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婚約破棄は承りました。私の仕事まで、あなたのものではありません~冷徹監査官は私を囲わない~  作者: 他力本願寺


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第4話 帳簿より軽い小麦袋

領主であるマルグリットの正式な同意を得たその日の午後。


 エレナは、エドガーとヨハンを伴い、領の食糧庫の中枢である第六倉庫の内部へ足を踏み入れた。


 分厚い木の扉が開かれると、ひんやりとした薄暗い空気とともに、乾いた麦と土埃の匂いが鼻を突く。石造りの広大な空間には、麻袋に詰められた小麦が天井近くまでうず高く積み上げられていた。


 エレナは手元の帳簿を開き、倉庫の区画番号と照らし合わせながら歩みを進める。やがて、春の種麦と冬の備蓄用麦が混在して置かれている区画の前で足を止めた。


「帳簿上では、この区画にある小麦袋は一袋あたり五十キロで計算されています」


 エレナは言いながら、一番手前に積まれていた麻袋の端を掴み、ぐっと持ち上げてみた。


 実務で鍛えられた彼女の感覚が、即座に違和感を訴えかける。


「……軽いですね」


「軽い、ですか?」


 ヨハンが不思議そうに首を傾げ、エレナの隣に立って同じように麻袋を持ち上げた。ヨハンも袋の端を浮かせたが、すぐに下ろして検量用の秤を呼んだ。


「確かに。五十キロには満たない。四十五キロ……いや、それより少し軽いくらいでしょうか。ですが、見た目はパンパンに詰まっているように見えます」


「まず量りましょう。袋を開けるところから、記録をお願いします」


 番号を控えた袋を秤に載せると、風袋を引いた中身は四十五キロしかなかった。底には古い藁が詰められている。別の区画から抜き取った袋にも同じ細工があった。エレナは帳簿に実測値を書き込んだ。


 外から市場の物価と荷車の数を観察した時の予測が、見事に的中した形だ。荷車が頻繁に出入りしているのに、市場に物が出回らない理由。それは、運ばれている中身そのものが最初から少なかったからだ。


「記録と中身が違いますね。納入先の資料も押さえる必要があります」


 ヨハンが顔を険しくして声を上げた。


「納入業者と検品担当者を呼び、入出庫を止めて照合しましょうか」


「お待ちください、ヨハン様」


 エレナは慌てることなく、ヨハンの言葉を遮った。


「全区画の入出庫を止める前に、明日の配達に使える荷を切り分けたいのです。問題のある袋は保全し、別に検量した麦を回せませんか。納入と検品のどちらで食い違ったかも、順に確かめましょう」


 エレナは視線を巡らせ、倉庫の奥で不安げにこちらを窺っている初老の倉庫番に目を留めた。


 彼女はエドガーたちにその場で待つように手で示し、一人で倉庫番のもとへ歩み寄った。


「こんにちは。あなたがこの第六倉庫の責任者ですね?」


 エレナが柔らかな声で問いかけると、倉庫番の男はびくっと肩を震わせた。


「ひぃっ! わ、私は何も知りません! ただ言われた通りにハンコを押して、荷車を受け入れていただけです!」


「では、あなたがどこまで知っていたか、順に聞かせてください。この検品欄に署名した時、中身を確かめましたか?」


 責めるのではなく、理解を示すエレナの言葉に、倉庫番はすがりつくような視線を向けた。


「……製粉所の人間と、一部の運送業者がグルなんです。彼らは途中で麦を少しずつ抜き取り、空いた隙間に藁を詰めて持ってきます。そして、輸送費は五十キロ分の満額を領に請求している……私のような下っ端が逆らえば、仕事を奪うと脅されていて……」


「いつからですか? 去年の秋の買い付けの時から?」


「いえ……先代の旦那様が亡くなられ、戦後の借金で領の財政が厳しくなった頃からです。給金が遅れるようになり、みんな少しでも生活の足しにしようと……」


 倉庫番の目には涙が浮かんでいた。


 エレナは小さく息を吐いた。悪意に満ちた巨悪ではなく、生活苦と管理体制の甘さが生んだ、小悪党たちの寄生。これが、ロズフェルド領の赤字を膨らませている正体の一部だ。


 エレナがエドガーたちのもとへ戻ると、ヨハンが苛立たしげに口を開いた。


「同情の余地があるとはいえ、犯罪は犯罪です。帳簿をごまかし、国庫補助金が投入された資金を騙し取っている以上、厳罰に処すべきではありませんか?」


 だが、エレナは首を横に振った。


「不正の調査と処分は必要です。その間にも、明日の荷を運ぶ人が要ります。私の役目は、このロズフェルド領を冬までに自走可能な状態へ戻すことです。彼らを一斉に裁いて流通を止めてしまえば、一番苦しむのは今日のパンを買えない領民たちです。それに、輸送費の二重請求をすぐに止めさせれば、浮いた資金で冬用の備蓄麦を追加購入する目処が立ちます」


 誰を罰するかではなく、どうやって明日からの物流を回し、冬を越すための計算式を成り立たせるか。


 エレナの徹底した実務家としての思考に、エドガーは静かな感心の眼差しを向けた。


 彼はヨハンを手で制し、首席監査官としての冷徹な声で口を開いた。


「監査院の職務は、容疑だけで処分を決めることではない。まず事実を確定する。ヨハン、直ちに製粉所と該当の運送商会へ赴き、過去三年分の納品伝票と請求書の原本を『証拠保全』として押収しろ」


「はっ!」


「それから、あの倉庫番の男には監査院の権限で『証言者保護』を適用する。口封じされないよう、安全な場所へ移して保護下におけ。以上だ」


 エレナは検量を終えた袋の番号を控えた。証拠として残す荷と、街へ回す荷。その区別がつけば、輸送の案を出せる。


 ヨハンが足早に倉庫を出て行くのを見送った後、エドガーはエレナを見下ろした。


「取引の組み替えは再建官の職務だ。調査で判明した関与範囲は通知する。それを踏まえて案を出してくれ」


 エレナは背筋を伸ばし、力強く頷いた。


「はい。請求書の照合で違反が確定した契約は、解除手続きを取ります。不正に関与していない御者や荷役員は、別の適正な契約のもとで雇用し、冬へ向けた備蓄輸送に組み込みます。これまでの事実関係と、今後の対策案を文書化します」


「よろしい。報告書が上がり次第、確認しよう」


 エレナは帳簿を強く抱きしめた。


 解決すべき課題は山積みだが、視界は驚くほどクリアだった。自分が考え、自分が決め、自分の責任で現実を動かしていく。


 エレナは、領の帳簿係であるミナたち現場の人間と協力し、最初の報告書を作成するための準備へと取り掛かった。

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