第二十五話 呪言の魔女
ヴィオレッタが小屋の扉を開け、迷わず中に入った。
クラリッサがその後に続いて入る。
「よく連れてきたね」
その声は、呪言の声そのものだった。
小屋の中で古ぼけた椅子に座っていたのは、小さな老婆だった。
「まったく……。一生で一回しか使えない呪言だったのに、歪められてどうなることかと思ったよ……」
「あなたが『魔女』?」
クラリッサが尋ねた。
「『魔女』だって……? ははは。この大魔術師カサンドラをつかまえて『魔女』とはね」
「カサンドラ……? 100年前に悪辣な精神侵蝕魔法で王都に大混乱をもたらし、当時の聖女に封印されたという……やはり『魔女』ではないの」
ヴィオレッタが言った。
「今の世間ではそう扱われているようだわね。まあ、間違ってはいないけれどね。ふふふ」
カサンドラは不敵に笑った。
「あなたの狙いは何なの? なぜ私と会いたかったの?」
「何、簡単なことさ。大魔術師といえど、このとおり、老いには勝てなくてね。ちょうどいい次の『器』を探していたところ、王都で大層評判の公爵令嬢がいるってことじゃないか。これは私の新しい器に相応しいと思ってね。思ったとおり、実物も可愛らしいじゃないか」
「あなた……まさか……クラリッサ様の体を乗っ取ろうというの?」
ヴィオレッタが息も絶え絶えに口を開いた。
「おまえ……まだ呪言に逆らって正気を保っているのか?」
カサンドラがヴィオレッタを見ながら詠唱した。
すると、ヴィオレッタが膝をつき、頭を抱えて倒れた。
「ヴィオレッタ! 大丈夫? ちょっとあなた何をしたの! やめなさい!」
クラリッサがカサンドラに向けて叫んだ。
「どういうからくりで呪言に抵抗したのか知らんが、このカサンドラ様の目の前まで来て、ただの人間風情が何かできるとでも思うのかい? 『大賢者』ですら私の相手にはならないというのに」
「くっ……。こんなくだらない魔法ごときに屈するなんて……。私の心に隙があるというの……? 私の、クラリッサ様への信仰が揺らいでいるはずがない……」
ヴィオレッタは頭に激痛を感じながら呟いていた。
「ああ……。そうだ。私はクラリッサ様に粗相をしてしまったという負い目ができてしまったのね……。クラリッサ様の心の平穏を乱し、魔女の前にまで連れてきてしまった……」
「さあ、うっとうしい娘は放っておいて、さっそくクラリッサの体をいただこうかね」
カサンドラが詠唱を始めた。
「やめなさい……」
ヴィオレッタがカサンドラを止めようと手を伸ばそうとするが、その手が届くことはなかった。
「魂喰い」
「ク、クラリッサ……様……」
ヴィオレッタが絶望の中、クラリッサを仰ぎ見た。
「何?」
クラリッサが不思議そうにカサンドラを見ていた。
カサンドラも首を傾げた。
「あれ? おかしいね。これも何十年もかけて術式を構築した難しい魔法だから詠唱を間違えたかね」
再びカサンドラが詠唱を始める。
「魂喰い」
……何も起こらない。
「発動しない……。なぜだ……?」
カサンドラは慌てていた。
「くそっ! 何か様子がおかしいと思っていたが、クラリッサ、もしや呪言も効いていなかったのか? おまえは自らの意思でここにやってきたのか? まさかあたしは『100年に1人の聖女』を引き当ててしまったのか!」
「クラリッサ様を……『聖女』などという小物と……一緒にしないでくださる?」
ヴィオレッタがなおも苦しそうに言った。
「私は聖女様のように大それた者ではございません」
クラリッサがカサンドラに一歩近づいた。
「聖女でなければどうやって私の『呪言』も『魂喰い』も防いだのだ?」
「あなたの魔法は、人の心の隙に入り込むようだけれど、私にはそのような隙がない、ということではないかしら」
「そんな人間……聖女以外……いや、聖女ですら聖魔法を使わなければ防げないはず……」
「私には、私を慕ってくださる皆のように特別な力はありません。ですが、だからこそ私の友達のことを信じているのです。心の隙などできないくらい」
「友達を信じている? それだけ……?」
「だから、私の友達をいじめる方は許しませんわ」
「そんなことだけで……私の秘術を防いだというのか……?」
カサンドラは後ずさる。
「クラリッサ様……。まさか、私たちがクラリッサ様を信奉する心より、クラリッサ様が私たちを信じる想いのほうが強いということなの……?」
ヴィオレッタまでも信じられない様子だった。
「クラリッサ様……。やはりあなたほどの方はこの地上にはいらっしゃいません。あなたを信奉する者としてこれ以上の誇りはございません」
静かにヴィオレッタが立ち上がった。
その顔に、苦悶の色は微塵も残っていなかった。
けれど、気持ちが高ぶるあまり、ヴィオレッタは目から自然と溢れ出る涙を止めることができなかった。
「私がクラリッサ様を想う気持ちに隙などないはずでした。ですが、申し訳ございません。どこかでクラリッサ様に粗相をしているのではないかと後ろめたい気持ちが、私の心に隙を作ってしまっていたようです」
「ヴィオレッタ……私たちは友達なのだから、後ろめたさなんて感じないでちょうだい。私は迷惑をかけてもらったほうが嬉しいって言ったでしょう?」
クラリッサがヴィオレッタをたしなめるように言った。
「はい、クラリッサ様。あなた様への理解がさらに深まり、私のあなたへの信仰は一段上の段階へと進みました。私は真親衛隊長ヴィオレッタとして昇格したのです。ですから、もう大丈夫です。クラリッサ様、本当にありがとうございます。こんな小物の魔女など、クラリッサ様のお力をお使いいただくまでもございません。あとは私めにお任せください」
ヴィオレッタがカサンドラに歩み寄る。
「な、何をするつもりだ……。く、来るな」
「あなたに、史上最高のお方に仕える真親衛隊長の本物の『呪言』を教えて差し上げますわ」




