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都市伝説は終わらない  作者: HA
序章-本日は曇天なり-
3/7

0-1-0。真島先輩

 七番倉庫へ戻る道は、来た時よりもずっと遠く感じられた。


 潮風に叩かれ、芯まで冷え切った体を引きずるようにして歩く。隣を行くキハーナの足取りは、まるでステップを踏むように軽やかで。コンクリートを叩くヒールの音だけが、無機質な静寂を切り裂いている。



「座りなさい」

「……どこに?」

「床に。地べたに。今すぐ」



 半開きになった鉄扉から差し込む薄明かりが、埃の舞う空間を斜めに切り取っている。水島がぶちまけた酸の鼻を突く臭気と、生温かい血の混じった磯の香りが、嫌に混ざって漂っていた。



「いや、さっきまで溺れてたんだけど」

「知らないわ」

「……せめて、木箱とかに座ったり」

「ダメ。貴方は私の命令を聞くの」



 有無を言わさない口振りだ。

 動作確認なのだろう、と少し納得する。


 犬に"おすわり"と命令して実行するか。掃除機のスイッチを押せば、騒音が鳴り止むか。それを彼女はチェックしているのだろう。


 うむ、腹が立つ。

 腹が立つが、それまでだ。



「……やけに素直ね」

「別に?」

「目は伏せておきなさい。生意気よ」



 力なく腰を下ろし、胡座をかいた。気丈に振る舞おうとするも、指先はガタガタと震えているし、足先は感覚が残っていない。服からは絶えず海水が滴り、コンクリートの床に黒い染みを作っていく。


 理由が無ければ複雑な感情は生まれないが、苦しいという一次感情の発露は避けられない。そこに煽ることを言われたら、睨むに決まっている。



「さて。これからの話をしましょうか」

「……そんな急に言われても」



 彼女は正面に立ち、閉じた傘を杖のようについて、真っ直ぐに見つめてくる。その胸元では、今も鋼鉄の肋骨に守られた紅い心臓が、あまりに完璧なリズムで拍動を繰り返していた。


 肉の無い体。剥き出しの骨組み。女の子の裸体と言えば聞こえは良いが、こんなので興奮なんて出来やしない。だというのに、"美しい"と感じてしまう。



「貴方が海に沈めたのは"遺物(ロスト)"っていうモノ」

「……聖なる釘とか、槍とか?」



 キハーナが目を見開いた。どうやら、正解に近しい部分を言い当てたらしい。


 水島は確か、"教会から奪った戦利品"と語っていたはずだ。日本で信仰される宗教の中で、それも遺物なんて大層な名前が扱われるモノは限られる。



「じゃあ、僕は歴史的価値のある━━━」

「そんな事はどうでも良いの」

「……なら、君の財産を」

「違うわよ。急に鈍くなったわね」



 感情を排した声。けれど、その響きには抗いがたい決定事項を、出来の悪い子供に宣告するような重みがあった。


 乾いた唇を舐め、低体温症で回らない頭を必死に動かす。僕の命は彼女次第。機嫌を損ねたら、どうなるか分かったモノじゃない。



「今から素潜りして取りに行けって言われても、もう無理だ。今頃は海底の泥に沈んだか、はたまた魚の餌になってるか」

「そうね。だから、贖いをしてもらうの」

「贖いって……待てよ。それは何の罪で━━━」

「浅慮。無知。不可抗力じゃなかったでしょう?」



 ぐうの音も出ない。赤点の答案用紙を、回答と見比べながら突きつけられてる気分だ。


 選択した限りは、それに伴う結果がある。闇バイトに踏み込んだのは間違いなく自分だ。まとまった金が欲しかったのも事実だし、言い訳は通じない。



「なら、どうしろと。買い取れって?」

「1000万」

「……は?」

「遺物を買い取るなら、1000万必要って言ったの。もちろん、この国の通貨じゃなくて。ドルよ」



 1000万ドル。10億円と少し。


 いや、少しという単位も何千万単位なのだろうが、現実離れしすぎていて頭が揺さぶられる。札束ビンタだとかいう俗語、それを目の当たりにした気分だ。


 買えるわけがない。償えるはずがない。そんな代物を用意できるツテが、あるわけがない。



「勘違いしないで。貴方の安い命一つで、あの遺物の代わりが務まるとでも?」

「……なら、どうしろと」

「"用意"しなさい。代わりのモノを」



 それは、補填。

 回収でも買収でも、何でもない。

 代わりのモノを差し出せ、と言っている。



「あの遺物をどこから手に入れたか、それを教えなさい。出処が分かっているのなら話は早いわ。そこから直接、代わりになるものを『取り立てる』」



 物騒な単語が神経を強張らせ、低体温症で鈍りきった思考を必死に回転させた。水島は、この重い鉄扉を開ける前に何と言っていたか。


 彼がいわゆる「そっち系」の人間だということは、日頃の立ち振る舞いや言動から薄々感づいてはいた。それを知った上で、こんな馬鹿なバイトを紹介して貰ったのだから。


 だから、その発言を辿れば。



『兄貴が教会から奪った戦利品を隠してる。それを処分しろって命令だ』



「……東方帝会」

「トウ……なに、それ?」

「水島先輩が所属してるヤクザの組織。そこの連中が、教会から奪ってきた戦利品だって言ってた……と、思う。同じようなモノが、あるかもしれない」



 キハーナは僅かに首を傾げた。


 "聞いたことがない"という疑念と、僅かな思考が垣間見える。口調は冷たいが、手にした黒傘の先端でコンクリートの床をコツ、と鳴らした。その澄んだ音が、カビと鉄錆の匂いが立ち込める空間に異様に響く。



「教会の連中から横取りしたネズミの巣、ね。案内しなさい」

「案内って、それは……」

「出来ないの?」

「……出来ないというより、ツテが無い」



 事実だった。水島との連絡も、証拠の残らない使い捨てのメッセージアプリだけでやり取りしていた。あの人が"聞かない方が良い"状態になった以上、僕から組織へと繋がる正規のルートは完全に絶たれている。



「…….」

「その……なんかごめん」



 沈黙が落ちた。


 キハーナの感情は読めない。ただ冷たい赤い瞳が全身を突き刺してくる。ここで「使えない」と判断されれば、彼女が言う『命の使い道』すらなくなり、本当にここで終わるかもしれない。



 必死に記憶を探る。


 水島から繋がる糸。東方帝会の内部、あるいは彼らの動向を知り得る人間。暴力団関係の知り合いはいない。ならば、最も親密な関係から手繰っていけば。



「……真島先輩」

「誰、それ」

「水島先輩の彼女。僕の大学の先輩でもあって……あの人とは、かなり長い付き合いのはずだ」



 半ばヤケクソの回答だ。


 彼女自身がヤクザのシノギに直接関わっているかは分からない。だが、水島の立ち回りや、彼が最近関わっていた「教会」の件について、何かしらの愚痴や情報を聞いている可能性は高い。そう信じたいから、今はそう仮定しよう。


 僕の提案に、キハーナは血のような瞳を微かに揺らし、「真島」という名前を反芻するように呟いて。



「いいわ。その女の所に先ずは行くから」

「……え?」

「もう立っていいわ。案内なさい」



 ……今に始まった事ではないが。

 この女、人を人と思わないらしい。


 いや、人外だったか。そりゃ納得だ。









 水島が乗り捨てたミニバンのエンジンを強引に吹かし、ひび割れたアスファルトにタイヤを擦りつけながら車を発進させる。



「っと、ごめん」



 交差点を曲がる際、ハンドルを切り遅れて車体が大きく横に振れる。動体視力や反射神経も、鉄の塊を操る技術には全く直結しないらしい。市街地へ向かう道は、ただでさえ交通量が多くて神経をすり減らす。




「言っとくけど、運転はかなり荒くなるから。乗り心地最悪でも文句言うなよ」

「構わないわ。鉄の箱が激突して困るのは、壊れやすい肉の体を持った方だもの」



 助手席に座るキハーナは、シートベルトを締めることもなく、窓の外を流れる景色を眺めたまま淡々と返した。


 フロントガラス越しに見える筈なのに、弾け飛んだコートを戻そうともしない。自覚してるならタチが悪いし、無自覚なら災害の類だ。その堂々たる態度に、思わずため息を吐きそうになる。



「それで。私たちが会いに行く『マシマ』というのは、どんな女なの?」

「……真島先輩は、あー、そうだな」



 車は湾岸エリアを抜け、雑多なビルが立ち並ぶ市街地へと入っていく。信号待ちで車が停まると、キハーナが視線をこちらへ向けた。



「……一言で言うなら、面倒見の良い人」

「良い人って、どんな?」

「えーと……タールのキツい煙草をスパスパ吸って、色覚補正のサングラスを付けてて。話し方は関西弁で、後輩にもよく飯を奢ってくれて。あ、何より水島先輩と同棲してる」



 指を一つずつ折りながら、特徴を挙げていく。女子にしては高身長で、微笑みが柔和なのにクール系。男の趣味にも女の趣味にも精通してて、話も面白い。


 そうだ。あの人は優しい陽気な先輩だ。水島のような裏社会の人間と付き合っているのが不思議なくらい、表の顔は明るい。


 しかし、キハーナはしばらく無言で窓の外を見つめ。やがて、独白のように小さく呟いた。



「そんな明るくて人当たりが良い人間が、どうしてわざわざ、ネズミに飼われるような道を選んだんでしょうね」

「え?」

「人間というのは、居心地の良い場所を選ぶものよ。本当に『陽の当たる場所』が似合うなら、血の匂いがする男の隣なんて選ばないはずだわ」



 氷のように冷たい指摘に、言葉を詰まらせた。


 言われてみれば、そうだ。なぜ真島先輩は、水島と付き合っているのか。ただの惚れた腫れただけで、裏社会の空気に耐えられるものなのだろうか。


 拭いきれない違和感が、冷たい水滴のように背筋を伝い落ちる。だが思案の沼に沈みかける前に、車は目的地である古びたアパートの前に到着した。



「ここ?ネズミらしい住居ね」

「……一言どころか、全部余計なんだよな」

「何か言った?」



 無視してエンジンを切る。水島と同棲しているというその部屋は、外階段の錆びついた二階の角部屋。バイトに参加する前に呼び出されていたからだ、目と体が覚えていた。


 だが、違和感で横を向いた。


 ガチャリ、と。隣でキハーナが、当然のように助手席のドアノブに手を掛けている。



「……何を、してるんだ?」

「降りるのよ。お話をするんでしょう?」

「待て。いや、マジで待って」



 何をしているのだろう、この人外は。さっきは堂々たる振る舞いと思っていたが、フロントガラスの内側とテーブルの向こう側じゃ訳が違う。


 先輩に会うつもりか?推定一般人の女性に?

 こんな、歩く18禁スプラッターみたいな異形が?



「その……自分の格好を見て。何か思わない?」

「お洋服が破れたわね、その子の恋人のせいで」

「違う、そこじゃない。そこじゃないって」



 キハーナは赤い瞳を細め、不満げに見据えて来る。この女、本気だ。なんなら"貴方の彼氏が服を破ったから、弁償しなさい"とでも言いそうな勢いだ。


 睨み合う。"察してくれ"という眼力を込めて。この女、いや、この生物に相手の心を察するという能力が備わっているのか怪しいが。



「……貴方、随分とナメてくれるわね」

「いや、侮ってる訳じゃなくて。僕はただ……」

「"私に殺せない理由ができた"というのを、敏感に察知してる。合理的だけど、生意気」



 必死に理屈を並べ立てて説得するまでもなかった。彼女は「チッ」と微かに舌打ちをし、ドアノブから手を離す。不満げな態度を隠す気配もない。



 溜息をつきながら、一人で車を降りる。


 潮風の混じった冷たい風が、生乾きの服から体温を奪っていく。見上げた先にある部屋の窓には、薄暗いカーテンが引かれていた。



「……貴方。イカれてるわね」



 もう一つ、舌打ちが聞こえた気がする。

 嫌な予感が、胃袋の底で渦を巻いている。


 けれど、もう後戻りはできない。冷え切った両手で軽く頬を叩き、錆びた鉄階段へと足を掛けた。


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― 新着の感想 ―
Xの方から伺わせていただきました! 裏社会とか、ダークサイド側の描写を濃いめに重ねている印象の作品だと思います。初っ端から盛り上げるのではなく、腰を据えて展開を積み重ねてゆく感じ、丁寧に物語を進めて…
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