使ったのだ! これほどの品を産み出すとは!」
公の驚きは隠しきれないものだった。公は興奮を抑えるように一つ一つをじっくりと味わい、
「これは面白い。……高吉、領内の民をここまで手懐け、見事な知恵を絞っておるな。
大御所様もさぞや喜ばれよう」
と、俺の肩を強く叩き、確かな期待を込めた目配せをした。
駿府城での謁見。
俺は高虎公の後ろに控えながら、献上の儀に臨んだ。
今治の海苔、みかん、そして鯛の干物。これらは全て目録に認め、厳かに家康公へと差し出された。
家康公は目録に目を落とすと、今治という地から届いたこれらの品々に「ほう、今治からか」と目を細め、ホクホクとした表情で何度も頷かれた。
それら海産物を喜んでいただいたのち、俺は最後に満を持して「琥珀糖」を献上した。
箱を押し戴き、大御所家康公の御前へ。
俺は畏まりながら、慎重に蓋を開いた。
「これは『琥珀糖』と申す、我が領で生まれた菓子にございます。今治の厳選した素材を贅沢に用い、独自の技法で丹念に仕上げたものでございます。外側は砂糖が乾いて堅くなり、口当たりはシャリシャリと脆く、内側は瑞々しくぷるぷるとした食感、そして柚子の芳香が口いっぱいに広がります。甘美なる宝石としてお納めください」
家康公が興味深げに一つを手に取り、ゆっくりと口に運ばれる。
その瞬間、家康公の表情が僅かに動いた。
驚き、そして理解しがたいものに遭遇したかのような沈黙が、謁見の間に漂う。砂糖を大量に用いた贅沢な甘みと、未知の食感に、天下を統べる方の常識が根底から覆されていく。
「……なんと。氷を食しておるかのような、それでいて濃厚な甘み……。これほどの品、京の菓子屋でも見たことがない」
家康公はそう呟くと、名残惜しそうに最後の一粒を口に含み、満足げに目を細められた。
その光景を伏せた目で確認し、俺は深々と頭を下げる。
(……これで、今治の価値は彼らの脳裏に刻まれた。もはやただの地方領主の献上品ではない。
天下人が認めた「価値ある品」だ)
謁見の間から退出し、冷たい風が吹き抜ける城内の廊下を歩く。
俺の胸には、先ほどまでの緊張とは別の、確かな自信が宿っていた。
挨拶を終え、駿府城を後にする。
(この時代の人間にとって、この食感は驚愕以外の何物でもない。
……食は武力と同じくらい、人を支配する力がある)
「高吉の持ってきたその菓子……。大御所様も、非常に興味を持たれていたぞ」
高虎公が馬上でポツリと漏らす。
俺は小さく微笑み、言葉を継いだ。
「……大殿。以前、本家より普請協力金を求められました折、私は『承知』と返答いたしました。あの折の約条、覚えておいででしょうか。……今治の商い、ようやく実を結びました。二割などという小銭ではございませぬ。約束通り、収益の『五割』を献金いたしたく存じます」
高虎公は手綱を引くと、驚きに目を見開き、そして深く、満足げに頷いた。
「五割か。……高吉、あの時の戯言を本当に成し遂げるとは。正気ではないが、これほど頼もしい狂気は他に知らぬ」
高虎公は馬上でじっと俺を見つめた。その瞳には、かつての「期待」とは別の、底知れぬ「観察」の色が混じっている。単なる若手の成長という枠に収まらない、この変貌に対する困惑。だが、その困惑すらも「藤堂家の富」という圧倒的な結果が塗り潰しているのだ。
「……高吉、いつからそのような『化け物』になった。だが、今は問わぬ。藤堂の利益に繋がるのならば、お主が何を隠していようと、俺はそれを見ないふりをしよう」
公はそう言い残すと、短く鼻を鳴らし、再び前を向いて馬を走らせた。その背中は、俺という変数を懐に入れつつ、飼いならそうとする主君の矜持に満ちている。
(この先、さらなる驚きを用意しておりますよ、高虎公)
俺たちの視線の先には、青空が広がっていた。そのずっと南、大坂へと思いを馳せながら。天下の行く末はまだ見えない。だが、俺が今治で育てているものは、確実な力としてこの国を塗り替えようとしていた。




