14 ここはとても居心地がいいのに、時々不安になる
ここはとても居心地がいいのに、時々不安になる。
真綿でじわじわと締められていくような、ぬるま湯がじわじわと温められて熱湯になるのに気づかず入浴しているような、そんな苦しい気持ちがいつも心から離れない。
今まで私の周りには怖いことをしてくる人ばかりだった。食事を持ってきてくれていた老婆も親切ではなかったから、足音が聞こえるたびに身を小さくして震えるしかなかった。何もできなかったし、する気力も起きなくて、されるがままに受け入れていた。暗くて臭くて寒いあの場所に閉じ込められて、最初から殴る蹴るなどされてしまい、痛みと恐怖で抵抗する気力はなかったから。
でも、バアンと音を立てて現れたサム様は私をぎゅっとしてくれた。
怖いと身を固める私をなだめて、背を優しくさすってくれて、大丈夫だと囁いてくれた。大声で罵られ続けていた私の耳にその声は優しかったし、押し付けられた広い胸に安堵した。
最初はとても怖かった大きな手だけど、今は触れたくてたまらない。お皿を下げるときに指をきゅっと握ったら、何故か耳を真っ赤にして汗をかいていた。そのあと困った顔で頭を撫でてくれたのは嬉しかった。
サム様は本当に優しい。
きっと保護した私に責任を持っているだけなんだろうけれど、それでもかまわない。できる限りそばにおいてほしい。
でも、いつまでもここにはいられないだろう。いくらサム様の魔力が強くても、私の魔力が害にならないとは限らない。魔法伯という立場で私を監視しているんだろうな。
それでも今はあの人の姿を見ていたい。大きくて暖かい、柔らかな炎みたいな人を。
でも最近はほとんど話す時間もなくて、寂しい。
ここ数日、サム様はとても忙しいようで朝食もそこそこに出かけていた。
明け方近くに帰ってくるときもあるので、そこまでして一緒に食事をしなくていいと言ったのだけど、困った顔で「それはそれこれはこれ」と返されると強く言えない。だって、サム様の顔を一目でも見られるのは私にとっても嬉しいことだから。
最近の私はサム様を目で追ってしまうことが増えたと思う。一つ一つの動作を見るだけで胸が温かくなるほど幸せになる。
こういう気持ちは何と表現するんだろう? もやもやして胸のあたりが苦しい。
そんな気持ちが顔に出ていたのか、リオにクッキーを一緒に作らないかと提案された。料理など今まで一度もしたことがない。戸惑っていると、リオは普段あまり見せない笑顔で言った。
「主もきっと喜びます」
こう言われたら頷くしかない。
私は台所を粉まみれにしながらがんばった。リオは教え甲斐のある生徒だと言ってくれたけど褒め言葉だったのかしら?
今夜も遅いと思っていたサム様が夕食前に帰宅して私とリオが作ったクッキーを食べてくれたのでとても嬉しかった。しかも夕食後にたくさん話をしたいので先に身支度を済ませてほしいと言う。
改まって話すことなど珍しい。少し不安になったけど、久しぶりに夜のティータイムがとれると言われて私は急いで部屋に戻った。お風呂に入る時間はないので温かい濡れタオルで体を拭く。届かないところはリオに体を拭いてもらった。
「主が喜んでよかったですね」
「そうね。リオのおかげ。ありがとう」
「ドーラ様が喜ぶと私も嬉しいです」
リオは満足そうな顔で頷いた。
ダイニングに戻るとサム様が難しい顔でカトラリーを並べていた。眉間にしわが寄っている。何かあったのかと心配になったけど、私達の顔を見たサム様はいつもの笑顔を向けてくれた。
「これはおいしそうだな。ひとつ味見していい?」
「主。食事が先です。子どもですか?」
リオとの会話も弾んでいる。クッキーを喜んでもらえたことが嬉しくて、自然と笑顔になった。
「聖女、ですか?」
「ああ。ドーラはどこまで知ってるかな?」
夕食後、食卓を片付けてリオにお茶を入れてもらって話を聞く。残念だけど私には聖女はわからない。虐待されていた私に外のことを教えてくれる人はいなかったし、8歳まで一緒だった母は私にほとんど関心がなかった。物心ついた時から閉じ込められるまで何度も部屋と母の相手が変わった記憶しかない。母は殴りはしなかったけど、いないも同然だったと思う。
自分の無知さに情けなくなり、きゅっと目を閉じたら、サム様がごめんと頭を下げ、聖女のことを教えてくれると言った。
「今日は少し長い話になると思うから遅くなりそうだったら一旦休んで明日の朝また話すよ」
私はこくんと頷いた。
サム様の話は丁寧でわかりやすかった。
男性のサム様が火の聖女の結界を守っていると聞いたのは驚いたけれど、サム様だからと納得してしまった(一瞬、女装した姿を思い浮かべてしまったのは内緒)。それにしても17歳で火の聖女と火霊に認められてそれからずっと人知れず魔力を注いでいたなんてすごい。
話を聞いているうちにあっという間に時間が過ぎて、いつもならばベッドに入る時間になっていた。
「今日のところはここまでにしようか?」
気が付いたのか、サム様が話を切ろうとする。
でも私はその口調に違和感を覚えた。結界石の試験の話のあたりから話の隙間にため息が入ることが多くなっているし、表情も沈んできている。
本当は違うことを話したいのではないか?
そう思ったら無意識に手を伸ばして、向かいにあるサム様の手を掴んでいた。大きな手が一瞬びくっと竦んだのがわかり、疑念が確信に変わる。
「なにか私にしてほしいことがあるんでしょう? 最後まで話してくれないと眠れません」
きゅっと力を込めると、サム様はしばらく困った顔をして口をパクパクさせていたけど、ぽつりぽつりと話してくれた。
火の聖女の結界に穴を開けてしまったこと。
王から私が火の結界石が稼働できるか試すよう言われていること。
帰りが遅いのはサム様がほぼ毎日火の結界石に魔力を流しているからということ。
「私の、せいですね……」
私が魔力を暴走させたせいでサム様に迷惑をかけた。 ショックで震える体を止められず、うつむいた私にサム様は優しかった。私のせいではないと言いながら、隣に座って肩を抱いてくれる。優しく髪をなでる大きな手が暖かくて涙が出そうになる。こんな優しい人に迷惑をかけている自分が恨めしかった。自分にできることでサム様の助けになるなら何でもしたいと思う。
そう思っているのに、サム様は私を危険な目に合わせたくないと言う。さらに今話したことは本当は言いたくなかったのだとも言い、辛そうな顔をした。
「何度も言うが、ドーラのせいじゃない。結果的にドーラの魔力が結界に穴を開けたとしても、原因を作ったのは別の奴だ。ドーラは被害者なんだから、そこは間違えたらいけない。ごめんな。こんな話をしたら、ドーラは断りにくくなるだろうから言いたくなかった。誘導するみたいですごく嫌だ。陛下の言葉なんて無視してしまいたい。でも、隠しておくのはドーラをちゃんと認めてないんじゃないかと思った。単に俺の考えだな。すまん」
本当にこの人は……。気を抜いたら泣いてしまいそうで、鼻に力を入れて堪える。
自分の胸に納めて、1人で解決したほうがこの人にとっては楽だったのかもしれないと思ったら、たまらなく胸が痛んだ。
それをしないで話をしてくれたのは私を信じてくれているからなのかもしれない。たぶんあとで知ったら絶対苦しい。私がのんびりしている間に1人で走り回って身を削っていたと知ったら、息をするのも嫌になると思う。それがどんなに私をおもんばかってくれたことだとしてもだ。
試験を受けなかったらどうなるかと尋ねると、サム様は明るい調子で何とかすると答えたけれど、それが命を削ることだと聞いて愕然とした。
退席していたリオが飛び込んできて詰ったほどで、聞けば聞くほど血の気が引いていく。
そんなことはしないでほしいと言いかけたとき、サム様の顔が変わった。
「魔法伯なんだから、国のために働くのは当然だ。己の魔力で及ばないなら生命力でも薬でも自分の身でもなんでも使うし、できることなら何でもする。そんなの当り前じゃないか」
雪は白いと言うのと同じ口調だった。きりりと締まった顔は初めて見る凛々しさで、胸がドキンと鳴る。だけどサム様の自らを犠牲にしてもよいと言うお仕事に対する気持ちに異を唱えることはできなかった。
そんな凛々しい姿を見せたのに、すぐにへにゃりと机に伏して「恥ずかしいおっさんだよ。ほんと、すまん」と悶えるサム様。リオと二人でうっかり吹き出してしまう。
この人のためにできることなら私は何でも……。
「私、試験を受けたいです」
私はサム様の腕に手を置いて言った。
正直、私に辛く当たった人たちが死んだと聞いた時はショックだったけど、何かしたいとは思わなかった。むしろほっとした。もうあんなことはないんだと、サム様に守ってもらったんだと思ったら、心の中にあった冷たくて固いモノが消えていく感じがした。
その時に、気づいた。私は砦や領地に住んでいた人たちに災厄をもたらした存在なんだと。
その人たちは私に何もしなかった、なのに私は……。
それがとても嫌だった。初めて辛いと思った。それを教えてくれたのはサム様だ。
だから私は、自分ができることを教えてくれたことに感謝する。
「ありがとう」
サム様は泣き笑いのような顔で私を抱き寄せた。
幸せだな、そう思ったときだった。
「大変申し訳ないことにそいつは俺の知り合いなんだ」
それは私を慰めるための言葉だったのかもしれない。
「知り合いなんですか……」
ずくん、と頭の奥で何かがうずく。呼吸が早く浅くなり、目の前が暗くなっていく。
「どの人、ですか? 白い人? 怖い人? 叩く人? 蹴る人? 殴る人? 水をかける人? それとも、体を、触る、人……?」
脳裏に浮かぶのはたくさんの怖い顔。手を伸ばしてたくさん酷いことをしてきた人たち。
あの中の誰かがサム様とつながっている。
ひょっとしたら今も……?
震えが止まらない。なんで自分が震えているのかもわからないまま、体全体をがくがくと揺する。揺れに鼓動がリンクして、大きな羽虫が耳元で唸っているようだ。ブーンという音はどんどん大きくなって頭の中を掻き回す。
目の前にぶら下がった恐怖入りの雫が大きくはじけ飛んで血が散る。気持ちの悪いぬめぬめした手が胸元を這いまわる。
「やだ、やだ、怖い、やめて、痛い、怖い、やだ……」
誰かが叫んで手を伸ばしたのが見えた。
「触らないで!!」
目の前が真っ白くなって、何も見えなくなった。
痛みが、恐怖が、苦しみが、全身を支配していく。腕に針を刺されていたあの時のようだ。体の中の感覚が消え、湧き上がる光が溢れそうになる。
怖い、怖い、怖い。
助けて、助けて……。
「ドーラ、すまん」
耳元で声がして、暖かなものが唇を包んだ。
触られたことで混乱し、暴れる私の体を大きな温かいものが包んでいる。抵抗し、拳で何度もそれを叩くのだけど、びくともしない。辛い苦しいと泣く声はすべて唇に触れる何かが吸い上げてしまう。
苦しみがドロドロに溶けてなくなっていくような、温かさ。
涙をそっと拭ってくれる、大きな手。
ああ、私はこの手を知ってる。
髪をなでてくれる、背を叩いてくれる、手を包んでくれる、大きい手。
私を救い出してくれた、優しい手。
全身から力が抜けていく。
すとんと崩れた体は大きな体に受け止められて、そっと抱き締められた。固い胸板の感触に覚えがある。今まで叩いていたのはこれだったんだ。
握りしめていた手を開くと頭の中で鳴り響いていた騒音が小さくなって消えた。
いつも間にか震えも止まっている。
「ふっ……」
口の端から息が漏れ、一瞬唇が離れた。
目を開けると、金色の瞳に映る自分が見える。何か言おうと思ったのに、再び唇が降ってきて、私を包んだ。時々夢に見る優しい人の感触と同じ。
目を閉じ、手を伸ばして抱き寄せると、合わせていただけだった唇が深く押し付けれられた。息が苦しくなって口を開くと、大きな舌が入ってくる。
不思議と、嫌な気持ちはなかった。
虐待されていた時、口づけはされたことはないけれど体中撫でまわされたり胸や足をいじられたりした。その時は全身を虫が這っているような不快感で全身粟立ったと言うのに。
愛しいものを撫でるような舌の動きに胸の奥が温かくなる。むしろもっとしてほしくて自分から舌を出し、唇に触れた。
ちゅちゅ、とリップ音がするのも心地よい。
こんなの初めてでどうしたらいいのかわからないけど、そうしていると体中で暴れていた光も穏やかな輝きになり、心に満たそうとしていた痛みをぬぐって消えた。
「ごめん」
唇が離れる。
目を開ける前にぐいっと引き寄せらせ、大きな胸に押し付けられたのち、広い肩に顎を乗せた形でぎゅっと抱きしめられた。サム様の顔が私の顔のすぐ横にあって、耳に呼気がかかる。 唇に触れた感触に覚えがあった。夢だと思っていたのだけど……。
「初めてじゃ、ないですよね?」
「……、ごめん」
サム様は私の後頭部を大きな掌で包み、ぎゅうぎゅうと体を押し付けてくる。顔を見ないでほしいと言いたいようだけどそれは私も同じだった。
「実は、ドーラと初めて会ったとき、光霊さんと契約した。ドーラを、乙女の守護となることを我と光の神に誓うなら、乙女をしばらくお主に預けると」
「……、キスする必要ありますか?」
「う、じ、実は、乙女と口を合わせるたび、魔力を俺に移せるようにされた。つまり、ドーラの魔力を口から吸いだすことで魔力暴走を防げる」
「……」
「いいい、医療行為のような物だから。好きな人ができたときに最初にしたキスがファーストキスと言って問題ないから」
「医療行為……」
「う、うう……」
「……、そんな風に、思えるわけ、ないじゃないですか? 毎晩だったんですよね?」
「……、はい」
「ひどい……」
私の目からポロリと涙が落ちた。
読んでいただいてありがとうございます。
長くなりますので2つに分けてアップします。
それにしても医療行為はないわ、サム……。
今日は割込みでキャラ紹介もアップしました。自分の覚書みたいな感じです。ドーラの目の色間違えてたので修正しました。すみません。
※少しだけ文章を追加しました。




