第十九話 仮面を被った猛獣 ②
結婚式後の初夜。夫婦が使う寝室では、今、不穏な空気が流れていた。
ミラージス侯爵とラモシス伯爵、どちらを見ていた、ですって……?
「私達は夫婦だ。この際だから夫婦間の隠し事など無くしてしまおうではないか」
「っ……」
私を組み敷く殿下は笑っていらっしゃるけれど……鋭い視線を私に向けてくる。まるで、狩りの獲物にされているかのような気分だ。
ついさっきまでの、楽し気だった殿下とは全く違う。いきなりの豹変に戸惑ってしまったけれど、思い出せ。
殿下と初めてお会いした時に感じた、あの冷たさと重圧を。
もしかして、ついさっきまでの方が異常だったのではないだろうか。殿下はこういう人なんだと勝手に理解してしまった私は、ずっと油断していたという事。
背筋が、凍りついた。
「お前はあの時、3人を見た。一人目はオーシャイン公爵夫人。二人目はリトナ侯爵夫人、そして三人目は先ほど出した候補のうちのどちらか。違うか?」
「っ……」
「オーシャインの娘が婚約破棄となり、周りは騒然としていた。令嬢達は身の危険を感じたことだろう。だが、お前はそれよりも周りが気になったのではないか?」
その日、私はちょうど前世を思い出していた。前世で読んだ、ロマンス小説の物語を。身の危険は感じていたけれど、自分の人生を変えたいという気持ちから、今の状況を把握するために周りを見ていた。
「あの娘が婚約破棄を言い渡された時、お前はオーシャイン公爵夫人を探したな。娘が公爵と共に退場したのだから彼女の事も気になったのだろう? まぁ、ちょうど静かに裏から退場するところだったがな」
「……」
「次に見たリトナ侯爵夫人は、今は亡き王妃と懇意にしていた。こんな馬鹿げた王太子の行動に彼女はどんな反応をするか気になった。そして、三人目だ」
「……」
「さ、どっちだ?」
大公殿下は、あの会場にいて、ずっと私を見ていた。そういう、事になる。全然気付かなかった。そもそも、殿下がいらっしゃることすら気付かなかった。
けれど、あの場で前世を思い出していたのだから、余裕がなかったのも事実。これから待ち受けている未来にどう立ち向かえばいいのか、そして、今起こっている状況を把握するのに必死だった。
余裕がなかった、という事。こんな事になるなら、周りに合わせていればよかった。
いや、ここまで見られていたのだからあの場で周りに合わせていたとしてもバレていたのかもしれない。一体どこにいたのかは分からないけれど、ここまでバレているのだから。
「……ラモシス伯爵、です」
「ほぉ……で?」
「あの方は、王太子派であっても、王族のあり方や、決まり事、しきたりを重んじる方なので……今回の事をどう思っていらっしゃるか、気になりました……」
本当は、違う。
私が見ていたのは……――ミラージス侯爵だ。
彼は、この小説のヒロインであるカロリーヌの……
「ラモシス伯爵か。確かに彼は古臭い考えに執着する頭のお堅いやつだったな」
殿下が私を見ていたとなるとつじつまが合う。前から、どうして殿下がリトナ夫人のパーティーに来ていたのか気になっていた。彼は全く表に出てこない人だから。
リトナ夫人主催パーティーの会場でだいぶ目立ってしまい、そのまま帰りの馬車を用意してもらい玄関に向かい、ロランと揉めた。という事は、その時も私をずっと見ていた事になる。
じゃあ、私ってずっと目を付けられていた……?
さっき、これが本番だとか言っていたけれど……何が目的でこの結婚をもちかけたのかしら。
そういえば、あのカロリーヌとのお茶会で、殿下もいらっしゃった。お茶会が始まって少し後にいらっしゃったけれど……もし、ミラージス侯爵とお会いしたところを、見られていたとしたら……?
平然を装っていたけれど、ここまで鋭い殿下があの場にいたのなら……
「……殿下、何故、私に、釣書を送ったのですか……? もしこの件を聞きたかったのであれば、結婚せずともよかったのではないですか……?」
殿下は王族、私は子爵令嬢。身分を使えば聞き出す事は簡単だったはず。なら、何故?
「ん? 自分を好いてくれた魅力的な令嬢なのだから自分の手で幸せにしてやりたい、と思っただけだが?」
前にも言ったはずだぞ? と言われたけれど……そうじゃない。確かにお父様達にそう言っていたけれど、あれはただの芝居だし、彼もそれは十分に分かっている。
なら、本当の事は言わないつもり、という事。さっき、自分で夫婦間の隠し事は無くしてしまおうとそちらが言ってきたはずなのに。
と言っても、私が前世を覚えていてこの世界が小説の中で、この先の将来を全て知っているという事は言えない。だから、これは口が裂けても伝えるつもりは毛頭ない。
「それより、そろそろ殿下をやめてもらおうか。夫婦なんだ、そんなものはいらないだろ」
話を逸らした、という事は聞いても教えてもらえないという事ね。
完全に、私がやらかした。
「……ディオン様」
「夫に様を使うのか」
「……ディオンさん」
「他人行儀だな」
……夫婦であっても私は元子爵令嬢のはずなのですが。この身分でもそう呼んでしまっていいのかしら。
「……ご勘弁ください」
「ダメだ」
その顔……分かっていて言ってるのね。顔に楽しんでると書いてある。
はぁ、これは何を言っても引き下がってくれないという事ね。
「……ディオン」
「あぁ、いい子だ」
そう言って私にキスをしてきた。今といい結婚式といい、いきなりはやめてほしい。結婚式の時だって、二回も必要ないでしょ。
はぁ、先が思いやられる……
先ほど、見ていた人物を答えたけれど……これを答えてどうなるのかしら。一体大公殿下……ディオンは何を考えているのか全くもって理解不能。
あの大勢の中で様子が違う私一人を見つけて、私が見ていた人にも気づいた。それだけ鋭い人なのだから、恐ろしくも感じる。
あんなに人が集まっている場所でよく私が見ていた人物を当てられたわね。
「私の妻は恥ずかしがり屋か」
いえ、違います。絶対に違います。
「……もうこんな時間ですよ、寝ませんか」
「今夜は初夜だぞ?」
「その気がないように見えますが」
「まぁ、その通りだな」
らしい。やっぱりそうね。
「この家の後継者など必要ないからな。一代で潰れても別に構わん。むしろ面倒だ」
「……」
それはそれでどうかと思うけれど。王族であるならば、血を受け継ぐ後継者を産ませる事も使命の一つのはずなのだけれど。
……とはいえ、ディオンのその意見も驚かないけれど。
そう呆れていると、いきなり腕を引っ張り起こされ、抱き上げられた。いきなりの事で近くにあったディオンの首にしがみついていると、何故だかクスクスと笑い声が聞こえた。
……一言欲しかったわ。驚くからやめてほしい。
そのままベッドに降ろされ、少し緊張してしまったけれど……
「どうした、早く入れ」
「……失礼します」
ディオンがめくった布団の中に、静かに潜り込んだ。続けて私の隣に入り込んだディオンに背を向けたけれど、そのまま密着するかのように抱きしめられてしまった。
文句を言いたいところではあったけれど、さっき恥ずかしがり屋かと言われた事を思い出しぐっとこらえた。馬鹿にされるのだけは、嫌だわ。
けれど、思った。
さっき、私がディオンの質問に答えた後、私の質問にちゃんと答えなかった。こんなに観察眼の優れた方なのだから……
私がちゃんと答えなかった事を分かっていて、ちゃんと答えなかったのだとしたら――




