第三十三話 岐路の晩餐 ⑤
ようやく全員お帰りになられた事を確認すると、安堵のため息を吐けた。……が。
「煩いやつらは全員帰ったな」
「……」
いきなりディオンのその一言を聞いた瞬間、まるで恐ろしい悪魔からの呪いを受けているかのような寒気を感じた。
私に向けてくる笑顔が……怖い。
腕を掴まれ、引きずられるかのようにして玄関から中に戻った。
一体何を言われるだろうかと思っていたけれど、意外にも何も言わなかった。今日は疲れたから晩餐会後の仕事は全て明日に回すことにして、凝った肩をアレットに解してもらいつつも湯浴みをした。
はぁ……上位階級の皆さん達との食事だからだいぶ緊張したわね。お父様達の事もあったけれど、一番は隣に座っていたディオンの圧を感じながらの食事だったからかしら。
全く……もとはといえばカロリーヌがここに来訪してきたのが悪いのよ。まぁ、来訪を許可した私も悪いかもしれないけれども。
はぁ、と内心深いため息を吐きつつも寝室に向かった。の、だが……
「やっと来たか」
「……それは?」
「ローズと飲み直そうと思ってな」
ソファーの前のローテーブルには、ワインと小さなお菓子が並べられている。煩いやつらと言っていたから静かに飲みたいのでしょうね。
今はディオンの機嫌が悪いのだからこれは付き合ってあげないと後が面倒ね。内心また深いため息を吐きつつも隣に座った。
「開けてみるか?」
「……はい」
結婚式後の初夜の時、私がワインのボトルを開けるのが苦手と言ったはずなのだけど。練習してみろ、という事かしら?
ディオンから渡された器具を受け取り、テーブルの目の前に置かれたワインボトルに手を添える。
これ、もしかして私が晩餐会のために用意した高級ワインと違う? でも、ウェルディエ・ワインズのワインだけど……とボトルのラベルを見てみると、絶句した。
こんな年代物を、開けてしまうの……? ワインを選ぶ時にワイナリーを訪れてワインを見せてもらったけれど、ここまでの年代物は選ばなかった。さすがにここまではやりすぎだろうと思ったから。
そんなワインを、今飲むの……?
「どうした?」
「……いえ」
何事もなかったかのような平常心で、ワインボトルの細い部分を掴んだ。見なかった事にしよう。きっと、このワインはとっても美味しいからディオンが用意してくれたのだと思う。この人はワインに目がないようだし。
そう自分に言い聞かせ、ワインボトルのキャップシールを器具で外した。そして、ふと初夜の事を思い出しディオンに視線を送りつつコルク部分を向ける。
彼は、クスクス笑いながらもワインボトルを受け取り観察し出した。うん、毒は入っていないようでよかったわ。
毒のチェックをするのは当たり前の事よね、うん。
また受け取ると、ナイフで切りこみを入れる。
「ローズ」
「あ……」
左側に座っている彼は、間違っていたのかストップをかけた。そして、私のボトルを握る左手が彼の左手で握られ、器具を握る右手を、背中から回ってきた彼の右手が握った。
ずいっと彼の顔が近づいてくる。だいぶ近いから、ちょっと恥ずかしく思ってしまう。
「ここだ」
「ここ……」
「そう、そのまま……」
彼は右手を離し、近くでこう動かすと教えてくれる。ナイフに気を付けろと言われつつも、こう? とマネするようにして手を動かすと……取れた!
すごい、綺麗に取れた。とキャップとボトルの口を見ていると、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
……笑わないでもらってもよろしいでしょうか。これは仕方ない、いつも綺麗に取れなくて苦戦するのだから。そう思いつつも、無事に取れたキャップシールをテーブルに置いた。
そして、最難関のコルク抜き。ここでも私はいつも苦戦する。……コルクが思った以上に硬いのが悪い。
「斜めに、まずは刺す」
やった事はあるけれど、なかなか奥までスクリューを刺せなかった。これで、いけるかしら?
よし、回せ。と指示されたのでその通りに。けれどやっぱり硬くて、それを見かねたディオンがまた右手を握って手伝ってくれた。そして……
「取れた!」
「ぷっ」
「……いつもここで苦戦するんです」
「だろうな」
「……」
ひどい。力がなくて回せないんです。力任せ、というわけではないんだろうけれども。最初、使用人に教えてもらってやらせてもらったけれど、途中でギブアップしてバトンタッチしたんだから。
「ちゃんと開けられたな。いい子だ」
そう言いつつもいきなりキスをしてきた。子供扱いですか。歳としては19歳と30歳で離れているけれども、子供という年ではないはずよね。
「ローズが苦労して開けたワインなんだ。さぞかし美味いだろうな」
「……かの有名なウェルディエ・ワインズの年代物ですから」
「ククッ、あぁ、そうだな」
いや、笑わないでよ。
でも、この様子じゃもう機嫌は直ったかしら? それなら別にいいんだけど。と思いつつ顔色を窺うと、気付かれて微笑を返してきた。
さっきの事もあって、ちょっと顔が火照りそうになっている。落ち着け私。
悟られないよう気を付けつつ乾杯し、一口飲むと……うん、美味しい。さっきまでいくつもワインを飲んだけれど、これはまた違う味だ。ここまで熟成されたワインはこういう味がするのね。ちょっと気に入ったかも。
「私、知りませんでした。ディオンがワイナリーにあんなに投資してたなんて」
「資産が有り余っていたからな。埃を被らせるより使った方がいい」
「なるほど……」
確かに、この家の財産は底知れぬほどだ。王室は本来税金で運営している。ディオンの場合、本人が「そんなものいらんわ」と言ったらしく全く受け取っていない。領地があるわけでもないから、今は所持する鉱山やワイナリーで運営している状態。
けれど、それだけでは5兆ソルも用意出来るのだろうかと疑問が生まれる。でも、それは今の私は聞かないほうがいいと思う。本能的に、そう思った。
とにかく、これだけお金があるのだから取っておくより誰かに使ってもらった方がいい。そのおかげで今、国民達にワインを楽しんでもらえているのだから。これぞまさしく社会貢献よね。
でも、こんな性格のディオンからしたら驚くどころの騒ぎじゃない。まぁ、動機が美味しいワインが飲みたかったから、という我儘だけれど。それを知らない人達からしたら、仰天するほどね。今日の晩餐会だって招待客達の驚きようは忘れられないわ。
「ローズ」
「え?」
そう呼ばれてディオンの方に振り向くと、目の前にとあるものが出された。これは、チョコレート? 一口サイズの小さなチョコレート菓子だ。
「昼間のチョコレートケーキは、美味しかったか?」
「……赤ワインが、入ってました」
「で?」
「……ちゃんと、チョコレート味でした」
ここで、美味しかったですと言ってもいいものかと恐ろしくなり、そうとしか言えなかった。ディオンの笑顔が、恐ろしく感じるのは私の勘違いかしら。
「まさか、私の妻が自分を馬鹿にしてくるクソガキの作ったケーキを食べるほどの馬鹿だったとは思いもしなかった。だから……仕置きだ」
「え……」
し、仕置き……?
というか、クソガキだなんて、言いすぎでは……? と、思っていた時に気が付いた。この、目の前に出されたチョコレート菓子……もしかして、ボンボンショコラ、では?
……お酒、たっぷりの。
今の私は、晩餐会とさっきのお酒1杯でだいぶアルコールが入っている。そのうえで、このボンボンショコラを食べると、だいぶ危ないのでは……?
「あの、ですね、ディオン。その、さすがに殿方の目の前で酔ってしまうのは、淑女として、失格だと……」
「それがなんだ?」
この前のお茶会でのことを思い出してみたけれど……リトナ夫人、大公殿下には常識など全く効かないようです。知ってはいたけれど。
眩しすぎるほどの満面の笑みを向けられるけれど……恐ろしい。悪魔かこの方は。
私はお酒はそこまで強い方じゃない。けれど、ディオンは仕置きと言っていたから、これ、もしかしてだいぶアルコールが入っているのでは……?
「じ、自分の奥方を酔わせるなんて、どうなんでしょう……?」
「時には仕置きも必要だろう? このチョコレートで観念してやると言っているのだから、素直に受け入れた方がいいと私は思うぞ。私がしびれを切らす前に」
チョコレート以上のお仕置きを考えている、という事でしょうか、それは。
もしそうなら、このチョコレートで勘弁してもらった方が賢明なのでは?
意を決して、口を開けた。手で受け取ろうとも思ったけれど、そのまま食えと顔に書いてあったから仕方ない。
甘いチョコレートの味と……強いアルコールが口の中に広がった。これ、ちょっと強めのアルコール……?
「さ、ローズ。周りを甘やかすなと言った事、守れるな?」
耳にささやく呪いの呪文に、恐ろしさを感じつつもコクコクと頷く。甘やかすな、という事は遠慮をするな、という事……?
よし、いい子だ。そう言いつつも頭をなでたまではよかった。もう一つ、同じボンボンショコラを目の前に出されるまでは。
「……もう、お腹いっぱい、です」
「ん?」
「……」
「どうした、ローズ? お前は甘いものは好きだろう?」
「……」
あぁ、もうこれはダメだ。腹を括ろう。
半分諦め、そのボンボンショコラを悪魔から貰い受けた。口の中いっぱいにチョコレートとアルコールを感じながら、意識を手放したのだった。
「お前は可愛いな、ローズ」
最後に、そんな一言が聞こえたような、聞こえなかったような。けれど、意識が重くて確認が出来なかった。
多分、聞き間違いだと思う。




