第27話 同じ商会、違う領地
深夜の執務室。ストーブの中で薪がパチパチと爆ぜる音だけが響いていた。
エレナの机の上には、エドガーが持ち込んだ分厚い他領の監査資料が広げられている。利益相反による接触制限が解除されたことで、二人は再び同じ空間で、それぞれの職務に向き合っていた。
エレナの視線は、数枚の帳簿の写しの間を凄まじい速度で往復していた。
「……信じられない」
やがてエレナは、羽ペンを取り落とし、震える息を吐き出した。
「エドガー様。この西部の鉱山領と、南部の穀倉地帯の過去三年分のデータ……。私がロズフェルド領で目にしたものと、全く同じ動きをしています」
「気づいたか」
向かいの机で書類を読んでいたエドガーが、静かに顔を上げた。
「どの領地も、冬や雨季の直前になると、不自然なほど急激に在庫が枯渇しています。現場の需要予測を意図的に無視し、買い付けを遅らせているとしか思えない数字の動きです。そして、領民が飢えそうになるギリギリのタイミングで、国庫庁に『緊急補助金』を申請している」
エレナは、三つの領地の決裁書を並べた。
「そして、下りた緊急予算を使って、相場よりわずかに高い『適正に見せかけた価格』で一括の輸送契約を結んでいる。……そのすべてを落札しているのが、ダストワール商会や、ハルベルク侯爵家と繋がりの深い特定の商会群です」
「ああ。意図的に危機を演出し、地方の赤字を国庫からの緊急予算で穴埋めさせる。その予算を、大商会とそれに連なる貴族たちが適法を装って山分けする。……国を食い物にする、巨大な談合網だ」
エドガーの言葉に、エレナは背筋が凍るのを感じた。
セドリックが、婚約期間中に「私が王都の夜会で大口の資金を引っ張ってきた」と威張っていた姿が脳裏に蘇る。資金調達の腕があったことと、不透明な資金に関わったかどうかは別だ。どの契約にどこまで関与したのか、署名を追わなければならない。
「そして、このすべての緊急申請の最終承認欄に……ラウル次官の署名がある」
エレナの指先が、それぞれの決裁書の末尾に押された重厚な署名をなぞった。
国庫庁次官、ラウル・ヴァンデル。
彼が先日、ロズフェルド領からの追加補助金申請をすんなりと通したのは、この巨大な談合網の仕組みの中にロズフェルドを再び組み込み、ダストワール商会に独占させようとしたからだ。
しかし、エレナは入札条件を透明化し、地元の商人たちに分割受注させることで、彼らの集金システムをロズフェルド領から弾き出してしまった。
「彼らが私に監査の圧力をかけ、引きずり下ろそうとした理由がよく分かりました。私は、彼らの『お財布』の一つを壊してしまったのですね」
「そういうことだ。君は今、王都の巨大な利権の虎の尾を踏んでいる」
エドガーが警告するように低い声を出した。これ以上踏み込めば、一介の再建官では済まされない危険が伴う。だが、彼は「ここから先は私が引き受ける」とエレナから仕事を取り上げるような真似はしなかった。
視察の予告から三日後の午後。
その虎が、王都から直接ロズフェルド領へと姿を現した。
「国庫庁次官、ラウル・ヴァンデルである。特別監査を終えた領地の財政状況を、直接視察に参った」
領主館の広間に響いた声は、重く、底知れない威圧感を孕んでいた。
銀色の髪を綺麗に撫でつけ、仕立ての良い豪奢なコートを羽織った四十代半ばの男。彼こそが、旧体制の権化であり、巨大な談合網の要とされるラウル次官だった。
出迎えたマルグリットが緊張で言葉を失う中、エレナは真っ直ぐに彼の前へと進み出た。
「お初にお目にかかります。ロズフェルド領再建官、エレナ・ヴァレントです」
「ほう。貴女が、かのハルベルク侯爵家を騒がせ、当庁の予算を自らの名義で引き出したという令嬢ですか」
ラウルの視線が、エレナを頭の先から爪先まで冷ややかに値踏みした。彼の後ろには、無言で追従する官僚たちが控えており、さらにその後方には、監査院の制服を着たエドガーが静かに立ってこの対峙を見守っていた。
「先日下された独立監査班の裁定を聞きましたよ。重大な不正はなかったとはいえ、貴女の管理不足による減給処分が下ったそうですね」
「はい。私の至らなさが招いた結果として、謹んでお受けしております」
「至らなさ、ですか。……私はそうは思いません。あれは、貴女が国の秩序を乱した必然の結果です」
ラウルの言葉は、単なる嫌味ではなく、確固たる信念に基づいた響きを持っていた。
「貴女は、現場の平民や下働きの事務官にまで『個人の名前』を与え、決裁の責任を分散させたそうですね。それは一見すると、労働者を尊重する美しい物語に見えるでしょう。ですが、国を統治する上では極めて危険な思想だ」
「危険、ですか」
「そうです。今回のように事業の末端で不正が起きた時、あるいは巨大な損失が出た時、一介の平民や下働きに、どうやってその責任を取らせるというのです? 彼らには国に弁済する財産も、失って困るような社会的信用もない。結局のところ、社会の基盤を支え、損失の補填を担保できるのは、歴史と力を持つ我々『貴族の家』だけなのです」
ラウルの言葉に、エレナは彼の思想の根幹を理解した。
彼は単に私腹を肥やしたいだけの金の亡者ではない。力のある『家』同士が談合し、仕事を回し合い、利益を分け合うことで、万が一の際の責任を家単位で連帯して背負う。それこそが国を安定させるための必要悪であり、正義だと言い切る口調だった。
だからこそ、個人の名前を際立たせ、家名に頼らずに仕事をしようとするエレナの存在が、彼の目には『秩序を壊す異物』として映る。
「……次官殿のお考えは理解いたしました。ですが、私はそうは思いません」
エレナは、国家の重鎮であるラウルに向かって、一切怯むことなく反駁した。
「『家単位の責任』という隠れ蓑があるからこそ、現場で本当に汗を流した実作者の功績が家長に奪われ、見えなくなってしまうのです。そして、失敗が起きても『家全体の問題』として曖昧に処理され、実際に領民が飢えているという『個人の実害』に誰も責任を負わなくなる」
「……」
「私は、自分の名前で仕事をし、自分の名前で失敗の責任を引き受けます。それこそが、誠実な実務だと信じておりますから」
ラウルの顔から、僅かな笑みが完全に消え去った。
彼は冷酷な目でエレナを数秒間見据えた後、ふんと鼻を鳴らした。
「若き再建官の理想論ですね。……その『個人の名前』とやらが、いつまで国庫の重圧に耐えられるか、見せてもらいましょう」
ラウルはそれだけを言い残し、視察団を引き連れて領主館の奥へと歩み去っていった。
嵐のような重圧が過ぎ去り、エレナは小さく息を吐いた。
壁際でそのやり取りを見届けていたエドガーが、静かに歩み寄ってくる。
「……国庫庁次官を相手に、一歩も引かなかったな」
「引くわけにはいきません。彼らが『家』の責任を盾にして作り上げたあの談合網が、地方の領民たちを苦しませているのですから」
エレナはエドガーを見上げ、決意を込めた瞳で告げた。
「エドガー様。彼らの集金網を関与を立証するためには、他領の決裁書類や国庫庁側のデータだけでは不十分です。……これほど大規模で不自然な契約の偏りが、なぜ過去三年間も、監査を通ってきたのか」
「……」
「それを証明するためには、王国監査院自身の『公共契約の監査判断記録』が必要です」
それは、エドガーが属する監査院という巨大組織そのものに、疑いのメスを入れるという宣言だった。彼に対する、明確な『NO』の突きつけでもある。
だが、エドガーは少しも怒らず、ただ静かに、彼女の言葉を受け止めるように深く頷いた。




