第14話 地元商人は信用しない
ロズフェルド領の中心街。普段は荷馬車が行き交う広場に面した商人ギルドの集会所は、重苦しい空気に包まれていた。
集まったのは、領内で細々と運送業を営む親方たちや、中規模の商人など数十名。彼らの前に立つエレナは、北端のアルト村とリューネ村へ向けた「緊急集中輸送」の共同入札に関する説明を行っていた。
だが、彼らの反応は、春先の雪解け水よりも冷たかった。
「……話は分かりましたよ、再建官様」
腕を組んで聞いていた初老の商人が、吐き捨てるように言った。
「王都の大手、ダストワール商会がとんでもない安値で入札に名乗りを上げている。彼らに全区間を独占させないために、我々地元の業者にも共同で入札に参加してほしい……そういうことですな?」
「ええ。あなた方が三、四社で組合を作り、区間を区切って入札に参加してくだされば、ダストワール商会の一社独占を防ぐことができます」
「お断りだね」
商人は鼻で笑い、周囲の親方たちも同調するように深く頷いた。
「我々はね、過去に何度も痛い目を見てるんです。貴族様が急に思い立って『領地を改革する』『地元の商人を育成する』と言い出し、それに乗っかって設備投資をした途端、王都から大商会がやってきてハシゴを外される。結局、一番安く買い叩いてくる大商会に仕事を全部持っていかれ、我々には借金だけが残るんだ」
「そうです! どうせ今回も、ダストワール商会が勝つ出来レースなんでしょう!? 一時的な貴族の道楽に付き合わされて、後で捨てられるのは御免だ!」
次々と上がる怒声と不信感。
彼らの言う通りだった。ダストワール商会の背後には、かつてこの領の物流を食い物にしていたハルベルク侯爵家がいる。商人たちは、エレナもまた同じように自分たちを利用して使い捨てる貴族の一人だと見なしているのだ。
ミナが横で「エレナ様はそんな方じゃありません!」と反論しようとしたが、エレナは手でそれを制した。
集会所の壁際に立ち、無言でこのやり取りを見つめている男がいた。エドガー・レインだ。
彼は監査官として、この入札説明会が適法に行われているかを確認するために同席している。だが、エレナが目を向けると、彼は黙って先を促した。
今この場で、絶対に損をさせないとは言えない。エレナは黒板の前へ向かった。
エレナは壇上の黒板の前に立ち、チョークを手に取った。
そして、流れるような手つきで、いくつかの数字を書き出し始めた。
「……皆さんが私を信用できないのは当然です。ですから、信用しなくて結構です」
ざわめいていた集会所が、エレナの予想外の言葉に一瞬静まり返る。
エレナは黒板を叩き、そこに書かれた数字を指し示した。
「信用ではなく、この数字と事実だけを見て、あなたたちの利益になるかどうかを判断してください。まず、国庫庁から下りた緊急予算の総額は、金貨二万枚です。これ以上は一銭も増えません。そして、私の再建官としての任期は、来年の春まで。期限付きの役職です」
商人たちの間に、どよめきが走った。
交渉の場において、自らの予算の上限と、権限のタイムリミットを明かすなど、愚の骨頂だ。足元を見られるに決まっている。
だが、エレナはさらに言葉を続ける。
「そして、これが公表済みの参考見積りで、ダストワール商会が提示した運賃です。……ええ、あなた方が太刀打ちできないほどの安値です」
黒板に書かれたその数字を見て、商人たちの顔が引きつった。
「こんな安値で……! 奴ら、最初から赤字覚悟で我々を潰しに来てるじゃないか!」
「その通りです。彼らは今年、赤字を出してでもこの領の物流を独占し、私が去った来年の春以降に運賃を跳ね上げるつもりでしょう。……もし私が貴族の道楽でここにいるなら、今年の帳簿さえ黒字になればいいのだから、ダストワール商会にすべて丸投げして『見事なコストカットを達成した』と王都へ帰るでしょうね」
エレナはチョークを置き、商人たちを真っ直ぐに見据えた。
「ですが、私はそれをしません。私の目的は、来年以降もこの領が自走できる仕組みを残して撤退することだからです。だからこそ、皆さんにはこの『分割受注』の枠を取っていただきたい。ダストワールが提示した最安値に合わせる必要はありません。予算の上限は明かしました。この予算の範囲内で、あなた方が無理なく、赤字を出さずに運べる適正価格を提示してください。価格と輸送能力を、公開した同じ基準で審査します。参加するかは、皆さんで決めてください」
それは、過剰な約束でも、権力による強制でもなかった。
ただ、隠すべき不利な情報までをすべて包み隠さず開示し、「自分はこういう条件で動いている人間だ」と事実だけをテーブルの上に並べたのだ。相手から『拒否する権利』を奪わず、彼ら自身の頭で損得を計算し、自発的な選択を促すための、極めて誠実な交渉だった。
壁際のエドガーは口を挟まなかった。エレナが商人たちの返答を待つ間、彼もまた待っていた。
ふと目が合う。いつもの厳しさと少し違う眼差しに、エレナは言いかけた説明を忘れかけた。すぐに黒板へ向き直り、予算の内訳を書き足した。
「……再建官様。あんた、自分の首を絞めるようなことばかり言うんだな」
沈黙を破ったのは、最初に反発していた初老の商人だった。
彼は黒板の数字と、エレナの真剣な瞳を交互に見比べた後、ふっと肩の力を抜いた。
「予算の上限も、任期も分かった。大商会に媚びを売る気がないこともな。……あんたの言う通り、その条件なら、東の三区画だけはうちと隣の商会で組んで適正価格で受けられるかもしれねえ」
「うちもだ。南の峠越えなら、ダストワールより我々の馬の方が確実に早い。適正価格で契約してくれるなら、乗ってもいい」
一人が声を上げたことで、凍りついていた空気が一気に溶け始めた。
商人たちは次々と立ち上がり、地図の前に集まって「どの区間なら自分たちで組めるか」を話し合い始めた。エレナが提示した事実と数字が、彼らの不信感を拭い去り、実務家としての魂に火をつけたのだ。
エレナはほっと息を吐き、ミナと顔を見合わせて小さく微笑んだ。
これで、ダストワール商会の完全独占を防ぎつつ、北端への集中輸送網を構築する目処が立った。
しかし、現場の契約が順調にまとまりかけた矢先。
ロズフェルド領に、王都の監査院本部から一通の急使が到着した。
『国庫補助金を用いた輸送契約に関し、安全策として追加の審査条件を通達する』
エドガーの手に渡ったその通達書は、現場の速度を著しく落とす、官僚的な『横槍』だった。




