第六話 運命の分かれ道 ③
私は、人だかりを軽やかに潜り抜け、ロランの背を目指した。そして……
「ご機嫌麗しゅう」
「……ローズ、来たのか」
このご夫婦と一緒に談笑していたロランの隣に、笑みを浮かべながら挨拶をした。来たのか、と言うけれど……これを待っていた、と言いたいところではある。だって、この可憐なご夫人は……
「お初にお目にかかります、ローズ・アルベールでございます」
「まだ婚約はしていないのですが、約束している仲なのです」
「……そうでしたか」
仲睦まじいご夫婦とよく言われているこのお二人。だが、ふたを開けてみれば……
「あら? もしかしてご夫人、その香水はあのバラニエブランドのものでしょうか?」
「あら、よく分かったわね。これは特別に調合したものなのに」
「やっぱり! 実は、バラニエブランドの香水を愛用していらっしゃる方がいましたので、覚えてしまいましたの」
私のこの一言で気が付くはずだ。その方は、数日前のパーティーで王太子に婚約破棄を言い渡されたご令嬢、メルリアナ・オーシャインだと。
このバラニエブランドの香水は、小説でも出てくる。
そのエピソードは、学園時代での事。メルリアナ嬢がカロリーヌにバラニエブランドの香水を自慢したのが始まりだ。彼女は男爵家であるから金銭的に高級ブランドに手を出すことが出来ないからと貧乏扱いをしたのだ。
そんな時に王太子がその香水をプレゼントをしてしまったがために、それを聞きつけたメルリアナが激怒しその香水をカロリーヌに投げつけてしまった。もちろん、香水なのだから強い匂いが制服についてしまう。
メルリアナ嬢はいい気味ねと見捨てるのだが、王太子がそれに気が付きメルリアナ嬢を謹慎処分させたというもの。これは、社交界でも有名な話だ。
「……そういえば、ロランさんも使っていらしたわよね?」
「えっ……」
そんな、私の一言で3人は私に視線を向けた。
「今日は違うけれど、馬車の中がほのかにラベンダーの香りがしました。あぁそう……――今、ご夫人が付けていらっしゃるこの香りに似ていらっしゃいますね?」
ご夫人の付けていらっしゃるものは特別に調合してもらったもの。それなのに、ロランと私が乗った馬車にその匂いが付いていた。
さて、それはどういうことなのだろうか。
「……勘違いなんじゃないか? そんな匂い、した覚えはないけれど。それに、僕はそんな香水を持っていない」
「確かに……でも甘い香りではありましたよね? ロランさん、甘い香りって好きでしたっけ?」
この社交界では、甘い香水を男性が付ける事は恥ずかしい事。この言葉は、ロランを侮辱しているも同然だ。
彼は、私に鋭い視線を突き刺してくる。そして、私の左手首を掴み、力を入れてきた。黙れ、とでも言いたげだ。
けれど、ここで終わりにさせるつもりは毛頭ない。
「と、いう事は……昼間、誰かに馬車をお貸しになったのかしら」
上位の貴族達は、馬車を本人が使用する以外に使ってはいけない。誰かを馬車に乗せるためには、本人も乗らなければ使用出来ないという事。
そして今回、私はロランの馬車で来た。という事は……
「……全て勘違いだ」
「あら、焦ってしまってどうなさいました? これでは、何かを隠しているとでも言っているようですわね」
「ローズっ」
「お声を大きくしては、周りの方々のご迷惑になりますよ。侯爵家の子息であるのであれば、それくらいのマナーは分かりますでしょう?」
「っ……ローズ、話をしよう」
「話、ですか。でしたらまずは、〝これ〟の説明からしましょうか」
これ、とは……私のドレスのポケットから出した、透明で小さな袋。中身を出すと……紫色の長い髪が出てきた。それをロランの目の前に出してあげると、ロランの顔色が変わった。そして、ご夫人まで。
紫色の長髪。ご夫人の髪と、そっくりな髪色だ。
「これ、どこにあったと思いますか?」
もちろん、馬車の中だ。言わずとも、三人はもちろん、こちらを見ていた他の招待客もすぐに分かる。
ご夫人の髪は世にも珍しい紫色の髪なのだから、彼女が馬車に乗った事は明らかだと誰でも分かる。
婚約破棄事件後にロランが縁談でこちらに来た際、私の世話係のメイドにお金を握らせ協力してもらい、同じくロランの乗ってきた馬車の御者にお金を握らせ紫色の長髪を極秘に見つけて渡してくれとメイド伝いでお願いした。
そして、手に入れた髪をこうして持ってきた。
夫人はいつも髪を結んでいるため、解かなければ長い髪は落ちない。夫人は髪飾りをつけて留めているため幾つも外さなければ解けず、そして後頭部に結んでいるため……もしどこかに寄りかかったり上半身を椅子に倒せば首が痛くなる。長い間その体勢でいるのであれば、外した方がいい。
そして、髪が落ちるほど長く馬車に乗っていたか、短い時間で、髪が落ちるほどの〝何か〟をしていたか。いや、これは分かりやすいわね。
まっ、そこは深く追求するつもりはないわ。そもそも、ロランに気なんて微塵もないわけだし。
「待った」
その声の主は、ご夫人の旦那様である伯爵。
彼は、ロランを睨みつけていた。そして、鋭い槍のような視線を夫人に一度向けると、夫人は顔をこわばらせていた。
「その話には、私と妻を交えた方がよさそうだ」
伯爵のこの様子だと……身に覚えがありそうね。対するご夫人は……顔面蒼白。認めたも同然ね。
「えぇ、そのようですわね。ですが、あと3人」
「っ……」
ロラン、貴方分かりやすいわよ。肩、分かりやすいくらいに上げてるじゃない。しかも、その表情まで。
「アンヌ嬢」
「っ……」
「クローディーヌ嬢」
「っ……」
「エルミーナ嬢」
一人一人の名前を出すたび、ロランの顔色が青くなってくる。
「ここにはいらっしゃらないようなので、後日、という事になりましょう。何故その三人が関わっていらっしゃるのか、ロランさんはよく分かっていらっしゃるのでは?」
その三人は、ロランの愛人。まさかそこのご夫人含め4股しているだなんて、実に気持ち悪い男ね。小説での国外追放の際にこの4人の名前が出てくるのだけれど、覚えておいてよかったわ。
いつから、かは詳しくは書かれていなかったけれど結婚する前からという事は分かっていたから上手くいってよかったわ。
「ローズ……お前……」
怒りで体をわなわなと震わせ、手を強く握りしめて私を睨みつけてきた。黙れ、と言いたいのだろうけれど……貴方にお前と言われる筋合いなんて微塵もない。
「縁談はなかったことにしてください」
「いやっだがっ!」
「こんなだらしない方に、我が家を任せるようなことをするとお思いですか?」
「待ってくれっ! これは誤解だっ!」
「見苦しいですよ。もうすでに侯爵家に泥を塗ったというのに、まだ塗る気ですか」
「――そこまで」
そんな言い合いを止めたのは、このパーティーの主催者であるリトナ夫人。彼女は、私達四人と離れていた参加者達の中から出てきて、冷ややかな鋭い視線を向けてくる。
「騒ぎを起こされては困るわ、よそでやってちょうだい」
そうよね。ここまで騒いでしまっては主催者が怒るのも当然の事。
しかも、この内容は社交界にさえ泥を塗る事になってしまうのだから。余計彼女の怒りを買ってしまう。
「ベルナール子息、さっさと帰ってちょうだい」
「え……」
「目障りだわ。貴方もよ、夫人。上位貴族の夫人ともあろう貴方が不倫など、貴族の誇りどころか人としての尊厳も全くないだなんてあり得ないわ」
さすが、社交界を仕切っていたリトナ夫人だわ。その鋭すぎる視線は刺さりたくない。
「伯爵、上位貴族の伯爵位を持つお方が、人を見る目を持ち合わせていないなどあってはならない事。さっさと連れて行ってくださらない?」
「全くもってその通り。私も反省しております。この件に関しての処理は速やかに対処いたしましょう」
「えぇ」
けれど、改めて思った。リトナ夫人の、社交界での影響力の重さがよく分かった。この人に逆らってはいけない、敵に回してはいけない、と。
周りの招待客達の様子に、伯爵のリトナ夫人に対する態度。それだけで、分かる。
「ローズ嬢も、今日のところはお帰りなさい。馬車は用意してあげるわ」
「えっ……」
私はロランの馬車でここに来たようだから、というお気遣い、ということ? パーティーなどでのお客専用の馬車は普通用意されている。けれど、まさか今日初めてお会いした下位貴族の令嬢に貸してくださるとは思わなかったわ。
今回、ロランを連れてきたのは私。そして最初からこのパーティーで騒ぎを起こすと決めていて参加した。それは分かり切っている事なのに。
果たして、リトナ夫人はどう認識しただろうか。




