第13話 安い契約の高い代償
国庫庁から緊急予算が下りて一週間。ロズフェルド領主館の執務室には、王都や近隣領から集められた運送商会の見積書が山のように積まれていた。
エレナが目指すのは、雪で道が閉ざされる前の『百七日以内』に、北端のアルト村とリューネ村へ冬を越すための大量の麦と薪を一気に運び込む集中輸送網の構築である。
当然、求められる馬車の台数と馬の頭数は桁違いになる。
「……エレナ様。各商会からの見積もりが出揃いました」
集計を終えたミナが、一枚の比較表をエレナの机に置いた。
一番上には、群を抜いて安い金額が記載されている。
「ダストワール商会。……王都でも有数の大手運送業者ね。提示額は他社の相場より三割も安いわ」
「はい。ですが、エレナ様……」
ミナは比較表の端をきつく握りしめ、顔を強張らせていた。
「このダストワール商会、王都の商業登記を調べたところ、大株主として『ハルベルク侯爵家』の資本が深く入り込んでいます。つまり、セドリック様のご実家の息がかかった企業です!」
「……なるほど」
エレナは羽ペンを置き、冷たい数字の羅列を見つめた。
ハルベルク侯爵家。つい先日、行政審判会でエレナの実績を横取りしようとして敗訴し、面子を潰されたばかりの相手だ。彼らが大株主を務める商会が、なぜこのタイミングでロズフェルド領の緊急輸送に、これほどの破格の安値で名乗りを上げてきたのか。
「エレナ様、危険です!」
ミナが身を乗り出して訴える。
「あの侯爵家が、大人しく安い仕事を引き受けるとは思えません。この商会は入札のリストから外すべきです。契約してから途中でわざと輸送を遅らせたり、荷物をダメにされたりしたら、北端の村は一巻の終わりですよ!」
「落ち着いて、ミナ」
エレナは焦る助手を宥めるように、静かな声を出した。
「ダストワール商会が安値で食い込んでくる手口は、私も昔、帳簿で見たことがあるわ。彼らは最初、他社が真似できないほどの不当な安値で仕事を引き受けるの。そうして地元の小規模な商人から仕事を奪って干上がらせた後で、『馬の飼料代が高騰した』などと理由をつけて、翌年から一気に価格を跳ね上げる」
競合がいなくなった地域では、領主は高くても彼らに頼むしかなくなる。過去の独占契約が地域商人を潰した原因であり、それが現在のロズフェルド領の物流が硬直化している遠因でもあった。
「では、やっぱり……!」
「でも、彼らをリストから外すことはしないわ」
「えっ……? どうしてですか!?」
驚くミナに対し、エレナは実務家としての冷徹な視線を向けた。
「提示された価格が最安値であることは紛れもない事実よ。私怨や『過去のやり口が気に入らないから』という理由だけで彼らを不当に排除すれば、それは競争の阻害であり、監査院から不正入札として問われるわ」
そこへ、開け放たれた扉の向こうから、静かな足音が近づいてきた。
エドガーだった。彼は手にした法規集を開きながら、執務室へと足を踏み入れる。
「ヴァレント再建官の言う通りだ」
エドガーはエレナの机の前に立ち、ミナへ向かって淡々と告げた。
「監査院が確認するのは、手続きが適法であるかどうかだ。もし入札の段階で、個人的な恨みや根拠のない疑いによって特定の業者を排除した形跡があれば、国庫補助金を用いた契約として承認することはできない」
「そ、そんな……! でも、もし彼らが途中で裏切ったら……」
「だからこそ、『条件』を整えるのよ」
エレナは立ち上がり、新しく書き上げた入札要綱の書類をエドガーへ提示した。
「ダストワール商会だけを排除するのではなく、すべての業者が同じ土俵で戦うための条件を完全に透明化します。天候による遅延免責の範囲、一日遅れたごとの違約金、積載重量の不足に対するペナルティ、そして何より『区間ごとの入札と、一社あたりの受注上限』です」
「……なるほど。一社への独占契約を禁じ、リスクを分散させるか」
エドガーが書類に目を落とす。
「これなら、ダストワール商会が不当な安値で全区間を独占しようとしても、他の業者が一部の区間だけでも適正価格で競り落とすことが可能になる。もしダストワールが途中で輸送を投げ出しても、予備の輸送枠を使って他の業者へ振り替え、違約金は後から請求することができる」
「はい。重要なのは彼らを排除することではなく、彼らが悪さをできない『競争』を作ることです」
エドガーは受注上限の条項で手を止めた。
「価格だけでなく、一社が止まった場合の代替能力も審査するのだな」
「はい。どの商会にも同じ条件です」
顔を上げた彼と視線が合った。エレナは胸の高鳴りを抑え、最後の頁を差し出した。
「入札要綱の条件は確認した。特定業者への優遇も不当な排除もない。監査院として、この要綱での入札を承認する」
確認印を受け取っても、この条件で業者が集まるかは別の問題だ。エレナは要綱を閉じ、次の説明会の日付を確かめた。
「ありがとうございます、レイン首席監査官」
エレナは深く一礼し、ミナへと振り返った。
「ミナ。この入札要綱を、今日中にロズフェルド領内のすべての運送業者と地域商人たちに手交してちょうだい。ダストワール商会のような大手に対抗するためには、地元の商人たちが共同で入札に参加し、分割受注の枠を取りに来てもらう必要があるわ」
「はい、エレナ様!」
ミナが要綱の束を抱えて駆け出していく。
しかし、エレナの表情は決して明るくはなかった。
机上の理論では完璧な競争入札の要綱ができた。だが、相手は人間だ。
長年、貴族の恣意的な契約や、大商会の不当な価格競争に振り回されてきた地元商人たちが、王都から来たばかりの若い令嬢の「公正な入札」という言葉を、すんなりと信じてくれるだろうか。
「……『どうせハルベルク侯爵家の息がかかった大商会が勝つ出来レースだろう』と、最初から諦められてしまうのが一番怖いわ」
呼びかけへの返答は、なかなか集まらなかった。透明な条件を示しても、地元の商人たちの警戒は解けていない。エレナは返事のない商会の名を確かめた。




