第12話 お屋敷での日常4
「へ?」と、思わず変な声が出ました。あれだけ一緒に話しておいて、今更その質問がくるとは思っていなかったからです。六つ目の獣はどこか不安げに私を見つめていました。たしかに口を開けたらその大きな牙で私なんて一口で食べられてしまうでしょう。けれど──
「怖くはないですよ。いろいろお話しできて楽しいです」
生前は猫派だったけど、犬もあながち嫌いじゃない。そう思えるほど、最近はとても可愛らしく見えます。やっぱり尻尾が素直だから余計にそう感じるのかもしれません。
「……そうか」
目を伏せて素っ気なない言葉だったが、彼の尻尾は嬉しそうに揺れているのが見えました。私はそれを横目に見ながら脱衣所へと戻ったのです。
この数日で屋敷の中も少しずつ修繕されています。いろいろとバタバタしているので、私やコボルトさんたちの名前はまだないのですが……。
「あ、そういえば、彼の名前……なんて言うのか聞き忘れちゃった。ファンヴァラ様の眷族だろうけど、妖精犬かな。ヘルハウンドやブラックドックとは雰囲気が違うし……」
「ファンヴァラ様に尋ねてみるのも良いかもしれない」と思いながら髪を乾かし、身支度を整えるのでした。
***
少しばかり涼んでから脱所から出ると、ファンヴァラ様の姿がありました。今日は深緑色の燕尾服姿です。うん、直視できないぐらい似合っています。威圧感は健在ですが……。
「遅くなりました」
「……敬語はいらない」と、そっぽを向いて彼は歩き出してしまった。
「え?」
なんて言ったんでしょう。小声だったので、聞き取れませんでした。これはもしかして、なにか失礼な事をしてしまったでしょうか。それでなくとも、朝風呂から上がるのをいつも待ってくれているのは、申し訳ないような……。
私がアワアワしていると、ファンヴァラ様は急に足を止めて振り返りました。
「今日は中庭の手入れか?」
「はい。ファンヴァラ様から頂いた《世界樹の種》を撒いてみようと思います。コボルトさんたちも手伝ってくれる予定です」
「そうか」
「あ、そうだ。ファンヴァラ様、お時間がある時でいいので、私やコボルトたちに名前を付けてもらえないでしょうか?」
彼は私の申し出に大層驚かれているようでした。やはり妖精界では特定の名前を付けるというのは、特別な意味を持つことなのかもしれません。
「コボルト全員か?」
「ああ、いえ。いつも傍に居る子たち五、六人です」
私の言葉にファンヴァラ様は目を伏せて、大きなため息を吐いた。
「コボルトたちは群れをなしてよく働いてくれる。僅かな者ばかりに褒美を与えるのは、あまりいいものではないだろう。今屋敷にいるコボルトたち全員の名前を付けるとしよう」
「あ……。なんだか大ごとにしてしまって、すみません」
「別に構わない」
妖精界には妖精界のルールがある。
私は人間の記憶もあるから、どうしてもそちらの常識に引っ張られてしまう。人間の常識などここでは通じないのです。そして妖精や精霊たちの《約束》とはかなり重いもので、気軽にしていいものではないとファンヴァラ様は教えてくれました。
「彼らは命を奪うようなことはしないが、酷い目に合うから気を付けるように」
そう告げると自分の部屋に戻り、朝食には顔を出しませんでした。
──や、やってしまった。
朝食のパンとスープを食べながら私は後悔しました。気の緩みもあったのかもしれません。仲良くなろうと思った結果、ファンヴァラ様の負担を増やすなんて……。自分の迂闊さに溜息しか出ません。
『ホムンクルスさん、元気ない? いっぱい食べるの』
『朝から食べないと、力でないって、聞いたのー』
「うん。ありがとう」
食事を運んでくれるコボルトに礼を述べます。罪悪感で、パンが喉を通りません。しかし、食べないと──私はパンを口の中に放り込むと、スープと一緒に無理やり飲み込みました。
「うん、スープ美味しい」
最初に出されたものよりも、味は格段に美味しくなっていました。日に日に屋敷も修繕されているので、本当にお屋敷の一員のような錯覚を覚えてしまいます。私は預言の為にここに置いてもらえているだけなのに。
「sarahはいるか?」
ファンヴァラ様は唐突に部屋を開けると「サラ」という名を呼びました。どなたか来訪しているのでしょうか?キョロキョロとしている私に、彼は大股で足早に歩み寄ります。
「サラ、今日からそれがお前の名前だ」
「え? 私の──」
ファンヴァラ様は「そうだ」と素っ気なく告げました。私は目をこすって、両頬をつねってみましたが、痛いだけです。夢ではありませんでした。
「……嫌か?」
「い、いえ! こんなに早く名前を貰えるとは思っていなかったので、嬉しいです」
「そうか」
朝食に来なかったのは怒っていたのではなく、私の名前を考えてくれていたのかもしれないと思うと、自然と口元が綻んでしまう。ファンヴァラ様の表情はいつもの通りですが、この数日でほんの少しだけ、それもなんとなくですが何を考えているのか──わかってきた気がします。たぶん。
「……コボルトたちはあとでそれぞれ命名するとしよう」
「ありがとうございます」
「あまり慣れていないから、あとで文句は受け付けないがな」
「そんな……! とても、嬉しいです」
ファンヴァラ様は少しだけ口元を緩めると、言葉を続けた。
「今日の午後、私の領土を見回りするのだが──来るか?」
「いいんですか?」
「ああ、マナもだいぶ回復したようだしな。……私も領土の見回りにいくのでついでだ」
「はい、喜んで」
私はようやく領土がどうなっているのか知ることが出来る。
そう──暢気に考えていたのです。なぜファンヴァラ様が私の体力の回復を待ったのか、その理由をあまり深く考えていませんでした。





