15 ドーラを泣かせてしまった……
ドーラを泣かせてしまった……。
サミュエルはベッドの端に腰掛け、膝に肘をつけて両手で顔を覆っていた。
自己嫌悪で胃がキリキリと痛むが、心はもっと痛い。
あの後ドーラはサミュエルの体を押して逃げるように部屋に入ってしまった。32にもなってなにをやっているんだと情けない気持ちになる。
もっともサミュエルの女性に関する悩みはこの年になってもほぼ0なので仕方ないともいえるかもしれない。
実は自らの意思で唇を合わせたのはドーラが初めてだ。最初は光霊に命じられてやむを得ずだったが、最近は義務だけではない気持ちが入っていたのを自覚していた。
しかも、先ほどは自分を忘れて深く口づけてしまった。舌入れたら医療行為じゃないよな……。
「ああああ……」
なんということをしてしまったのだ、と頭を抱える。
ドーラの了解を得ないでしただけではない。何もなかった顔で毎朝食事を共にし、夜になっては寝込みを襲うように唇を合わせた。初めて意識のあるドーラの唇をふさぎ、魔力の調整が終わったにもかかわらず、抱き寄せて貪った。トロリとした顔でサミュエルを見上げたドーラが可愛くて、気づいたら深くキスをしていた。
『初めてじゃ、ないですよね?』
耳元に届いたドーラの囁きに絶望したが自業自得だと思う。
その後、みっともなく言い訳をしたサミュエルだが、自分とのキスを医療行為だと思ってほしいと言ったのは本心だし、もともと光霊に言われて魔力を調整するためにやっていたことだ。それを最初のキスとしては申し訳ないと心から思っている。
そもそもこんな情けないおっさんをドーラのキスの相手としてカウントさせるなんて申し訳ない。医療行為としてとらえればそういった気遣いはなくなると思うのだ。
そう続けようとしたのだが、ドーラはサミュエルを押しのけた。少女の細腕だ、強い力ではなかったが、サミュエルの体はドーラの涙で固まって動けなかった。
「ひどい、よなあ、たしかに……」
ため息とともにこぼれた言葉が辛い。
16歳の女の子にとって毎晩知らぬ間にキスされていたのは衝撃だったと思う。しかも信頼(してくれてるとは思う)していた大人に、だ。どれだけ言い訳しても、ケントたちがドーラから魔力を奪うためにしていた行為とさほど変わらない。
ケントは『効率よく魔力を集める方法』としてドーラの肉体と精神を追い詰めていたと聞いた。
事情聴取をした女性の魔術師によれば、話をするたびにドーラはガタガタと震え、数時間寝込んだそうだ。性的な場所を弄られていたと聞いたときはサミュエルでさえ目の前が真っ白になったし、治療のためにとともに待機していたイーサンが壁を殴ってひびを入れた。
ケントの名は出さなかったが、加害者が知り合いだと言っただけであれだけ怖がったのだ。トラウマを植え付けたヤツなど、絶対に会わせたくない。今奴が目の前に現れたら問答無用で燃やすだろう。その点には自信がある。
だが、そう思っている相手と自分がしていたこととどこに違いがあるか、と今までのことを振り返るたびに心がジュクジュク痛む。
「唇を合わせる以外のことで魔力調整できないか考えるべきだったな」
今更何をと自嘲しながら、口に手をやる。
ドーラの唇の感触が思い出され、頭に血が集まるのが分かった。腹の内側がざわりとして落ち着かなくなり、手先がむずがゆくなる。
最初は義務だと言い聞かせていた行為だったが、最近は違ったように思う。回を重ねるにつれ、サミュエルの魂がドーラの魂になじんでいくような、何とも言えない温かさを感じることが増え、あふれる魔力を甘いと思うようになった。正直に言うと、ドーラとのキスはとても気持ち良かったのだ。
ベッドの前に膝をついたとき、ドーラが手を広げて抱きついてきたのにはびっくりした。寝ぼけていただけで意識はなかったがアレは心臓に悪かったなと思い出す。
『君が俺の手を離れるまで、頑張って守るから、許してくれ』
思わずそう囁いたが、あの時から何となく胸が苦しいことが増えた。
これは何だろう、と不思議に思う。今までにこんなことはなかったからわからないが、ドーラに対する罪悪感がストレスになって体に出てきているのかもしれない。今も胃の上がぎゅうぎゅうと締め付けられているようだ。精神的負担は体にダメージがあるとよく聞くし、今度イーサンに相談してみるか。
そんなことを思っていた時。
「主のバカああああああ!!!」
スパーーーーーーーーーーン!!!
勢いよく寝室の扉が開き、驚いたサミュエルが顔を上げる前に頭に衝撃が来た。
何か大きな塊みたいなものに殴られたらしい。変な声を上げてベッドに転げると、どす黒いオーラを出したリオがのしかかってきた。
普段小柄なリオが風船みたいに膨れ上がって大きくなっている。サミュエルは「精霊だから大きさは自由なんだなあ」と思いつつ、強烈な威圧で全身潰されそうになって喘いだ。
「ヘタレ、このヘタレ!! そこまでヘタレだと思いませんでした! このヘタレキング!」
「リオ、痛い……」
「主の痛みなんてドーラ様に比べたら屁みたいなもんです! この甲斐性なし! 腰抜け!!」
ひどい言われようだが事実なので仕方ない。
反論せずに視線を上げると、涙目のリオがすぐ近くにいた。それこそ鼻がぶつかる距離で。胸ぐらをつかまれ、ベッドから浮かされて落とされを数回、続けてガツンと拳骨を落とされた後、枕に押し付けられたまま至近距離での罵詈雑言に心がさらに折れた。
「リオ、それ以上言われると死ぬ」
「いっぺん死んで来い!」
取り付く島もない。
しばらくなすが儘にされていると、疲れたのかリオはサミュエルにまたがったまま、大きく天を仰いだ。
「ドーラ様がかわいそうです」
全く同感だとサミュエルは思った。
「あんなかわいい子が俺みたいなのにつかまっててかわいそうだってのはちゃんとわかってるよ」
思わず苦い笑みがこぼれた。
「せっかく助け出されたのに違う悪いのに捕まって。しかもそいつは親切な保護者の顔をして毎晩いたいけな少女に大義名分があると言いながら不埒なことをするような奴だ。レイプ犯から助けてくれた男に襲われたみたいなもんだ。ドーラにとってはどっちも同じ自分に害を与える存在だよ」
「……、主、何言ってるのですか?」
「リオの言うとおりだ。ドーラがかわいそうだよな。光霊に相談して早いとこ安全な保護者に引き渡してやらないと」
事実を口にしているだけなのに心が痛む。
何の偏見もない第三者が見れば、魔力を吸い出すためにという大義名分で身も心も苛んだケントと、魔力調整を口合わせでという大義名分で唇を毎晩奪っていたサミュエルに違いはないと思う。いや、むしろ心を寄せるようにしていた分、サミュエルのほうがたちが悪いだろう。
こんな男に囲われて、踏みにじられるドーラがかわいそうだ。
リオになじられていたら頭が冷えた。冷静なパートナーはありがたい。
サミュエルはドーラみたいなかわいい少女は幸せになってほしいと心底願っている。
大人になったら素敵な恋をして、自分の手元から旅立つのだ。自分はそれまでの護り手でいい。
だから自分とのキスをカウントさせたらいけない。
心から思うのに、ドーラがほかの男と離れていく姿を思うと心臓が止まったと錯覚するくらい苦しくなる。ちゃんと相手の手にドーラの手をゆだね、笑顔で屋敷から送り出す姿を想像できるのにおかしなものだ。まあ、その相手がドーラにキスしている姿が一瞬でも浮かぶと息が止まるのだが。
「主、それ、本気で言ってるのですか?」
頭上からリオが言う。さっきまでものすごい勢いで怒っていたのに、なぜか呆然とした声なのが不思議だ。
「ああ」
頷くと、リオは目をまんまるにした。
「……、まさかとは思ってたけど、ここまでだったとは」
呟いた後、じっとサミュエルを見つめる。
そして、大きく大きく息を吐くと、サミュエルの上から降りてベッドの横に立つ。それからうんしょと掛け声をかけ、サミュエルの脇の下に手を入れて子供のように起こすと、ベッドに座らせ、自分は足元に膝をついた。
「主、一つお伺いしますが、女でも男でもいい、恋愛経験はありますか?」
「……、男でも女でもって、リオさん……」
「ありますか?」
「ありません」
「主……」
「そんな目で見るなよ」
だって、忙しくてそれどころじゃなかったし。と言いかけてサミュエルは思い出す。
「忙しくては理由にならんなあ。一応留学先でいろんなパーティには参加したし。でも令嬢方は全員がずっと何かしら話してるから会話にならないし、紹介された隣国の王女様は女装した双子の王子だったし、学生の時は勉強で忙しくて彼女とかいなかったし、魔法伯になったら女性から避けられて婚約者の話もなくなったし」
「…………」
「悲しくなるからその目はヤメテクダサイ。まあ正直なところ人付き合いはそこまで得意じゃないし、ありがたいことに血を残さなくちゃならない兄貴たちと違って独り身でいても問題がないからな。今のところ誰かと付き合う予定もない。というわけで恋愛経験はない」
自分で言ってて悲しくなってきた、と笑うサミュエルを見て、リオは納得したと言いながら深く頷いた。
「私が未熟でした。主様のことをわかったつもりになっていたとは。申し訳ございません」
そう言って深く頭を下げてくる。サミュエルは突然の謝罪に困惑した。
「主が真のヘタレだったとは。教育が行き届かなかった私の手落ちです。ドーラ様に謝罪しなくては」
「ちょ、ちょっと」
「まさかあそこまであからさまに示されている好意に気づいていなかったとは知りませんでした。よく言えば鈍感、正直に言うと情けない男ですね、主」
「え、ちょ、待って、えええ?」
「こうしてはいられません、主がドーラ様に対して並々ならぬ好意を持っているのにご自分で気づいていないというただのバカだということをドーラ様に報告しなくては」
リオは言いたいことを全部言ったのと納得したのとで満足して出ていこうとする。
それを慌てて引き留め、強引に隣に座らせると、サミュエルは頭を下げて説明を求めた。めんどくさいと部屋を出ようとするリオの腕をつかんで懇願する。
「仕方ないですね。何から説明しますか?」
リオはあきらめて姿勢を正した。
「いちからおねがいします」
膝に頭が就くほどの低姿勢と必死な態度は魔法伯とは思えないが、ここにいるのは信頼する家精霊だけだ。恥や外聞は気にしなくていい。むしろ自分の言葉や態度でドーラを傷つけたことが恥ずかしかった。
「わかりました」
リオはサミュエルの顎をくいっと持ち上げ、視線を自分に合わせた。
「まずはドーラ様が主をレイプ犯とかそういう負の対象では見ていないことをはっきりとお伝えします。そこまでねじくれられてはドーラ様が気の毒すぎます。そこはご理解ください」
「それは、嬉しいけど、本当かな……」
「ご理解ください」
「あ、はい」
「続けて、主に示している好意の一例をあげます」
「はい」
「朝、ドーラ様は主とともに食事をすることを大変楽しみにしています。主がいない日はしょんぼりしておられます。食事の量と笑顔が減りますので、これは私の主観だけではありません。そして主が戻られたときはとても嬉しそうにしています。主を喜ばせたいとクッキーを焼いたときもとても幸せそうでした」
なんとなくくすぐったい。ジワリと心が温まるのはなぜなんだろう?
そう思いながらもサミュエルはリオの言葉に疑念を持ってしまう。
自分がいなくてしょんぼりしたり帰ってきて嬉しいのはここから出たら生活できるか不安だからではないだろうか、とか。
食事は共にしていたら何となく食べる量が増えるのではないか、とか。
クッキーを焼いたのは機嫌を取ってくれてるのではないか、とか。
怒られそうで言葉にはしなかったが、顔にはしっかり出ているのでリオにペチっとはたかれた。
「そもそも、ドーラ様のあの目を見て自分が嫌われてると思うとかどれだけヘタレなんですか?」
「目、と言われてもなあ……」
「あー、これだから経験のない人はダメなんですよ」
ヤレヤレ、と両掌を上にあげて肩をすくめるリオ。
「主がドーラ様を好きなのは私にはちゃんとわかってます。というか、あれだけ毎日愛おしそうに見つめておいて、なんで気づいてないんですか?」
「!!」
「ほら、一気にお顔が真っ赤ですよ。さくらんぼですか?」
「リオさん……」
「主は都合が悪くなると私を「さん」づけしますね」
「……、ハイ」
「それはともかく、主がドーラ様に並々ならぬ好意を持っているのは一目瞭然です。お友達方もみなご存じでしたよ」
「イーサンたちが?」
「ええ。私に『二人をよろしくな』っておっしゃいました。だいたいあれだけ毎晩うきうきと接吻しておきながら何をいまさら、です」
「……、うきうきしてたか?」
「ええ、最近じゃ舞い上がる感じでしたよ。いい加減ご自分の気持ちを認めてください」
俺は、ドーラが、好きなのか……。
胸の奥で呟くと、すとんと気持ちが落ち着いた。
いや、しかし、とサミュエルは歯を食いしばって首を振る。
「いや、やっぱり、不味いだろ?」
ドーラは16歳だ。
虐げられていて人と接しない時間が多かったはずで、当然出会いの場なんてない。
たまたまサミュエルがドーラを救出し、保護した。心身ともに深い傷を負っていたドーラは医療魔術師や神官にも怯えたため、ここで預かっているが、回復したら広い世界に出ていくだろう。サミュエルより年回りの合う優しい男に会い、心を交わすようになるかもしれない。
最初に会ったというアドバンテージでドーラを縛り付けてはだめだ。そんなのドーラに選択肢がないじゃないか。
「ドーラには今、俺しか選択肢がない。回復して広い世界に出て、俺なんかよりもっといい出会いがあったらそっちを選ぶのがいいと思う。人を好きになるのは自由だけど、恋人になるのに先着順はないだろう? 今は俺を好いてくれてるかもしれないが、その時にその好意が枷になると思うんだよ」
カッコよく言ってるが実際は俺を好きだったことを後悔してほしくないんだろうな、と心で呟いたら、リオが平手で頭をひっぱたいた。
「このヘタレ」
「ええっ!?」
「その時はその時でしょう? なんなら壮絶にフラれればいいんですよ。主の言い分聞いてると『フラれたくないけどドーラは俺のものでいてほしい』って感じでムカムカします」
「ううっ」
「結局自分かわいさでドーラ様に責任押し付けてるだけじゃないですか? そんなのドーラ様にも主の気持ちにも失礼です」
「俺の、気持ち?」
「はい」
リオは深く何度も頷き、サミュエルの両手を握った。
「きっかけはともかく、主はドーラ様に恋してるんですよ。誰もそれが悪いなんて言ってません。先着順で何が悪いんですか? 最初に会ったって愛するに至る人は少ないんじゃないですか? 主は今まであった女性に恋したことがありますか?」
「……、ないな」
「ドーラ様だから愛しいと感じたのではないんですか?」
サミュエルは目を閉じてドーラの顔を思い浮かべた。
泣かせてしまって胸が痛むが、クッキーを食べておいしいと告げた時の笑顔を思い出したら胸の奥が温かくなって、何かが満たされた感じがした。
「医療行為じゃなかった。謝ってくる」
そうなさい、と言ってリオはにこりと笑った。
読んでいただいてありがとうございます。
更新にだいぶ間が開いてしまいすみません。続きを読んでもらえてうれしいです。
二人だとあまりに話が進まないのでリオさんに活躍してもらいました。次回はもう一人(?)助っ人呼びます。




