第14話 領地視察2
唐突な命令ともいえるような頼みごとに私は困惑しました。これではまるで精霊魔術師レムルに対してファンヴァラ様が嫉妬しているように映るのですが……。勘違いですよね。
「すまない。言葉が足りなかった」
「……と言いますと?」
「精霊魔術師はお前を作った創物主かもしれない。だが、オレの領土に住まう者なら『旦那様』という言い回しは変えてもらいたい。この先、他の精霊王たちとの社交の場で誤解を招く可能性もあるのは避けたいのだ」
確かに彼とパートナー関係の中で、いち魔術師を『旦那様』と呼ぶのは憚られる。私は「わかった。これからは魔術師と呼ぶようにする」と伝えた。こう言ったことはちゃんと言葉にしなきゃ、いけないと思っての事だ。私の素早い対応に、ファンヴァラ様は満足したのか急に上機嫌になった。
頬に彼の唇が触れるたびに、熱が上がりそうだ。
「それとオレ──私のことはノアと呼べ」
「ノア……様? それが本名?」
「様はいらない。……オレ本体の名称みたいなものだ」
急に名をしかも呼び捨てだと意識してしまう。お願いだからこれ以上、勘違い要素を増やさないで欲しい。切実に。特にキスをするのは……。それとも形だけではなく、ファンヴァラ様──ノアも少しは私の事を想っているのでしょうか。
「ノア……」
「それでいい」
「確かヘブライ語だと《休息》という意味らしいよ」
「そうか。それは良いことを聞いた」
「あの……」
「なんだ?」
これは聞いても良いことなのだろうか?
そう思いつつも私は言葉を紡いだ。
「オレっていう方がなんかしっくりくるけど、わざと「私」って言っているの?」
「……まあ、そうだな」
「私の前だったら、その素のままで「オレ」でもいいけど?」
彼は「そうか」と今までにないほど甘く優しい声が漏れた。
もしかして無理をしていたのだろうか。それなら気を遣わせて申し訳ない。
「お前が良いというなら、そうしよう」
「うん」
交わした言葉はそれだけだったが、ファンヴァラ様──いえノアはどこか嬉しそうでした。再び手綱を強く握ると、方向転換して東の《終わりの森》へと馬を走らせます。
「少し遠いので大地の精霊たちの力を借りる」
「あ、えっとノア。私は何をすればいいですか?」
「舌を噛まないこと」
「はい」
「手綱を絶対に離さないこと」
「はい」
「あとはオレに身を任せておけばいい」
「はい。……え?」
最後のセリフはなんというか心臓に悪い。耳元の近くで、さらっと言うなんてなんか卑怯な気がします。
「どうかしたか?」
「いえ、大丈夫です」
本人は無自覚のようです……。これは生き地獄ですね。私の心臓もつかな。
私のうるさい心臓の音にノアが気づいた様子はなく、大地の精霊を呼び出して風の祈りを唱えた。
「あまねく風よ、集え、集え。祝福を我らに」
大地の精霊たちが集まると──風が淡い水色の光を帯びて駆け抜けていきます。
その光景は美しく、私は瞬きをするのも忘れて魅入っていました。
***
東の《終わりの森》──落葉樹ミズナラ、ヤドリギの木、モミの木などに覆われており木々に葉が生い茂っていれば、とても美しい緑豊かな土地だったでしょう。しかし、そこには確かな《死》の気配がありました。木々は黒く炭のように変わり果て、苔も生えない黒い土が侵食していました。
ぶるりと馬が脅えて近づくことを拒むので、私とノアは馬から降りることに。できうる限り《死》の中心となる場所へと近づきます。ぐにゃぐにゃと耳障りな這いずる音が聞こえてきました。
「……!」
ゾッとするような寒気と、嫌悪感に私は思わず両手で口を塞ぎました。
見えたのは黒い泥の塊。
それが大地を腐らせ──広がっていたのです。
「……の、ノア。あれって……生きているの?」
ノアは全てを終わらせていく《死》をジッと睨んでいました。
「おそらく。……いつからあるのかは覚えていない。しかし、アレは強い想いによってあらゆるものを蝕む。ケガレ、呪い、ヨクナイモノ、禍──呼び方は様々だ」
「ノアじゃ、どうにも出来ない?」
「死の王なら何とかできるのでは?」と思ったからです。私の心を読んだのか、彼は首を横に振りました。
「無理だ。……オレが《死》の力を使えば、終らせることはできる。だがその場合、東の森に息づく全ての木々や精霊たちもすべて殺す。再び大地が芽吹くとして数百年以上はかかるだろう。だからその力を使うのは本当に最後だ」
それは強大な力を持つ故、制御が難しいという事。一度発動すれば周囲全てを灰に還してしまう。だからこそノアはその力を使わずにいた。
私は自分の頭の中にある知識を手繰り寄せます。
精霊魔術師の叡智は膨大。だからこそ、意識を集中させて、解決策を見つけ出す必要があるのです。それは頭の中にある図書館から、関係ある一冊の本を探し出す感覚に近いと言えます。
「うーん。たしか、呪い解きは柊の葉と、粗塩があればちょっとは抑えることが出来るかもしれない」
ギギギッ!
黒い塊は私たちの存在を察知したのか、黒い何かが動いた。





