0章 最終話
今日。――今日、俺たちは脱獄する。
無実の罪からの解放、それは俺と正義の願いだから。
「よし、じゃあ君は一番の部屋に行ってくれるかな。鍵を渡してもらえるはずだから、門を開けて待っていてくれ」
淡々と荷物をまとめる正義は、俺に向かって笑う。
「大丈夫。君は逃げられるから」
「なぁ、本当に俺の役割ってそれだけか?」
「うん」
躊躇いもなく頷く彼にため息をつくと、俺は言われた通り部屋を移動する。
一番の部屋を三回ノックすると、穏やかな青年のような声が聞こえてきた。
「はい、どちら様ですか?」
「あー、ええと」
「……もしかして、愚者さん?」
俺が名乗る間もなく言い当てられてしまったので、仕方なく部屋に入る。
一番部屋と呼ばれるそこは、だだっ広くて豪華なものだった。
牢だとは誰も思わないだろうシャンデリアに、額縁に飾られた絵画たちが俺を見る。
「いらっしゃい。お疲れ様ですね」
「……ああ、ありがとう」
看守を名乗る彼は、長い緑色の髪に赤い目をしていた。
「脱獄、ですよね?」
「ああ。やっぱり聞いているのか?」
俺の問いかけに、看守は頷く。
「ええ。正義さんからよく伺っています」
「はい。門の鍵です」
「……ありがとう」
あっさりとした彼に渡された鍵を、大事にポケットに入れる。
「貴方は看守役のはず――まぁ、この監獄にいるのは貴方たち二人だけですが、そのまま見回りを装って出ることですね」
「助かるよ」
不自然なほどに明るいその部屋に、一人腰掛ける看守。彼をもう一度振り返ると、俺にこんな言葉が投げかけられた。
「まさか生き返るなんて驚きましたよ、愚者さん」
「……誰が?」
冷や汗が背中を伝う。
「ああ、本人が知りませんでしたか――貴方は三日ほど前、殺されたんですよ」
「は?」
そんなはずはなかった。
……俺が、意識を取り戻したその日に?
「それにしても、殺人容疑のかかっている正義さんと脱獄。思い切りましたね」
「……どういう、ことだ」
全く理解ができないその空間から離れたくて、俺は早足になる。
「くれぐれも気をつけることです。あの人はきっと貴方を殺しましたよ」
「……知らない」
廊下を一歩進むにつれて、肩が重くなっていく。
俺が、一度死んだ?
あんな胡散臭い看守の言うことを信じるな、と言い聞かせるが、奴の言葉がどうしても頭をよぎる。
やっぱり、正義は何かを隠している。
門までは少し距離があったが、見張りの目は一つも見当たらない。
俺の乾いた足音だけが響いて、気がついたら俺一人外に出ていた。
――こんなにあっけなくていいのか?
外から見たロタート監獄はひたすら大きい城だった。
城壁が張り巡らされ、誰も入れないし出られないように見える。
「……とりあえず、待つか」
見張りのいない門、そして看守の妙な態度。
嫌な予感を隠すように、俺はひたすら正義を待った。
「――愚者!」
後ろから聞こえるその声に、俺はぱっと振り返る。
「正――」
最後まで彼の名前を呼ぶことができず、俺はただ目を見開いた。
正義の隣に立っている男が――あの独裁者だった。
「愚者、ごめん、僕は――」
俯いた正義の言葉を、奴が遮る。
「さ、愚者。お前が逃げることは許してやる」
「ツミ――なんで、お前」
「さあね。正義くんはお前を殺したんだ。それは記憶にもあるはずなんだけど」
「――っ」
あの、夢の話か。
「正義、俺を殺したなんて嘘だよな?」
「……ごめん」
彼の言葉に、俺の指先は震え出す。
「正義――正義!」
「お遊戯はここまでだよ、囚人たち。……そこの愚者は早く逃げろよ」
舌打ちとともにツミが俺を見る。
「逃げて――愚者」
正義の弱々しい声に、俺は必死で声を枯らす。
「お前までそんなこと言うな!」
「うるっさいなぁ」
ツミが俺を睨みつけ、指を鳴らす。
その一瞬で――門は音を立てて閉まった。
「――は」
正義?と声をかけても、それが閉じた門に跳ね返されるだけ。
「――正義!」
「……約束だよ、愚者」
耳を塞ぎたくなるような音と共に、苦しそうな彼の声がした。
何かが飛び散るような音。滴るような音。
俺は門の扉を叩く。
「――君は、死を選ばない、いいかい」
そして、気づいた。
――俺を殺したのが正義だったとして。
――俺を蘇生したのも、お前だ。
「正義っ――」
「……っぁ」
そのあと、何の声もしなくなった。
俺は剣で扉を殴る。
何も聞こえなくても、何も届かなくても。
そして。
――無罪。
「それ」が突然頭に鳴り響いた。
あまりの鮮烈な響きに、耳が裂けそうになる。
「……なん……」
痛い、うるさい。
――「世界からの釈放」。
「……は、そんなもの、いらない」
天啓なんていらない、と繰り返す。
人を信じきれなかった俺は、助けられなかった俺は無罪じゃない。俺は、俺は。
俺は、声が枯れても叫ぶことしかできなかった。
*
ねえ、愚者。
君は、何かを後悔したことはありますか。それに苦しめられたり、自らの存在価値を疑ったり、寧ろ死んだ方がいいとか、何もできないとか思ったことはありますか。
僭越ながら僕から言わせてください。
それでも僕らは戦い続けないといけないんだと。
約束だよ。この問いに、この罪に、「絶望」以外の答えが見つかるまで――僕も君も死を選ばない。
――ロタートの罪状 零章 完結




