0章 第4話
「――ん」
俺がいるのは、柔らかい布団の上みたいだった。
妙な冷や汗と異物感、さらには心臓の痛み――それが気味悪くて、何度も何度も寝返りをうつ。
「……起きた?」
心配そうな声が真上から降ってきて、俺はようやく起き上がる。
「ぁ、正義か」
その声を認識すると同時に、安心してまた眠くなる。
「なんか痛い気がする……ねむ……」
「とりあえず無事でよかった、愚者。一週間も目を覚まさなかったんだから」
その言葉が、電流みたいに俺を貫く。
「は?一週間……?」
「そうだよ。ひやひやしながら待ってたんだ」
正義の声がどこか遠い。なんだろう――なんだろう、本心じゃないみたいな声だ。
布団を体から引きはがし、がば、と起き上がる。
正義は窓際にいて、外の方を見ていた。彼はゆっくりと振り向き、紙を手にこちらに向かってくる。
「さ、脱獄の話の続きをしようか。君が寝てる間に、僕の方で色々用意したんだ。これ」
「……おい」
彼の顔は変わらない。
――出会ったその時と、ちっとも変わらないのに。
「……お前、なんか隠してない?」
やっぱり、正義の顔は変わらなかった――不自然なほどに。
「僕がそんなに変に見える?ごめんね、愚者」
「いや、なんでもない――ちょっと気になっただけだ」
そう、と零した正義は、俺の手に紙を滑り込ませてくる。
「これが監獄の地図。これを使って僕たちは逃げることになるね」
「……ああ」
手書きのそれは新しい紙でできていて、丁寧な線が描かれている。
「君の役割を話そう。まず、一番部屋の看守を説得する――これはかなり楽な仕事だから、気負わずにやっていい」
「待て。看守を説得?そんなことできるのか」
俺の問いかけに、正義は人差し指を唇に当て頷く。
「もう僕が丸め込んでいるからね」
その後も彼から聞いた計画では、俺の役割は「看守の説得」、「先に門の外に出て正義を待つ」こと。
……それだけだった。
「おい、これだけで本当にいいのか?あとは全部正義がやるのか」
「うん、ダメかな?」
「いや、別に。俺に手伝えることがあったら言ってくれよ」
ありがとう、と正義は言う。
なんの感情も読み取れない笑顔が、俺には少し怖い。
――俺が意識を失ってからの間に、彼に何か起きたのか?
作戦決行までの三日間、俺たちはいつもと同じように過ごした。
向かい合って飯を食い、隣のベッドで眠る。
でもどうしてか、彼は俺を見なかった。
俺の向こう側にある、俺とは違う何かを見ている。正義と話していると、そう思うんだ。
*
「愚者。大事な話がある」
彼から声をかけられたのは、脱獄前日の夜。
電気を消した部屋の中で、彼の声だけが響く。
「前に、釈放されている囚人たちの話があるって言ったよね。あれについてなんだけど」
「ああ」
彼は少し声を小さくする。
「みんな別々に『天啓が降りた』って言ってるみたいなんだ」
「……なんだ、それ」
「神のお告げ。なんでかは分からないけれどね」
「そんなもの、この世界にあるのか」
「さあね。囚人たちが示し合わせたのかもしれないし。でも――ツミは、神の怒りに触れたくないんだよ」
だから釈放か、と声に出してみる。
あんなに堂々とした悪人がそんなものに怯えるなんて、恥ずかしくないのだろうか。
「誰から聞いたんだ?」
「あの独裁者」
それだけ言うと、正義は壁の方に寝返りを打った。
「――君は逃げられるよ」
「おい」
彼は口を噤んだままだった。
*
夢を、見た。
俺は口から血を吐いていて、正面にはよく知った顔があった。
「――っなんで」
指先から俺の赤を滴らせたそいつは、震えながら蹲る。
「ごめん、ごめん、ごめん」
暗転する視界のなか、俺の口からは全てが溢れ出る。
「――なんでだ」
――なんでだ、「正義」。




