第62話 新人冒険者、次のステージへ進む
まだ朝方の冒険者の酒場。
冒険者たちが求める依頼書が新しく張り替えられる時間はもう少し先だが、この時間帯になると一番乗りを狙って店を訪れる冒険者も徐々に増えてくる。
人が集まりはじめた店内で、ラルフは新人冒険者のチップと共に、店の片隅にあるいつもの席に陣取っていた。
「そうか、そういう結果になったのか」
「えぇ、残念っすけど……」
この日も小声で話し合っているが、前回会ったときよりも表情はさらに固い。
二人が囲むテーブルは周囲よりも重苦しい空気が漂っていた。
「昨日ちょうど、パーティの解散を決めたところっす。最後の依頼を終えて王都に戻ってから、何となく気まずくて次に会う日も決めてなかったんっすけど、昨日はたまたま全員が酒場に集まったんで、そんときに」
昨日の出来事を思い出したのか、斥候のチップの口から小さなため息が漏れる。
詳細を語るにつれて、表情もあからさまに沈んでいった。
「旦那の助言に従って、依頼選びは交代制にしようってことで一度は話がまとまったんっすよ。しかも、ちょうどいいタイミングで高額の護衛依頼も見つかって、ドマのやつは大喜びでした」
「今この時期に高額の護衛依頼――となると、西行きの隊商か?」
「さっすが旦那、やっぱそういう事情にも詳しいんっすね」
このところ、西方面の治安が悪くなっているとの噂は、当然のことながらチップも耳にしていた。
斥候という職業柄、そうした情報収集を欠かすことはない。
「道中が普段より危険だからといって、隊商が物資の輸送を止めるわけにはいかないからな。せめて護衛の数だけは増やそうと、臨時で冒険者を雇うのはよくあることだ。報酬額が相場よりも高額なのは、危険手当も含まれているからだな」
「まぁ、そういうことっすよね。それで案の定と言いますか、途中で山賊の集団から夜襲を受けました。敵もかなりの大人数だったんっすけど、早い段階で襲撃を察知できたんで、前みたいな混乱もなく迎え討てました」
前の混乱とは、初冒険のゴブリン退治のことを言っているのだろうか。
奇襲への警戒はパーティ全員が気にかけるべきことなので、あの失敗は別にチップ個人に責任はないのだが、その手の役割は斥候の得意分野には違いない。
真っ先に危険を察知することを期待される役回りだけに、チップなりに負い目を感じていたところがあったかもしれない。
「教訓を活かせているようなら何よりだ。それで、賊は撃退できたのか?」
「何とか撃退はできたんっすけど、護衛していた俺らも無傷とは言えなくて……しかも商人に一人、死人が出ちまいました。それが原因で、報酬は約束の額からかなり減らされちまったんっすよ」
そのことでドマがダニエルに対して文句を言ったのだという。
ダニエルが死亡した商人のすぐそばにいたにも関わらず、商人を守ろうともせずに戦い続けているのを見たと言うのだ。しかも、今回の依頼がダニエルの好みではない点にも触れ、わざと手を抜いていたんじゃないかとまで言って非難した。
これに対し、普段は無口なダニエルも珍しく声を荒げてドマに言い返したらしい。戦士としての誇りを侮辱されたことによほど腹を立てたのだろう。
結局、そこからパーティ全員を巻き込んでの口論となり、依頼を終えてからもそのわだかまりが解消することはなかった。
「ドマも、これまでずっと我慢してきた不満が表に出たんだろうな」
「それはそうでしょうけど、さすがにあれはいけねぇ。完全に言いがかりっすよ。ダニエルが怒るのも無理はねぇ」
「そうだな。個々の働きに不満があったとしても、表立って誰か一人を責めてはいけない。戦い方に問題があったと思うなら、改善すべきは何なのかをパーティ全員で振り返るべきだ」
とはいえ、ドマがなぜ突然そのようなことを言ったのか、ラルフには他にも思い当たる節があった。
それは、暗闇に対する適応力の差だ。
ドワーフは生まれながらに暗視の能力が備わっているため、暗闇の中でも一切の明かりを必要とせずに活動できる。夜間の戦闘でも視界の悪さを苦にしないのだ。
その点がドワーフ族と人間とでは決定的に異なる。
そんなドワーフのドマからすれば、夜目が効かずに苦戦を強いられるダニエルの動きは、普段よりもぎこちなく見えたに違いない。
手を抜いていると言ったのも、単なる言いがかりではない。それよりももっと深刻な問題――種族間で抱えている潜在的な意識の差が表面化した結果だろう。
この手のトラブルは、人間とドワーフの混成パーティでは比較的よく耳にする話だった。
「昨日はたまたま全員が酒場に集まったんで、今後どうするかも含めて改めて話し合いはしました。けど、肝心のダニエルとドマがずっと険悪なままで……前衛の二人があんな風に歪みあってたら、もうパーティとして機能しねぇっすよ。かといって、どちらか一方を切り捨てるような真似もできねぇ。それならもういっそ――」
「禍根を残さないようにパーティごと解散しようって結論になったわけだな」
「……その通りっす」
昨日のやり取りを思い出したのか、チップは辛そうに言葉を絞り出す。
「すんません、旦那。せっかく事前に相談に乗ってもらったのに、こんな結果になっちまって……」
「何も謝ることなどない」
ラルフは小さく首を横に振る。
「お前たちがよく考えた末に決めたことなら、俺もその決断を尊重する」
これはよくある衝動的な喧嘩別れとは少し性質が異なる。
きっかけは口論かもしれないが、その後改めて話し合った末に、以前のような関係を修復するのは難しいとの結論を出したのなら、それは前向きな決断だ。
少なくとも気持ちが後ろ向きでないのなら、後押ししてやるべきだろう。
「それよりチップ、お前はこれからどうするつもりだ? 別のパーティを見つけるなりして、今後も冒険者活動を続けるのか?」
「そのことなんですけど……俺、これを機に冒険者は引退するつもりっす。短期間でも集中的に依頼をこなしたおかげでそれなりの収入にはなったんで、それを元手に別の仕事をしてみようと思います」
「ほう、何をするつもりなんだ?」
「王都を離れてプリマスに行ってみるつもりっす。どうも今、あの街のギルドは人手が足りてねぇって噂なんっすよ。この機会に、プリマスで本格的に仕事を始めてみるのも悪くねぇかなと思いまして」
「あぁ」
意外なところが繋がったため、思わず天井を仰ぐ。
ラルフにとっても心当たりがある話題だけに、どう切り返したものかと逡巡する。
「……最近、あの街ではギルド全体を巻き込んだゴタゴタがあったようだからな。組織内部の力関係が大きく変わろうとしているこの時期なら、上手く立ち回ればすぐに成り上がれるかもしれないな」
ラルフが含みのある言い方をしていることを目ざとく感じ取ったようで、チップは怪訝そうに首を傾げる。
「もしかして旦那、そっち方面の人間とも親しかったりします?」
「別に親しいわけではないが……商売柄、多少の縁はあるかもしれんな」
「それじゃ――今、勢いに乗っているのは誰なのかとか分かったりします?」
「……ガズリーと名乗る男に接触してみるといい。大きなドジを踏まない限り、今後はやつが勢力を伸ばしていくはずだ」
ラルフは悩んだ末に、チップの質問に正直に答えることにした。
専門外の分野について無責任な助言はなるべくしないように心がけているのだが、今回ばかりは情のほうが勝った。
若者が新しい一歩を踏み出そうとしているのだ。多少なりともその助けになるのならと、持っている情報を明かすことにした。
「……旦那、貴重な情報をありがとうございます。いやほんと、マジで感謝しかねぇっす。これ、金払ったほうがよくないっすか?」
「いらん。所詮は素人の意見だから、あまり妄信はしないでくれ。現地に着いたら、必ず裏付けを取ることを忘れるなよ」
「えぇ、それはもちろん」
その点は抜かりないと、チップは力強く頷く。
そこでふと顔を上げると、店内は先ほどよりも冒険者の数が増えていた。
掲示板の前にも依頼を求める人が集まりはじめ、冒険者の酒場がそろそろ本格的に混みはじめてくる時間に差し掛かってきた。
「旦那、もしこれからあいつらに会うことがあれば、少しだけでもいいんで話を聞いてやってくれませんか? 旦那に話を聞いてもらえて、俺はすげぇ気が楽になりました。あいつらも、今回の解散には皆それぞれ思うところがあるはずなんで……」
「ああ、そのつもりでいる」
「すんません、よろしくお願いします。それじゃ、俺はこのへんで――」
何度も繰り返し頭を下げながら、チップは席を立った。
「なんだ、もう行くのか?」
「えぇ、もう冒険者を辞めようとしてるやつが、いつまでもこの店にいないほうがいいっすから」
「別にそこまで神経質にならなくてもいいだろ。パーティを解散したからといって、これまでの仲間が急に赤の他人になるわけでもない。昔の馴染みと同じテーブルを囲んで酒を飲むくらいしても構わないんだぞ」
「いやでも、これも俺なりのケジメと言いますか……別の仕事を始めるときはなるべく未練を残さないようにしたいんっすよ。いざ王都を離れる前には、あいつらにも一声かけてから行きますんで」
今日のところはこれで失礼しますと、チップはラルフに別れを告げる。
若い斥候は、続々と店内に入ってくる冒険者の間を縫うように抜けていく。
やがて入り口まで辿り着くと、彼は後ろを振り返ることなく酒場を後にした。
「ままならないものだな……」
一人、テーブルに残されたラルフはポツリと呟く。
仲の良かったパーティが、些細なきっかけで別れるのを見たのは、これが初めてのことではない。そんな連中はこれまでに何十組と見てきた。
あいつと仲直りしろとか、あいつとは別れろとか、そんなことを口出しする権利は誰にもない。
冒険者は自由な存在だ。
どの仕事を選ぶかも、どんな仲間と出会うのも、別れるのもすべて自由だ。
すべて自由だからこそ、何でも思い通りにいくわけではない。
それは身に染みて分かっている。
とはいえ、別れはいつだって寂しいものだ。
「……まだ朝っぱらなんだがなぁ」
どうしたものかと、ラルフは腕を組み直して酒場の天井を見上げた。
今は無性に麦酒を飲みたい気分だった。




