第17話 青い花の精の祈りと呪い
私は緑の佳人、から枝を受け取ると空中にルーン文字を描く。
精霊魔術師がやっていた通りにすれば、大丈夫だと自分に言い聞かせ、私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせると──呪文を唱えました。
「運命を導く女神ノルニル、輪から外れしモノの道を導き給え──調和」
半瞬、光が溢れ出し──真昼にも似た輝きを放ちました。
星の煌めきが私の周囲で弾け、輝き、照らします。
ナナカマドとカエデの枝が伸びていき、黒い塊を覆うように包み込んでいきます。
ギギッ!
黒い塊が枝を腐らせるのが先か、黒い塊を覆いつくすのが先か──根気勝負。
私はさらに言葉を重ねた。
「名を忘れモノ、過去に撒いた種の収穫の時来たれり。祝福せよ、汝の名と共に目覚めよ──収穫」
バチバチと、枝が花火になったかのように金色の光が溢れ──私は目が眩んだ。
***
流れてくる記憶は私のものではない。それは古い──思い出。
中世ヨーロッパでしょうか。銀色の甲冑に身を包んだ騎士と、金色の髪に青い瞳の乙女が並んで歩いていました。恋人だというのは二人の雰囲気を見てなんとなくわかりました。彼は、川の向こう側にある青くて美しい花が咲いていることに気付き、
「君の目と同じ綺麗な花だ。……待っていてくれ、君にプレゼントするよ」
「ルドルフ、駄目よ。その花は──」
恋人の言葉も聞かず、騎士は川に入って向こう側に渡りました。ええ、そう彼は妖精界へと入り込んだことに気付いていません。青い花を摘みました。花の精霊は悲鳴を上げているのにもかかわらず、騎士は恋人の為に花を刈り取っていくのでした。
「こんなにたくさん咲いているんだ、少しぐらい貰っても問題ないさ!」
そう言って騎士は青い花を手に川を渡って戻ろうとしました。
──人間が妖精界の花を盗んだ──
妖精の護衛役は、怒って流れる川の勢いを強めました。あまりにも川の流れと甲冑の重みで騎士は溺れてしまいます。しかし騎士は恋人に花を贈ろうと手を放さずに、最後の力を振り絞って岸に投げたのでした。
「|Vergiss-mein-nicht!《僕を忘れないで》」
「ルドルフ! ああ、ルドルフ待って!!」
青い花の精は「痛い、痛い」と鳴き声を上げています。
人間の世界に来てしまった青い花の精は「もどりたい」と叫び──
「どうして、こんなことするの?」その言葉を聞いて──ぶつり、と映像が途切れました。
暗転。
次に浮かび上がってきた感情は憤怒でした。
一三九八年──フランス・パリ。青い炎が権力や名誉を燃やし尽くす。そこに怒りに震える男がいました。
「おのれ……リチャード。この屈辱……絶対に忘れぬ」
「ヘンリー様、いずれフランスに戻り即位を……」
傷ついた兵士たちは悔しさを胸に、焼けた屋敷を脱出しました。従兄リチャード二世との対立し、一三九八年にフランス・パリから追放。相続権も奪われ──ランカスター公領も没収。
「私は復讐をして見せる。絶対に、この屈辱を忘れぬため、あの青い花を紋章として掲げよう!」
ヘンリーは、新たに青い花の紋章を掲げ、復讐を誓ったのです。
「忘れない……想い……願い」と、青い花の精は自分が何の花だったのか──なぜここにいるのかを忘れてしまったのでした。
いつの間にか想いが、《呪い》になった青い花の精。
だから、妖精界に戻ってもその呪いが解けなかったのでしょう。少しずつその呪いは周囲に伝染し、呪いが呪いを生んで──森を終わらせていく。青い花はただ故郷に帰りたかっただけだったのに。余計なものまで持ち込んでしまった。私は花の記憶を辿りました。名前を知るために──。
青い花の精の──記憶。
慟哭。
空を見上げれば我が物顔で空を飛ぶ巨体。
大地と空に愛され祝福された種族──蝙蝠の翼を持つドラゴン──ヴィーヴルは、花の精に告げました。
「次の冬が来たらまたこの地に寄ろう。そうしたら、寝床を貸してくれるか?」
「つつしんでお受けしましょう。──大地と空のいとし子」
蝙蝠の翼と蛇の体をもつ優雅なドラゴンの一種で、形はワーバンに近い。人目に触れず大地と空から愛され──冬は森と共に眠り着く。そこで花の精とヴィーヴルの間である《誓い》が交わされました。死期が近づいたヴィーヴルは花の精の元に戻り、その地で眠る。ヴィーヴルの死の傍らで眠ることが出来る花の精は、森の誉れだと言われていました。
ヴィーヴルの歴史──。
『ヴィーヴルは群れで行動する。そして他種族とも友好的でした。しかし、ルビーやガーネットよりも赤い瞳は、宝石として高価だったため、人間によって狩り尽くされてしまった』そう精霊魔術師の知識に彼らの顛末は凄惨なものだった。
花の精は、大地の精霊たちの噂を耳にしたそうです。それでも、待ちました。もしかしたら、生き残りがいるかもしれない。次の冬──ヴィーヴルの群れは一頭も現れなかった。
次の冬も、その次も──
──サビシイ、ナマエヲ、ヨンデ──
──マダ……チカイヲ……カレラガ……カエッテ……クルマデ──
古い記憶と想いが溢れる。
この地に縛って──縛られてしまった想い。一度その軛から解き放とうと、私は花の精の名を告げる。
「フォーゲット・ミー・ノット」
ぶわああっ!
黒い塊がドロリと溶けて──青い花が咲き誇りました。
世界が再び生まれ変わったかのように、一瞬で死が生へと反転して、森が芽吹く。
森に碧が溢れ、葉が生い茂り、風が舞い踊って、雨水の精が祝福するように森に弾けた。
まるで祭りのようだ。
「おわ……たの?」
「ああ」
答えてくれたのは、ノアだった。
「サラ。……お前がいなければこの森は終わっていた」
耳元で囁く声は、平坦な声なのにとても温かく聞こえました。
「ノア……」
私は振り返ろうとしたのですが、上手く体が動きません。どうしたのでしょう。頑丈だけが取り柄だったのに……。ああ、それは前の私でした。
忘れていました。私はホムンクルスで、とても脆い存在だったのだと。
「サラ!?」
──ねえ、ノア。私、役に立てたか……な?
私の視界が揺らぐ中、ノアが焦る声が遠のいて聞こえ──意識はそこで途切れた。
再び名を思い出した青い花の精は咲き誇り、枯れた大地を埋め尽くしていく。
それは今まで堰き止められていたエネルギーの反動。冬が近い季節には珍しい──青い花畑がノアの領土を覆った。





