13 やがて意を決したようにサミュエルは話し始めた
やがて意を決したようにサミュエルは話し始めた。
「火の聖女の結界は北にある。元テイナ辺境伯領のベレスト山の麓だ」
テイナと聞いて当時の記憶が蘇ったのだろう、ドーラの体がはっきりと竦んだ。予想していたので心が痛むが、この先を続ければ痛むどころの話ではなくなるかもしれない。
先を続けたくなくて口をつぐみ、うつむくと、机の上に乗せていた手に冷たい小さな手が重なった。向かい側に座っているドーラの手だ。少し震えているが、顔を上げると真剣な目が向けられていた。
自分の半分の年の少女に気を遣わせてしまった、とサミュエルは少し笑う。
「先ほども話をしたが、火の聖女は現在不在の為、付近の結界が弱くなっている。そんなときに先日の魔力暴走が起こり、結界に大きな穴が開いてしまった」
ドーラが息を飲む。重ねられた手が引っ込みそうになったので、サミュエルは慌てて掴んだ。
「私の、せいですね……」
「それは違う!ドーラのせいじゃない。ドーラの魔力は確かに被害を引き起こしたが、あれはドーラの意思じゃないんだ」
掴んだ手に少し力を入れる。冷たく震える手はこんなに小さい。
サミュエルは席を立ち、ドーラの隣に座った。
ちなみに、先ほどまでそこにいたリオはお茶を入れると言って台所にいる。家精霊に聞かれたところでここから出られないのと家主と家主が心を許す者にしか接触できない(家主より魔力が高くても拒めば接触不可)ので問題はないのだが、そもそも聞く気がないようだ。というか「気を利かせてやった」というドヤ顔で出ていったのがなんともと思うサミュエルである。
「言葉が足りなくてごめん。話の順番も、ああ、もう、俺は話しベタだな」
傍らで震える少女をそっと引き寄せる。女性に不慣れなサミュエル的には「恐る恐る」ともいえるが、ドーラは抵抗せずに肩に寄りかかった。柔らかな髪を撫でられ、目を閉じているドーラはとても儚く見え、サミュエルの心はますます痛む。
「実は、陛下からドーラに火の結界石が稼働できるか試して来いと言われている」
「試す、ですか?」
「ああ。陛下は報告を受けてドーラの魔力に興味を持ったようだ。それだけ強い魔力ならば属性を無視して結界石を稼働できるのではないかと思っているのだろうな」
ため息を吐く。
「陛下は治世には優れたお方なのだが、結界のことに関しては魔法伯に一任していると言って放棄、いや、全権を任されている。全面的に信頼していると言えば聞こえはいいんだが、要はめんどくさいから憶えないよってことなんだろう。いや、尊敬できるお方なんだよ。その辺はまあ、うん、そんな感じ」
そんな感じって、とくすくす笑うドーラの笑顔は心の痛みを少しだけ軽くしてくれる。
それにしても貴族の耄碌爺さんや腹黒宰相やそんな感じの陛下と話すときは問題なく回る舌や頭がこんなに不自由になるなんてなあ、とサミュエルは自分に呆れた。さらに言えば普段はもう少し自信を持った雰囲気が出ていると自負してるんだが、ドーラの前だと全くできてない気もする。取り繕ったところで仕方ないか、先を続けることにした。
「それはまあそれとして。結界に穴が開いたことで、元テイナ領を含む北方の守りが薄くなり、魔物が町の近くに現れることが増えた。守りが薄いことで土地の回復も遅く、作物や家畜にも被害が出ている。守りは人にも影響を及ぼすから、細かい諍いや病気も増えているんだ」
今までは気にしなかったような言葉が悪口に聞こえたり、治る風邪が悪化して肺病になったりしている。
そんなような小さなことが積み重なって町同士の争いになったり、医者が足りずに苦しむ人々が増えている。店が開かなくなり、仕事がなくなり、食料が乏しくなり、心がすさんでいく。
そこに魔物が襲ってくる。
自分のことだけしか考えられなくなっていれば、周りがどうなろうと気にならない。その日暮らしで次の日に希望が持てない。
今はまだここまでには達していないが、火の結界の穴がふさがらないと、近い将来起こることだとサミュエルは言った。
「実は俺も火の結界石に魔力を流しているんだがな、俺の魔力道では魔力過多の者ほど大量の魔力は流せない。ほぼ毎日通っても穴を広げないようにするのが精いっぱいってところなんだ」
「そんな……、魔物だって、出るのでしょう?」
「出ることは出るが、幸いにも大型魔獣が入ってくるほどの穴じゃない。俺一人でもなんとかなるから大丈夫だよ。いたところで中型の翼竜くらいだし」
「翼竜!?」
「奴らは小型のが素早くて厄介なんだ。中型は丸くてどんくさいから意外に簡単に燃やせるんだよ。こう、ドババーンって」
ドーラが驚いた顔でサミュエルを見つめる。遅く帰ってくる日は先に休んでほしいと言ってたし、リオにもベッドに押し込むよう頼んでいるから気づかなくて当たり前なのだが、気づかなかったことがショックらしい。まあ、寝ている間に魔力を調整しているので起きていられては困ると言うサミュエルの事情が大きいのだがこの辺は言わない。大人の事情ということで。
「まあそんな事情で、火の結界石のある小屋への転送陣はこの屋敷の敷地内にあるんだ。ここは入らないでって言った物置、憶えてるかな?」
ドーラはこくんと頷いた。
「リオから聞きました。「疚しいものがたくさんある」ところですよね?」
「疚しいものはまったくないから!」
反射的に言ったものの、そこには押収したモノの置き場所に困って押し付けられた媚薬を始めとする表に出てはいけない薬や道具があったことを思い出したのは内緒だ。
「うう、リオの奴……。と、とにかく、そこには前にあった場所から引き取ってきた火の聖女の小屋への転送陣がある。多分一緒なら飛べると思うんだが……」
サミュエルは言葉を切り、大きく息を吐いた後、ドーラの手をぎゅっと握った。
「正直、俺は、ドーラに石を試してほしくないんだ」
試験に失敗して人生を棒に振った娘たちは本当に悲惨だった。すべて貴族の娘だったが、家族からも冷たくされ、半分が発狂し、ほとんどの者が死を選んだ。市井に下ったり修道院に入ったものはごくわずか。市井に下った者は確か娼婦になったんだったか。快楽だけを求めてすぐに亡くなったと聞いた。
そんなにしても聖女候補として名乗りをあげる者は多くないものの年に2.3人はいる。
各地の聖女は今は一人ずつだが必ずしも一人でなくてはならない決まりはなく、本人が望めば試験を受けることができるためだ。聖女が一人では不在になった時や何らかの理由で結界を維持できなくなった時に困ると言う理由だが、ほぼすべてが試験に失敗しる状況を見ると、もっとちゃんとした基準を作り、聖女候補として認めた上で結界石に触れるなど、事前に対処すれば悲しい結果は減るとサミュエルは思っている。
「ドーラの魔力が多すぎるのは知っている。だけどそれとこれとは話が別だ。火の結界石は火の魔力と相性が良くないと効果を発揮しない。他の石も同じ。それぞれの属性に合えばいいが、合わなかったら弾かれる。俺はドーラが光の神の乙女だと光霊から聞いた。光と闇はいまだにわからない部分が多い。その属性の魔術師はここ数十年いないし、光か闇の属性の魔力を持つ者はほとんどが神殿に取られてしまうから研究できてないんだ」
サミュエルはドーラと初めて会った日を思い出す。
ドーラは眩しいくらい光り輝いていた。魔力暴走の時はその者が持つ属性の魔力が溢れる。その時はいっぱいいっぱいだったから驚かなかったが、思い出したときには何とも言えない気持ちになったものだ。
ドーラの口から『光の神の乙女を守護する光霊』の言葉が聞こえてきて、毎日口づけして乙女の守護となることを我と光の神に誓えと言われたときは……。いや、今はそこは考えまい。
「ドーラの守護である光霊は俺にドーラを護るようにと光の神に誓わせた。火の結界石に触れてドーラに害があれば俺は神との誓いを破ることになる」
ドーラの体が竦む。光霊との話は前もってしてある。ドーラも光霊と話したことがあると言い、自分の身を案じる存在が嬉しいと言っていた。
「でもそんなことはどうでもいい。俺はドーラを危険な目に遭わせたくない。そんでもって、本当はこんなことも言いたくなかった」
「こんなこと? 火の結界石の試しのことですか?」
「それもあるが、陛下からとか穴が開いてるから地元に被害がとか、とにかく全部か」
「そんな! だってもとはと言えば私のせいじゃないですか!」
「何度も言うが、ドーラのせいじゃない。結果的にドーラの魔力が結界に穴を開けたとしても、原因を作ったのは別の奴だ。ドーラは被害者なんだから、そこは間違えたらいけない」
サミュエルはドーラの頭に手を置いて、髪を梳いた。ドーラは泣き出しそうな顔を自分の膝に向けている。テイナ領の荒廃ぶりは見せていないが、うわさは聞いているのかもしれない。サミュエルは何度目かのため息を吐きだした。
「ごめんな。こんな話をしたら、ドーラは断りにくくなるだろうから言いたくなかった。誘導するみたいですごく嫌だ。陛下の言葉なんて無視してしまいたい。でも、隠しておくのはドーラをちゃんと認めてないんじゃないかと思った。単に俺の考えだな。すまん」
謝罪はするほうよりされるほうが辛い。謝罪したほうは謝ることで自分との折り合いがつくが、されるほうは受け入れて許すまで葛藤することになることが多い。子ども同士なら『ごめんなさいで仲直り』はできるだろうが、大人になったらそうはいかない。謝罪をしないで悪者になる覚悟がある者のほうがすごいのかもしれないとサミュエルは思うときがある。
自分の心を自分の半分の年齢の少女に押し付けることに吐き気すら覚えた。
「私が試験を受けなかったら、どうなりますか?」
ドーラの青紫の目に情けない男の姿を見つけ、サミュエルは苦笑した。
「特に何もならないよ。その時は試験はうまくいかなかったと陛下に告げる」
「結界のほうは?」
「俺が何とかするから心配いらない」
「でも、サム様の魔力では穴がふさがらないのですよね?」
「う、ま、まあ、そうなんだけど、だ、大丈夫! おじさんを信じなさい」
「具体的にはどうするんですか?」
「……」
「まさか、毎日倒れるまで魔力を注ぎに行きませんよね? 生命力を削りませんよね?」
「!!せせせ、生命力、って、どこで?」
「魔力が足りない人が自分の生命力を削って魔力に変えて魔物を倒したあとで死んだという物語を昨日、サム様の部屋で見つけて読みました。ただの物語だと思っていたのですが、まさか資料にしていたとか言いませんよね?」
ドーラが問い詰めていると、台所の扉が開いて、リオがお茶を運んできた。
ドーラの前にはそっと、サミュエルの前にはガチャンと音を立ててマグカップを置くと、サミュエルの隣に立ち、大きな目を半分にして上から見下ろす。
「主? まさかとは思いますが、先ほど私に言った「今後の状況次第では魔法伯を返上するかもしれない」とは「穴塞いだら死んじゃうかもしれないから引退するんで引っ越す」ってことですか?」
「え、いや、あの……」
「ま・さ・かとは思いますが、光霊との約束、光の神との誓いを放棄しようとか、そういうこと考えてたり、しないですよね?」
「あ、いや、その……」
「確か火霊は主のことを気に入っておられましたね。ご自分の命を火霊に捧げて穴を塞ぐために結界を強めてもらおうなんておこがましいこと、実行しませんよね?」
「……」
「どうなんですか?」
リオは話すほど笑顔になっていったが、サミュエルにはとても恐ろしいものに見えた。とにかく圧がすごい。ドーラを盾にしたくなるが、そこは男として思いとどまる。
ドーラも強い目でサミュエルを見つめていた。リオと気持ちは同じようだ。美少女に睨まれても怖くないどころかご褒美だなと思うところが情けないサミュエルだった。
だが、譲れないものはある。
「リオ、君は何か勘違いしてるようだが、それが魔法伯だろう?」
顔を上げ、氷のようなリオを見つめる。
「魔法伯なんだから、国のために働くのは当然だ。己の魔力で及ばないなら生命力でも薬でも自分の身でもなんでも使うし、できることなら何でもする。そんなの当り前じゃないか」
一瞬ひるんだリオを見たあと、ドーラにも目を合わせた。
「ドーラは貴族の令嬢、つまり一般人だから、勅命でない限り、断る権利がある。だが、俺は違う。魔法伯とは国にある程度の権力を認められているものだ。権力にはそれに伴う義務がある。俺は国からたくさんの報酬をもらっている。この家だってその一つ。だからこの身を国に捧げるのは当たり前のことだし、それで一瞬でも国が守れるなら安いものだ」
ドーラは目を大きく開き、固まっている。
「そんな! 今までの主はそんなこと誰も言わなかった!」
「俺だって普段なら言わないよ。たまたまそういう機会があっただけさ」
「……」
「まあ、ほら、俺だって簡単に死ぬつもりはないよ。リオが言う通り、光の神との誓約もあるし、なにより可愛いドーラが待ってる。ただ、そういうことがあるかもしれないって話で、それだってリオにするつもりはなかったんだ」
ああ、もう、と舌打ちしながらサミュエルは机に突っ伏して頭を抱える。
「俺はダメだなあ。黙ってやれば二人にいらん心配かけんのに。32にもなってこんなんで恥ずかしいおっさんだよ。ほんと、すまん」
悶える姿を見たリオとドーラは顔を見合わせるとつい吹き出してしまった。仕方ない人だと顔に書いてある。
サミュエルのこういうところが二人はとても好ましいと感じるのだ。隠し事はその時はいいかもしれないが、露見した時には少なからぬ傷を作る。傷がたくさんできれば溝になり、やがて互いを分けるときが来る。隠しててほしかったと思うときもあるかもしれないので一概には言えないが、信頼に嘘はいらないと二人は思っていた。
「私、試験を受けたいです」
ドーラはサミュエルの腕に手を置いて言った。
「私の魔力が人の役に立つなら、試したい。私は今まで魔力を吸い出されているだけの存在でした。助けてもらって、その魔力が砦を壊したのだと聞いて、私を虐げた人は死んだと聞きました。ショックだった。でも……」
手に力が入る。指の先が白くなり、震えた。
「そのとき、ほっとしてしまったんです。これでもう痛い思いをしなくていいんだ、辛いって泣かなくていいんだ、そう思いました」
「それは、ドーラの身に起こっていたことを考えれば、当たり前だろう?」
「当たり前、そうかもしれませんね。でも私はそう思った自分を汚い女だと思います。それは今でも変わりません。あの砦には私を虐げなかった人もたくさんいました。単に知らなかっただけだと思いますが、それでも私に係わらなかった人がたくさんいました。その人たちの人生は変わってしまったでしょう。そのことが、今は、とても辛い。それを教えてくれたのはサム様、貴方です」
ドーラはにこりと笑うと、サミュエルの肩に額を当てた。
「本当を言うと、とても怖いし、行きたくないです。でも、サム様が隠さないで話してくれたことがとても嬉しい。心配してくれることが、とてもとても、嬉しいの」
ドーラの言葉にリオも表情を緩めた。深く頭を下げ、申し訳ありませんと呟く。
「ありがとう」
サミュエルは机に伏したまま顔だけをあげた。そのままゆっくりと起き上がり、肩にもたれていたドーラを引き寄せる。ドーラの体は少し熱かった。目も少し潤んでいる。話し込み過ぎて夜が更けてしまったことにサミュエルは気づいた。今日のところはそろそろ終わりにしなくては。
「何度も言うけど、ドーラは何も悪くない。あれは悪意ある者が故意に引き起こしたものだ。そのせいでテイナ辺境伯は殺されたとも言える。そして大変申し訳ないことにそいつは俺の知り合いなんだ」
「そう、なんですか……」
「ああ。その話は申し訳ないけど後でさせてくれるとありがたい」
ケント=ボールトマン。
サミュエルにとっては大変厄介な大学の同期であるが、ドーラにとっては恐怖の対象だろう。思い出すだけで震えがくるほど、あの男はドーラにさまざまな痛みを与え、苦しむ姿を見て喜んだと聞いている。性的暴行も加えていたと聞いた時は純粋に殺意を感じた。
「知り合いなんですか……」
ドーラが暗い声を出した。
「どの人、ですか? 白い人? 怖い人?」
「ドーラ?」
「叩く人? 蹴る人? 殴る人? 水をかける人? それとも、体を、触る、人……?」
ドーラの体が小刻みに震え出す。サミュエルの手を離れて自分を抱えている少女の震えは次第に大きくなり、体全体をがくがくと揺らしていった。
「やだ、やだ、怖い、やめて、痛い、怖い、やだ……」
「ドーラ様!」
「触らないで!!」
リオが抱えようとした瞬間、強烈な光が沸いて弾き飛ばした。精霊であるリオは光に撃たれて消える。
サミュエルはドーラのトラウマを思い出させてしまった自分を呪った。ここに来てドーラの体は癒されていたが、心は癒されていなかった。サミュエルやリオの温かさに触れて少しずつ回復してはいたが、それだけだ。何かのきっかけがあれば膨らんだ風船を針でつつくようにすぐに弾ける。
普段は眠っているときに魔力を調整することで溢れそうな魔力のバランスを取っているのだが、このままでは眠りにつく前に魔力が溢れてしまうだろう。普段から魔力がダダ漏れなこの土地にドーラの魔力が合わさったら被害が出そうな気がする。
迷っている暇はなかった。
「ドーラ、すまん」
サミュエルは光が今にも溢れそうなドーラを抱きしめると、右手で顎をあげ、唇を合わせた。
読んでいただいてありがとうございます。
遅くなってしまいましたが、更新しました。
サムがヘタレで話がなかなか進みません。次回はもう少し早めにアップできるように努力します。




