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婚約破棄は承りました。私の仕事まで、あなたのものではありません~冷徹監査官は私を囲わない~  作者: 他力本願寺


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第46話 地位を使わず、地位を手放す

和解案を断った翌朝も、公益開示請求の状況は変わらなかった。


 王都の連絡所で、エレナは受付番号をもう一度確かめた。監査院評議会は回付の時期を答えず、同じ文面を返してくる。


 封印記録がなくても、不足データの誤りを争う準備はできていた。だが、数字の異常をいつ誰が知ったかまでは、現場の帳簿に書かれていない。


「委員長、独立審査院からです。明日、最初の審理を開くと」


 連絡係から受け取った通知に、エレナは頷いた。まず、手元にあるものを出そう。


 説明の順番を決めていた午後、もう一通の通知が届いた。


 差出人は、独立保全局だった。


『本日、保管責任者の辞任に伴い、該当記録の保管権限が当局へ移転。封印状態および目録を照合の上、記録を引き取った。係属中の公益開示請求と併せ、独立審査院へ回付済み』


 エレナは、辞任という二文字で目を止めた。


 先日の夜、公布文を挟んで話した規則だ。保管者が辞任でも解任でも、その地位を離れれば記録は独立保全へ移る。移った後は、評議会の同意がなくても請求が審査院へ送られる。


 記録の置き場所を変えただけではない。止められていた自分の請求が、ようやく審査する人の机へ届いたのだ。


 そのために彼は、院長代理の職を辞めた。


 エレナは椅子から立ち上がりかけた。彼を探しに行きたい。今どこにいるのか、何を言われたのか、顔を見て確かめたい。


 けれど、通知には続きがあった。明日の審理で開示の要否を判断するため、請求人は立証事項を追完すること。


 彼が開けた道を、自分の請求で進まなければならない。


 エレナは座り直した。


『全国不足データの不整合について、発見・報告・処理の経緯を確認する必要がある』


 追完書に署名する手が、少し震えた。書き終えてから、小さな別の紙に私信をしたためた。


『今夜、連絡所で待っています。仕事の説明より先に、あなたの顔が見たいです』


 ***


 ――エドガー


 監査院の本部棟を出ると、秋の風が襟元を抜けた。いつも指に当たる銀のバッジが、もうない。


 エドガーは足を止め、空いた襟を見下ろした。


 今朝、評議会議長は正式な院長への推挙を告げた。


 差し出された辞令案には、現に負う封印記録の保管責任をそのまま継続すると記されていた。肩書きを上げても、箱を預かる椅子からは動かさない。


『差し止めを黙認し、将来、審査院でこの遅延を証言しない。それが条件ですか』


『組織のための賢明な沈黙だよ。レイン君』


 評議会が彼を解任しても、配置を換えても、保管責任だけを他人に付け替えても、記録は独立保全へ移る。懲戒停止も同じだ。だから評議会はどの人事措置も取らず、請求を止め続けるつもりだった。


 懲戒を選ばせることは、彼にはできない。ただし、自分から辞めることはできる。


『私の沈黙が、そのバッジの代金というわけですか』


 彼は辞任届を提出した。議長が押し返そうとした時には、列席する書記が提出時刻を記録していた。


『受理する者の裁量を要せず、提出と同時に発効します。記録を独立保全局へ引き継いでください』


 怒号は背に受けた。だが、廊下で立ち止まることはしなかった。


 その後、独立保全局の職員が来るまで、立会人の下で引継ぎを待った。封印を破らず、目録の件数と封蝋を照合し、受領書の控えを受け取る。彼が本文を読む機会は、一度もなかった。


 係属中の請求も一緒に回付されると確認して、ようやく建物を出た。


 長年目指してきた院長の座は失った。俸給も官舎も、部下に調査を命じる権限もなくなる。レイン伯爵家の次男であることは変わらないが、それは自分が積み上げた仕事の代わりにはならなかった。


 痛くないはずがない。机の引出しに残した未完の制度案を思うと、戻りたい気持ちさえあった。


 それでも、請求を塞ぐためにあの椅子へ座り続けることはできなかった。


 連絡所の使いが追いつき、エレナの手紙を渡した。


 仕事の説明より先に、顔が見たい。


 短い文を、エドガーは立ったまま読み返した。


 かつてなら、職を失った今の自分は彼女に不要だと、身を引く口実にしただろう。だが、彼女はもう、それを望まないと教えてくれた。


 彼自身も、離れたくなかった。


 何の役職も付かない名前で、彼女に呼ばれたい。明日の審理がどんな結果になっても、その後の夜を共に過ごしたい。


 手紙を懐にしまい、彼は連絡所へ向かった。会えば、まず抱きしめたい。その望みだけは、もう職務の言葉に隠すつもりはなかった。

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