第16話 隠された嘘 前編
「サラ……サラ。起きろ、起きてくれ!」
温かい。
黒い毛並みはお日様のように温かくて、安心する。低い──けれど優しい声。今は少し、震えているのでしょうか。
──ナマエ……。……ナマエヲヨンデ……。
鈴の音のような声。
泣いているのでしょうか。
悲しさでいっぱいになるような雨の音。
「サラ!」
耳朶に響くのは聞きなれた声でした。
「ん……」
瞼を開くと──そこは球体の光の中におり、傍には六つ目の獣が私の傍に寄り添っていたのです。球体の中は蛍火が舞い、眩い光に包まれていました。逆に球体の外は暗く澱んだ深淵がただただ広がっているようにしか見えません。
──これは一体? 私はあの黒いのに飲み込まれたんじゃ?
「黒い津波に飲み込まれる寸前、とっさに結界を張った」
「あなたは……。ノアの……眷族の……。彼は?」
「ノアは……」
六つ目の獣はどこか困っているようでした。私がそっと頭を撫でると、六つの瞳を伏せたのです。
「…………主は、影の中で眠っている。津波に飲まれた時に入れ替わった」
「ノアは無事? 怪我はしていない?」
「怪我をしているのは、お前だ。頬が……」
黒い獣は私の頬に前足を伸ばそうとして躊躇った。下ろそうとした前足を私は両手でつかんだ。「私はホムンクルスだから、ちょっと脆いだけよ」と強がってみたが、
「お前がいなくなるのは、怖い」
「大丈夫よ。……たぶん?」
「…………」
獣は私にすり寄って離れなかった。心配は素直に嬉しいけれど、現状を何とかしなければならない。
「この結界は結構持ちそう?」
「ああ。……《光の加護》を使っている。ここから出る方法だが……内側から《浄化の儀》を行えば助かるかもしれない」
「それは不幸中に幸いね。それで、どんな方法なの? 私にできることはある?」
私は座り直すと、六つの目の獣と向き合って尋ねました。
「オ……主一人ではできなかったのだが、お前とマナを合わせて《死》の力ではなくらではなく、《生》の力を使って森を復活させる。そうすれば木々の加護によって浄化の力が増すだろう」
六つの目の獣が言いたいことが何となくわかりました。精霊魔術師の知識の一つドルイドの術式に似ておるのがあったからです。
私は一にも二もなく快諾しました。
「サラ、後ろを向いていてくれないか。主と入れ変わるのを見せたくない」
「うん? わかった。あ、でもちょっと待って」
私は入れ替わってしまう前に六つの目の獣をそっと抱きしめた。びくりと、彼の耳と尻尾が揺れているのが見えました。その姿が可愛らしい。
「私を助けてくれて、ありがとう」
「……礼はいらない」
六つの目の獣は私の頬にすり寄ると、瞼を閉じたのです。
暖かくて心音が少しだけ早い。
「サラ、後ろを向いて両手を前に翳して。……振り返ってはだめだ」
私はその言葉に従って、六つの目の獣に背を向けて目を瞑りました。両手を翳し──あとはノアが戻るのを待つ。
後ろで大きな獣の気配が消えて──それから衣擦れの音が耳に入りました。
「そのまま、真っすぐ前だけを見ているんだ」
「わかったわ」
突然のノアの声に、私は振り返りそうになりましたが我慢します。
彼は私を後ろから抱きしめると、周囲にマナを大量に放出し始めました。マナは風のように目に見えないのですが、彼から溢れるマナはまるでたんぽぽの綿帽子の蕾に似ており、ふわふわと浮遊したのです。
「サラ、片方の手を地面に向かって翳せ」
私は言われた通り片手を地面に向けると、彼はもう片方の手をそっと重ねました。それが魔法を使うためだと分かっていても、やはりドキリとしてしまいます。マナが溢れる中で、ノアは唇を開き──魔法の言葉を紡ぐ。
「起きろ、起きろ──冬の花。芽吹け、芽吹け。祝福の鐘を鳴らして」





