第15話 領土視察3
「!?」
ノアは硬直する私を抱きかかえると、素早く後方へと下がりました。一瞬で数メートルも離れるなんて──恐るべき身体能力です。
瞬前。
私たちが立っていた場所に黒い塊が不快な音を立てて落下しました。もしあの場に居たら、あの黒い塊に飲まれていたでしょう。
「クウイーン!」と黒い馬は悲鳴に似た嘶きを上げて逃げ出しました。ノアは脱兎の如く逃げ出す愛馬など気にしていません。彼は──私を見ていたのですから。
「怪我は?」
「うん、無事」
「そうか……」
ノアは私を下ろすと遠く離れた黒い塊へと視線を戻しました。
先ほど私たちを襲ってきた黒い塊は触手を作り、周囲を警戒しています。思っていた以上に感知能力が高いのかもしれない。あるいは敵対するモノに対して過剰に反応しているのかも……。
「サラ、……ヒイラギ以外にも《魔除けとなる木》の名前を前は知っているか?」
「うん。知識としてはあるけど……」
ノアは「そうか」と即答すると、私を後ろから抱きしめたのです。
「ひゃ、の、ノア!?」
突然の行動に私は心臓が止まりそうになりました。──というか「この非常事態になにするんですか!?」というセリフが出かかったのだが、
「今からお前に転移魔法をかける。それで屋敷まで戻れるはずだ」
その声は切羽詰まっており、なによりノアは覚悟を決めた──という印象を受けました。
覚悟。これは直感です。けれど、彼がこれから何をしようとするのか、なんとなくわかりました。
先ほど私に話してくれた東の森を終わらせるつもりなのでしょう。
「ノア、待って。まだ今からなら抑えられるかもしれない!」
軽率だと叱咤しても、彼は首を横に振りませんでした。転移の魔法なのか私の体が発行し、マナが体中に流れてくるのを感じます。
「今さっき、お前に危険が迫った時……とても怖くなった」
「え?」
「お前がいなくなるかもしれない、そう考えた時にとても嫌だと思えた。……死の力を使うのは最後の最後だと決めていたが……お前が危険に陥るくらいなら」
ぼそぼそと語る声は普段とは違い、焦燥と複雑な感情が絡み合った──熱のある声でした。
「ま、待って。私の安全を得るために、この森を終わらせたら駄目でしょう。それこそ本末転倒だし!」
「だが……。この気持ちが分からないままなのも、お前がいなくなるのも……困る」
こんな非常事態でなければ、クラっと来てしまうような言葉です。けれど──今はそれどころではありません。
「な、なら……一緒になんとかしましょう。私たちはパートナーなのですから、一人で背負わずに──一緒に乗り越えましょう!」
「サラ……」
ノアは小さく頷くと転移魔法を解除してくれました。
光が消えた瞬間、黒い塊が私たちに目の前に迫り──。
ギギギッ!
ノアは私を抱き上げながら黒い塊から距離を取ろうと離れます。その速度は風のように速い。しかし──黒の塊は触手のようにうねり、鞭による範囲攻撃へと拡大。からめとられたら最後、一瞬で黒い塊に飲まれてしまうでしょう。
その時、私はなぜあの黒い塊が過剰反応しているのか──という事に気付きませんでした。というよりも、目の前の脅威から逃げることだけで精いっぱいだったからです。
なにより──黒い触手がノアの片足を掴んだ瞬間、私たちは思い切り吹き飛ばされました。
「がっ」
ノアは咄嗟に私を庇って、地面に叩きつけられました。私は彼が庇ってくれたので大したダメージはありませんでした。
「ノア!?」
私はぐったりしたノアを起こそうとしましたが、気を失っているようでした。ノアを担いだままは逃げきれない。そう判断した私は──。
近くにあった小枝を拾い駆け出しました。
出来るだけノアからあの黒い塊を引き離すために──ルーン文字を描きます。
「豊穣──喜び!」
浄化となる陽の魔法を唱えました。黒い塊は怯み、消えていきます。
ええでも、楽観視なんて出来ません。あの黒い塊そのものを消すだけの威力が私には──たぶんない。
──ノアが目を覚ますまで持ちこたえられれば……。
私は出来るだけ時間を稼ごうと足掻く。
この時、サッサと逃げてしまえばよかったのですが──なんとなく、体が動いてしまった。としか言いようがありません。だって、これで逃げたら、私は私を一生許せないと思ったから。
ギギギッ!!
奇怪な音を立てた黒い塊は四方八方から私を捉えようと伸びる。ドロリとした冷たい感触が手首や足に纏わりつく。全身が黒い塊に飲まれていく中、私はとっておきで出迎える。
「太陽」
それは太陽に似た金色の輝き。しかし私にではこの強力な魔法を発動するのに、マナが足りな過ぎた。頬がミシミシと嫌な音を立てる。
その時になって私は自分がホムンクルスだったのだと、痛烈に思い知らされたのです。
──ああ、時間。ちょっとは稼げた……かな。
黒い塊は怒涛となって一気に押し寄せたのです。それはまるで津波のように。
広範囲による攻撃。その速さに私が抗えるはずもなく──。
黒い塊は液体のように、この森そのものを飲み込んだ。
「サラ!」
黒い津波に飲まれる瞬間、私はノアの声とぬくもりを感じた気がしました──





