第47話 誰が何を証明するか
和解案を断ってから二日後、エドガーの辞任の翌日。王都、独立審査院。
高い天窓から冷たい秋の光が差し込む厳格な法廷で、国家の根幹を揺るがす異議申立ての審理が本格的に開始されていた。
証言台に立つエレナ・ヴァレント特別再建委員長の前には、国庫庁の高級官僚たちがずらりと並び、苦し紛れの弁明を繰り返していた。
「……ですから、データの欠落は意図的なものではなく、山間部の早い降雪による通信障害と、各ギルドの集計の遅れが重なった結果生じた、単なる事務的な計算違いでありまして……」
「単なる計算違いで、全国の予備資金を凍結し、国民を飢餓の恐怖に陥れたというのですか」
エレナの冷ややかで澄んだ声が、官僚の言い訳をバッサリと切り捨てた。
彼女は証言台の上の分厚い書類の束から、次々と羊皮紙を引き抜き、審査官たちに向けて提示していく。
「こちらをご覧ください。これは、ロズフェルド領および西部・南部の『実務担当者』たちが、自らの足で倉庫を回り、自らの名前で署名した実測データです。山間部の早い降雪が来る前の日付で、元の記録が届いています。こちらが、国庫庁の受領印のある控えです」
倉庫火災にも耐えた『分散記録』。そして、ギルドの親方たちや末端の事務官たちが、誇りを持って残した本人名義の帳簿たち。
エレナはそれらの数字を、国庫庁が発表したデータと見事に照らし合わせていく。
「搬入と搬出を別々に足せば、同じ穀物を二度数えてしまいます。そこで、受渡し番号を突き合わせました。この比較表は、同じ日付に倉庫へ残っていた量だけを集計しています」
エレナは二枚の帳簿を並べ、一つの番号を指した。
「倉庫から届いた元帳では、ここに二百袋ある。国庫庁の受領控えでも二百袋です。ところが、公表に使われた集計表では、この行だけが消えています」
「転記の誤りでは……」
「一か所だけなら、そうも考えました。ですが、同じ系列の中継倉庫で、受領済みの在庫が繰り返し抜けています。未着分でも、集計後に届いた分でもありません。受領日と集計日を、控えでお確かめください」
数字の並ぶ紙の上で、審査官の指が止まった。
別の職員が、元帳、国庫庁の受領控え、公表集計表を並べて照合する。倉庫を変えても、消えたのは受領済みの在庫だった。エレナは、その作業が終わるまで口を挟まなかった。
「どなたが除外を命じたかは、この資料だけでは断定できません。ただ、除外された在庫を戻すと、不足量は発動基準を下回ります。凶作への支援は必要ですが、全国一括凍結の条件を満たしたという説明は成り立ちません」
国庫庁の官僚が、手元の資料をめくり直した。さっきまで続いていた弁明が途切れる。
署名した人の数が多いから、正しいのではない。各地の記録を辿れば、消える前の数字へ戻れた。それを確かめてもらうため、エレナはこの束を持ってきたのだ。
その時、法廷の奥の重い扉が開き、独立保全局の制服を着た職員が一つの革箱を恭しく運び込んできた。
赤黒い蝋の封印が施されたその箱を見て、傍聴席にいた監査院評議会の幹部たちが、弾かれたように立ち上がった。
「ば、馬鹿な! なぜそれがここにある!」
「異議あり! それは監査院の最高機密に属する封印記録だ! 独立審査院であっても、評議会の同意なしに持ち出すことは違法のはずだ!」
幹部たちが口々にわめき散らすが、独立審査院の長は冷ややかな目で彼らを一瞥し、木槌を鳴らした。
「静粛に。監査院規則第十二条により、当該封印記録の保管責任者が辞任等でその地位を離れた場合、記録は自動的に独立保全局へ移管されると定められております。前院長代理のエドガー・レイン氏が昨日付で辞任したため、本記録は適法に独立化しました」
「保管者が替わっただけで、我々の同意まで不要になるというのか!」
「さらに、今回の規則改定で、移管された記録に係属中の公益開示請求がある場合、旧保管系統の同意なしに当審査院へ回付する義務が加わりました。回付は自動ですが、開示の要否は当院が判断します。請求の目的と現場資料を検討した結果、本件の発動根拠を審査するために必要な開示と認めました。これより封印を解き、内容を確認します」
幹部たちが絶望の声を上げる中、法廷の真ん中で、堅く閉ざされていた蝋の封印がパキリと割られた。
箱から現れたのは、統計官の内部通報と、刑事送致に備えて集められた照合資料だった。
通報の日付は、緊急令が布告された日の午後。審査官が読み上げる数字は、エレナたちの比較表と重なっていた。
統計官は、布告の直後に不整合を発見して通報していた。添付資料には、通常の照合作業で国庫庁から受け取った修正票の認証写しがあり、送付元と受領日も記されていた。そこに、系列倉庫の在庫を除外する指示と、ラウル次官の決裁署名があった。
通報の添付一覧と受領印を照らし、審査官がその写しも通報時に提出されていたことを確かめた。評議会が封印を命じたのは、その日のうちだった。
独立保全局の職員は、箱の外で管理されていた封印命令書と、通報の受領簿、請求の処理記録も提出した。
そこには、誰が通報を受け取り、誰が本文を確認した後で封印を命じたかが残っていた。開示請求の到着後も、期限を設けず回付を保留した記録が続く。
封印された本文だけでは分からない処理の順番が、外側の記録で繋がった。
証人として呼ばれたエドガーは、引継ぎ時から本文を読む権限がなく、昨日の移管まで封印を維持したと答えた。
「今、読み上げられた不整合の内容を、あなたが知ったのはいつですか」
「この場で初めてです。私が執行証明に署名するより前に、この欠落が報告されていたことも、今、本文と日付を照らして確認しました」
彼の指が、証人席の縁を一度だけ強く押した。
エレナは、あの署名のある通知を思い出した。知らされないまま署名した彼にも、ここで初めて繋がったものがある。
(……エドガー様)
エレナは、開かれた記録を見つめながら、胸の奥で熱いものがこみ上げるのを感じた。
何が起きたかは、現場の記録で辿れた。誰が知りながら止めたかは、通報と処理記録が示している。
彼はエレナの代わりに証明したのではない。請求を塞いでいた保管系統から記録を離し、審査に出せるようにした。
そのために失った職は、判決が出ても戻らない。エレナは証人席から退く彼を見送り、次の照合表を手に取った。
審査院は、午後を原本の照合と相手方への確認に充て、適用停止の判断を翌朝に示すと告げた。
法廷を出たエレナに、連絡係が通信を差し出した。ロズフェルドのミナからだった。
『二村は手元の非常食で配給を継続。新たに手配した隣領の第一便は昨日朝に出発、明日夕刻までに到着予定。病人向けの粥に回す麦が不足するため、追加の買付けを進めています』
非常食は残っている。次の荷も道中にある。だが、正式な配給と同じ食事にはならない。借りた馬車の追加費用も、日ごとに増えていた。
あの和解案を受けていれば、もう通常の荷が届いていたかもしれない。その差を、国庫庁への非難だけで済ませることはできなかった。
エレナは控室の机で、判断記録を書き足した。
『個別救済案を不受諾としたため、委員会に限った凍結解除は実現しなかった。代替輸送を選択した判断者は、特別再建委員長エレナ・ヴァレント。正式配給との差、および追加費用は、村と輸送担当者の記録に基づいて精算・補填を申請する』
発端となった偽装の責任まで、自分が引き受けるのではない。自分が選んだ部分を、そこから切り分けて残す。
配給が戻る日付の欄は、まだ空けた。翌朝に判断が出ても、荷が村へ着いた確認を取るまでは終わりにできない。
エレナはペンを置き、両村の代表へ現状を説明するため、控室の扉を開けた。




