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都市伝説は終わらない  作者: HA
序章-本日は曇天なり-
5/7

0-1-2。終わらない



『.........、い』



父の声が聞こえる。


怨嗟と絶望と、自己憐憫で満たされた。

身の毛のよだつような、あの声が。














冷え切ったタイルの硬い感触と、絶え間なく降り注ぐ水の音で、意識の断片が浮上する。


瞼を開こうとするが、酷い風邪を引いたみたいに力が入らない。視界の端に映ったのは、安っぽいユニットバスの天井と、壁に固定されたシャワーヘッドから無機質に吐き出される水の糸。



「........あ」



体温が、血液が、指の先から奪われていく。

冷水と共に、排水口へと逃げていく。

首筋が流れ出す、真っ赤な流動体が止まらない。



死ぬのか?

ああ、死ぬんだ。

次に目を閉じてしまえば、2度と目覚めない。



「.....な、のに」



生きたいと思えない。

苦しみと、悔しさと、屈辱が脳を揺らす。

だけど、僕に寄り添うモノはありやしない。



怒りは諦観で薄れた。

哀しみは忘却が閉じた。

僕の人生は、きっと何処にも語られずに。



意識の輪郭が、霧散していく。視界が急速に狭まり、暗転する世界の中で、最後に残った聴覚が、水音を遠いノイズへと変えていった。








「なんで、勝手に死んでるの?」



鼓膜に直接響くような、冷徹で、凛とした声。


その響きだけで、脳の奥に眠っていた最後の予備電源が、パチパチと火花を散らして再起動する。


ここで無様に果てる自分を、彼女に見られたくない。

死にかけの細胞が、ただ「格好を付けたい」という、生物としてあまりに馬鹿げた、けれど切実な虚栄心だけで跳ね起きた。



「.....キ、ハーナ」



水浸しの床で上体を震わせ、必死に彼女の姿を探す。

暗い視線の先、浴室の入り口に、キハーナが立っていた。


いつものように感情を排した、赤い瞳。けれどその奥には、自分の所有物が勝手に壊れたことへの、僅かな不満が滲んでいるように見えた。



「何をやってるの。勝手に置いて行って、勝手にそうやって死ぬつもりかしら?」



あまりにも容赦のない言葉。死にゆく馬鹿野郎に告げるには無情で、あまりにも真っ当すぎた。


喉の傷口を押さえ、血を吐き出しながら、搾り出すように笑ってみる。そのくらいしか、彼女に真っ直ぐに向けられる表情が見当たらなかった。



「.....負け、た」

「......」



自分でも驚くほど情けない言葉だった。


真島という女の底知れなさを、彼女自身の覚悟を、完全に見誤っていた。


一丁前に交渉だの、世界の裏側だのと息巻いていた自分が、ひどく矮小な存在に思えて、自己嫌悪が胸を焼く。



「そうね。負けたのよ、貴方は」



キハーナは一歩、水浸しの洗い場へと足を踏み入れた。


濡れることなど意に介さず。こちらを見下ろし、あの抑揚のない声で語る。当てつけのようでもあったし、親が子供を諭すような口調にも聞こえた。



「一人で常識人ぶって、勝手に突っ込んで、無様に喉を裂かれた。それが貴方の出した結末」

「.....はは」



話す内容が、自然と頭に入って来た。


教師からの言葉も、友人からの諫言も、19年の生で話半分に流してきただろうに。彼女の語る一言一句を、心に刻みつけようとする自分がいる。



「立ちなさい。まだ贖いは終わってないわ」

「.....無理だ、それは」



だから、それが無茶だと分かる。

漸く顧みたところで、全てが遅すぎた。


今日、こうして死にかけるのは二回目だ。

一度目は手を引かれて、海の上に連れ戻された。


そして、二度目はない。そういうモノだ。

醜態を晒し、間違え、失望されたのだから。



「.....見ろよ。助から、ないだろ」

「.....なんで?」

「だって、ダメだろ。選択を.....間違えたのに、当たり前みたいに、先に続くなんて」



血の失われた頭では、それ以上の理屈が組み立てられない。馬鹿げていると思う。心臓の鼓動は頼りなく、全身を巡るはずの熱は、もうどこにも残っていない。


身体から血色が抜けていく。彼女の肌と同じような白色に、段々と肌が移り変わっていく。もうじき意識が途切れ、全てが終わるだろう。



「言ったでしょう。契約だって」



キハーナが、僕の目の前に膝をついた。

彼女の影が、遠い窓からの薄暗い光を遮る。


その言葉の意味を咀嚼する暇もなく。

彼女の、白く、冷たい唇が傷口に重ねられて。




「なら、何度負けても良いようにしてあげる」














壊れかけた意識の中。

古い呼び声が、また聞こえる。



『.....、じゃない』



走馬灯か、人間としての原初の記憶か。

はたまた、この在り方を模った故だからか。


軽蔑。侮蔑。嘲弄。

ありとあらゆる存在否定が、僕に突き刺さる。



『.....おまえ、じゃない』



呪詛のようなその呟きが、暗い水底に沈んでいく頭蓋の内側で反響する。


何度も、何度も。擦り切れたレコード盤のように、決して消えることなく耳にこびりついている。


幼い頃からその壊れた男を見上げ続けるうちに、ある種の冷たい確信を抱くようになっていた。



━━━━ああ。

衝動に駆られる人間は、汚いのだ。



それで、僕はどうしたのだったか。












「.....やめろ」



最後の力で、都合の良い救いを拒絶する。



「僕には、無いんだ」



何が無いのか。もう、訳が分からない。

与えられなかった器に、初めて何かが流れ込み。

体が、脳が、あらゆる器官が拒絶反応を訴えている。



「生きる理由が、見つからないんだ」

「......それで?」

「与えても、意味が無い。僕に、そんな価値は」



あの海辺の時と、同じことを口にする。


学ぶ気の無い者に、教科書を与えても意味はない。

生きる気の無い者が、命を拾っても意味はない。


無能を晒した。失望させた。

何故、彼女が僕に機会を与えるのか分からない。



「理由も、意義も、見返りも。何も施し返せて無いのに。なんで、そんな事が......」



この体には何も無い。空っぽのまま、ただ誰かの作った枠組みに必死にしがみついているだけの、無価値な肉の塊だ。


そこに何かが注ぎ込まれるのが、怖かった。信じてきたモノ。否定したいコト。それと相反する何かで生かされる事実が、どうしようもなく。


なのに、彼女は。



「そうね。今の貴方は醜くて、どうしようもなくて、無力で、口だけの馬鹿な男よ」



冷徹な声が、僕のそんな無様な独白を、自分勝手な言い訳を、その全てを断ち切らんとばかりに降り注いだ。


慈悲は無かった。侮蔑もなかった。ただ、その言葉が。何処までも自分に寄り添ってくれている、彼女の善性によるモノだと直感する。



「それでも、贖いを果たしなさい。自分が選んだ行動(こと)と、自分が望んだ現在(いま)から目を逸らす事を、私は許さない」



静かな、けれど有無を言わせない宣告とともに、キハーナがそっと顔を寄せた。


ざっくりと裂かれ、とめどなく命を垂れ流していた喉笛に、彼女の、ひどく冷たくて柔らかい唇が落とされる。


血と泥に塗れた凄惨な死の淵にはあまりに不釣り合いなモノだった。ひどく繊細で、我が子を慈しむような、今までの人生で知り得なかった口付けだった。



「......ッ!」



触れ合った傷口から、彼女の「  」が静かに、けれど確実に流し込まれてくる。



血液よりも熱く、毒液よりも鋭い。

涙と呼ぶには、余りにも真っ直ぐな未知の熱量。



透き通った痛みと甘い麻痺を伴って、千切れた血管や神経の隙間へと、ソレは絹糸を紡ぐように沁み渡っていく。


行き場を失った命を塞ぎ、そこへ彼女自身の存在を薄氷のように一枚一枚重ねていく、あまりにも濃密な侵食。繊細で、冒涜的で、あまりにも、あまりにも、あまりにも。



「.......あ」



頭の中で、何かが弾けた。


正しさとか愚かさとか。


その全てに決別出来る気がして。



今なら。

今から、なら。


彼女の為に、生きたいと、願える気がした。


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