第十話 剣聖(後編)
「こんな人もいないところに二人きりになりたいなんて、お兄ちゃんは何だか嬉しいよ」
「お兄様、馬鹿なことを言っていないでしっかりしてくださるかしら。緊急事態なのよ」
ヴィオレッタが言うと、アレクシスの表情が引き締まる。
「ああ、そうだった。で、どこのどいつが俺のヴィオレッタを困らせるのだ」
「まずは『王太子レオンハルト派』の連中よ。レオンハルト元殿下が先日廃嫡になったのは知っているわね?」
「ああ、王太子の名前は知らなかったが、俺のヴィオレッタの親友のクラリッサ様を欺こうという愚行を犯して、俺のヴィオレッタにしてやられて廃嫡に追い込まれたというやつだな?」
「お兄様……。剣聖の称号まで持つ貴族がそんな大きな政治の動向も知らないようでは恥ずかしいわよ」
「しかし……俺はヴィオレッタと、ヴィオレッタと直接接する者以外には何も興味が持てんのだ……」
「まあいいわ。ちゃんと仕事はしてくださいね。
その『王太子レオンハルト派』が逆恨みをして、私の大事なクラリッサ様が率いる王国に叛旗を掲げようとしているの」
「ほう、現王国は、国王陛下ではなく、クラリッサ様が統治されているのか。さすがヴィオレッタの親友だな」
「……まあそれでいいわ。概ね合っているから」
「では、その元王太子を斬ればいいのだな?」
「違います。レオンハルト元殿下も斬りたいけれど、もう投獄されているから、今は対応する必要はないの。
それよりも、『王太子レオンハルト派』は王宮の中枢にいる者が多いから、近衛騎士団たちを操ってくる可能性があるわね」
「近衛騎士団など多くても数百人くらいしかいないだろう? 俺ひとりでも楽勝だ」
「そうでしょうね。でも敵は彼らだけではないの。レオンハルト元殿下は、元聖女リュシアと聖教会ともつながっているようで、聖教会も真の聖女ともいうべきクラリッサ様を排除するために襲撃に加担すると考えられるわ」
「聖教会ということは、聖教会騎士団が動くということか?」
「そうなるでしょうね」
「ふむ。やつらを蹴散らすのもわけはない」
「蹴散らすのはわけないかもしれないけれど、クラリッサ様を守らないといけないの。敵の数は膨大になるから、一人でも討ち漏らして、クラリッサ様に何かあったら、私はもう二度とお兄様と口をきかない。……いえ、縁を切るわ」
「何だと!?」
アレクシスの顔がみるみる青くなっていく。
「敵はまだいるのよ。甘い汁を吸おうとする悪逆貴族が、クラリッサ様を捕まえて、王家や聖教会に言うことを聞かせようとしているの。おそらく私兵か闇ギルドを使うのではないかしら」
「もはや戦争ではないか……」
「そう。戦争だと思ってちょうだい」
剣聖アレクシスは思案するように黙り込んだ。妹との絶縁を死んでも避けようと必死な様子だった。
ヴィオレッタはそのように考え込む兄を久しぶりに見た気がした。
やがてアレクシスが口を開いた。
「概ね理解した。つまり、『王太子レオンハルト派』と聖教会と悪逆貴族が、俺のヴィオレッタの大親友のクラリッサ様を襲って、俺のヴィオレッタを悲しませようとしているということだな。つまり、クラリッサ様を守ってそいつらを一掃すればよいと」
いちいち「俺の」ヴィオレッタと連呼する兄が鬱陶しかったが、目的を果たすためなら我慢しよう、とヴィオレッタは思った。
「王国などどうでもいいのだが、ヴィオレッタを悲しませるやつは何人たりとも許さん。お兄ちゃんに任せておきなさい」
「本当に大丈夫なの? 失敗は絶対に許さないわよ」
アレクシスは大きく頷く。
「わかっている。
とはいえ、王国でも有数の大きな戦力が動いているとなると、俺ひとりでは手が回らないかもしれない。……借りを作るのは癪だが、知り合いに手を借りるとする。いや、待て。逆に貸しを作れるのでは……」
アレクシスはヴィオレッタをまっすぐ見た。
「大丈夫だ。絶対に抜かることはない。お兄ちゃんを信じなさい」
アレクシスは剣聖らしい鋭い眼光を見せていた。




